2019年 私の初夢~沖縄と北海道が日本から分離独立!?

 「私は、本日ここに琉球・アイヌ連邦人民民主主義共和国の建国を宣言する」

 202×年1月1日。『旧日本時代』の沖縄県庁から場所を移し、新国家の“顔”となった首里城(主席府)前で、玉城デニー「国家主席」が高らかにそう宣言すると、詰めかけた数十万人の群衆から一斉に歓呼の声が上がった。かつて使われていた「琉球」の国号が復活し、連邦を構成する国家「琉球共和国」となった旧沖縄各地では、市民がカチャーシーを踊りながら「ヤマト」からの独立を祝う姿があちこちで見られた。「これからの私たちはこれまでとは違う。東京の顔色を伺うことなく、自分たちの意思で自分たちの運命を決めるのだ」――外国となった「日本」のテレビ局の取材に、あるウチナンチュは頬を紅潮させながらこう答えた。

 同じ頃、日本からの独立を祝っているもうひとつの地域があった。首里城から3000キロメートル以上離れた「アイヌ共和国(旧北海道)」だ。日本時代、北海道と呼ばれたこの場所でも、琉球に呼応するように、重厚な赤レンガ造りの旧庁舎に道庁を戻し、旧日本時代の道庁本庁舎は分庁舎とすること、アイヌ語を公用語とすることが決められていた。氷点下の凍てつく寒さの中、人々はその赤レンガ造りの庁舎の前に集まり、ささやかに独立の祝杯を挙げた。

 東京の日本政府がこの動きを察知したのはわずか数週間前のことだった。来年度予算の政府原案決定に向けて、財務省と各省庁が最後の予算折衝を行っていた年末。国会閉会中であることに加え、年末年始で中央省庁の体制が手薄となる時期を狙った独立宣言に、日本政府は打つ手がなかった。この直前、10年近い長期独裁体制を率いてきた安倍首相が引退したばかりだったこと、安倍時代にウソ・隠蔽・改ざんが横行した政府発表や政府統計を日本国民の誰も信用しなくなり、政府を支持する声がほとんどなかったことも独立への追い風となった。

 沖縄と北海道は、数年前から水面下で独立に向けた準備を着々と進めてきた。民主主義がないがしろにされているという思いや、大自然などの豊かな観光資源と豊富な食料を持ち、発展への大きな潜在力があるにもかかわらず、植民地と化した搾取的経済政策によって中央に豊かな暮らしを奪い取られているとの不満は、日本の中でも特にこの両地域で強かった。すでに何十回、いや何百回も米軍基地ノーの民意を示したのに、その結果はまったく考慮されず、自分たちが望まない米軍基地を暴力的に押しつけられてきた琉球。それとは逆に、あれほど市民が存続を望んだJRの鉄道路線をその意思に反してほとんど奪われたアイヌ共和国。国鉄分割民営化当時、4000キロメートル近くあった鉄道路線のほとんどはなくなり、札幌周辺の地域の路線だけが、札幌市営地下鉄と統合され細々と運行されているに過ぎなかった。高齢化が進み、公共交通も奪われたアイヌ共和国では多くの人たちが80歳を過ぎても自分でハンドルを握らねばならず、90歳を超えたドライバーも珍しくなかった。多くの高齢者が病院に行こうにも自宅から動けず、自宅で亡くなる事例が相次いで発生していた。食糧自給率が200%に達し、豊かな生活ができるはずの自分たちが、なぜ東京よりも貧しく不便な生活を強いられなければならないのか。そんな不満も積もり始めていた。

 北海道の人たちが、沖縄の人たちに「一緒に日本から独立しないか」と持ちかけられたのは、まだ安倍政権時代の数年前のことだった。「このまま日本という枠組みの中にいても東京に収奪され、永遠に植民地のままで終わりだ。自分たちの未来を自分たちで決めたくても決定権もない。でも独立して自己決定権を持てば、我々ウチナンチュは米軍基地撤去を自分たちの判断で決められる。北海道のみなさんも、自分の生きる道を自分たちで決められる」――今、琉球共和国政府職員となった元沖縄県幹部は独立の重要性を説いた。

 その場に居合わせた北海道庁幹部(現アイヌ共和国政府幹部)はこの提案を受けたとき、冗談だと受け止め真面目に取り合わなかった。そんなことができるとは夢にも思っていなかったからだ。だが、沖縄県幹部の熱い語りを聞いているうち、だんだん独立への夢が膨らんでいくのがわかった。「北海道でも独立すればいろんなことができる。今、道庁財政は厳しい状態だと思いますが、観光と食料という重要な武器があなた方にはある。観光客に課税する、あるいは東京に出荷する食料品に高額の輸出関税をかけるなどすれば、やりたい政策をやるための独自財源なんていくらでも創れますよ。それで財政を豊かにして、農業や観光、鉄道を保護する政策を思う存分やったらいい。沖縄では、日本政府が行っていた米軍基地への思いやり予算をやめ、逆に迷惑料として米軍基地から税金か土地使用料など、何らかの費用徴収をできないかと考えています。そうなれば、米軍はコスト負担を嫌って自分から出て行ってくれるかもしれないし、居座られたとしても、やりたい政策をやるための独自財源をそこから創ることができる。少なくとも、地元にとっていいものは全部東京に取られ、要らないものは押しつけられている今よりは、絶対に明るい未来が拓けます」と、彼は続けた。

 「おっしゃることはわかりますが、日本政府がやすやすと沖縄・北海道の独立を認めるとは思えません。せっかく独立を宣言しても、日本政府が沖縄・北海道の再併合のために軍隊を差し向けてきたらどうしますか」と北海道庁幹部は当然の問いを発した。沖縄県幹部の答えは明快だった――「できるわけがありませんよ。米軍基地の7割は沖縄にある。自衛隊の人員の4分の1、駐屯地の2割、そして弾薬庫に至っては全体の半分が北海道内にある。これらのすべてを一夜にして我々がもぎ取るんですよ。しかも、沖縄と北海道は東京から見て180度、正反対の方角にある。米軍基地の7割、駐屯地の2割、弾薬庫の半分を失った日本が、180度正反対の方角に、残った戦力を同時展開しなければならないんです。あなたが日本政府高官の立場だとして、それが可能だと思いますか」

 北海道庁幹部は、沖縄県幹部の勉強ぶりに舌を巻いた。日本からの独立は、沖縄だけでも北海道だけでも無理だろう。でも、両方一緒なら――。北海道は食料や天然資源は豊富にあるものの、有能な政治リーダーが見当たらない。沖縄はその逆で、有能な政治リーダーには事欠かないが、食料も天然資源も自立するには不足しすぎている。この両方がお互いに足らざる部分を補い合えば、案外、いい国家を造れるかもしれない。そんな思いが芽生えた。

 飲み屋談義にとどめておくには今の話はもったいないし、何よりも断然面白い。「知事周辺には半分冗談、半分本気の話として伝えておきます」と道庁幹部は引き取り、その場はそれでお開きになった。もう数年も前、暑い夏の夜のことだったとこの幹部は記憶する。当時は、寝苦しい夏の夜を涼しくするための怪談程度のつもりだった。

 この道庁幹部は、北海道知事に話をする予定だったが、直前で取りやめた。「経産省からの天下りで中央べったりの高橋知事にそんな話をすれば潰されるに決まっている。お前が本気なら、隠密に事を進めるほうがいい」と知事周辺の心ある職員から「忠告」されたためだ。この独立話は知事周辺の一部幹部だけの秘密プロジェクトとされ、水面下で沖縄県と準備が進められてきた。

 最大の不安は、沖縄県内や北海道内の米軍や自衛隊が独立後、日本ではなく新政府の統制に従うかどうかわからないことだった。「独立組」幹部たちは在沖米軍が琉球独立後、新政府側に立って動いてくれるよう米トランプ政権と水面下で交渉した。トランプからもたらされた回答は「我々にとって得になるなら、イエスだ」というものだった。米国第一主義のトランプらしい回答だと「独立組」幹部たちは苦笑した。沖縄県内、道内の自衛隊に対しては、独立後、彼らが日本でなく新政府の統制に服するなら自衛隊時代より給与・待遇を引き上げる「秘策」を用意した。

 遠く離れた両地域がいつまで日本政府にかぎつけられることなく、秘密裡に事を進められるかも懸念材料だった。「独立組」幹部たちは情報の漏れにくい第三国で秘密協議を続けながら準備を具体化させていった。いくつかの第三国が極秘に協力してくれたことも彼らへの後押しになった。

 「琉球・アイヌ連邦人民民主主義共和国」は独立宣言後、直ちに中国、ロシア、朝鮮民主主義人民共和国、韓国から国家として承認された。「独立組」幹部たちの独立準備を水面下で支援してくれた「第三国」の国々だった。米国は「独立後早い時期に全住民が参加する投票で独立賛成が勝つこと」を条件に、その後国家承認するという立場を表明した。この新しい国が日本による再併合から逃れ、国際社会で確固たる地位を築くには、1つでも多くの国による承認が必要だった。

 国民が「日本時代より良くなった。独立して良かった」と思えるようにするため、新しい国家は早急に成果を出す必要があった。玉城「国家主席」の下、新国家は社会主義的政策を導入した。連邦を構成する国家のひとつ「アイヌ共和国」の支配地域(旧「北海道」)の占冠村では、民営ガソリンスタンドが経営難で撤退した後、村が経営を引き継いだ。占冠村以外でも、ガソリンスタンドはもちろん、生活物資を扱う商店さえ民間では経営が成り立たず公営となる例が出始めていた。アイヌ共和国支配地域は旧日本時代からすでに実質的に社会主義化が始まっており、新国家による社会主義政策がさしたる違和感もなく受け入れられた。40年ほど前に国鉄から民営化されたJRが再国有化され、廃止された路線の復活が次々に始まった。10年ほど前に大停電を引き起こした電力会社も国に接収された。日本政府がろくに議論もせず決めたTPPなど、不公平な貿易機構からは離脱し農業を保護することにした。病院、学校も国有に変わり、貧困層の子どもたちには無償で1日3食、給食が支給されるようになった。新国家の支配地域に唯一存在していた泊原発は即時閉鎖が決定、旧日本時代の福島から避難してきた人たちには無償で住宅が提供されることになった。

 新国家は、日本時代から沖縄にあった地域政党と、北海道で結成された社会主義政党が合併した「社会大衆党」が政権を担った。社会大衆党が推薦する代議員や、地域や労働組合内部で選出された代議員によって構成される「人民代議員大会」を最高意思決定機関とした。旧日本時代のような自由選挙にすべきだとの声も根強くあったが、富裕層が金に物を言わせていくらでも票を買収できる「自由」選挙など必要ないとの声が勝り、このような制度となった。重要な社会的インフラ以外の企業には当面、私有形態を認めることとされたが、経営者の選任と報酬の決定は人民代議員大会の承認事項となった。

 今まで地球上のどの国でも見られなかった新しい国家の新しい試みは注目を集め、世界中から視察団が次々と訪れるようになった。視察団を出迎えた玉城国家主席はこの日もいつもと同じ笑顔を振りまきながら同じ言葉を繰り返した。「無意味に虚飾された言葉やイデオロギーなど要らない。新しい時代の国造りに必要なのは、私たち自身がどう生きたいかという、いわばアイデンティティーですよ。私たちは自分の手で、国民の意思を本当の意味で代行する本当の代表を選ぶこと、基地と原発、放射能におびえなくてもよい生活をすること、みんな平等に仲良くやること、それを自分の手で決めたいと思ったからです。いま私の言ったことは、全部当たり前のことです。世界中の学校で、みんな仲良くしましょう、弱い人はいじめるのではなく助けましょう、ウソをつくのはやめましょう、危ない物は遠ざけて、触らないようにしましょうと子どもたちに教えているはずです。それと同じことがなぜ日本ではできないのですか。理由はわかりませんけれども、私は日本がその当たり前のことを許してくれないから縁を切ったんです」

 ――ここまでストーリーが進んだところで目が覚めた。今日は2019年1月2日。すがすがしい朝だ。夢にしてはやけにリアルだったな。昔から縁起の良い初夢は「一富士二鷹三茄子」と言うけれど、こんな夢を見られたのだから、2019年はいい年にしなければ。今朝、見たことが夢でなく現実になるよう、今年も自分のやるべきことを、淡々と頑張りたいと思う。

(2019年12月25日 「地域と労働運動」第220号掲載)

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