女性差別でつながる「入試」と「福島」

 あれは私が小学校に上がったばかりの頃だろうか。もう40年近く前だ。国鉄日豊本線のそばに住み、日々の生活の中で列車の音に慣れ親しみながら私は育った。

 異変を感じたのはある寒い冬の朝。いつもは聞こえるはずの列車の音が聞こえない。外に出て線路に近づくと列車は止まっており、警官がシートにくるまれた轢死体をちょうど収容するところだった。

 遺体の主は近所に住んでいた浪人生。九州大学医学部を目指しすでに2浪していた。もし3浪したら仕送りを打ち切ると実家に通告されていたが、模試の成績が思わしくなく、将来を悲観した彼はみずから若い命を絶ったのだった。

 今年、東京医科大で発覚した女子受験者に対する一律減点問題は、瞬く間に他大学も巻き込む騒動に発展した。減点は女子のほか浪人生に対しても行われていた。東京医大では2011年に始まったとされるが、数十年にわたる医療界全体の慣行とのメディア報道もある。大学でも有数の難関学部であり、社会的地位も高い「特権階級」への狭き門をくぐるため、医学部入試では過去、何度も不正が繰り返されてきた。

 医療の現場は肉体労働の要素も強く、力仕事ができる男性がほしかった――得点調整に手を染めた大学関係者はそう言い訳するがあまりにお粗末過ぎる。男女問わず医師免許を持つ人が増えれば「分母」も増える。従来1人でやっていた仕事を2人で分担することが可能になれば、医療現場が男性優先である必要もなくなる。入試での得点調整は「馴れ合い医療ムラ」を支配する中高年男性医師が自分たちの既得権益を維持したいだけにしか私には見えない。

 福島原発事故で鼻血を出す人々の姿を描いたグルメ漫画とその作者が激しいバッシングを受けたが、鼻血を出し苦しむ人は実際に存在した。そうした人々を福島の医師たちは嘲笑し、まともに取りあわなかった。鼻血を出す子どもや女性に対して、花粉症と適当な診断を下す医師の姿は多くの県民を失望させた。「放射能は関係ないからね」「避難よりも、親子が離ればなれになるストレスのほうが身体に悪い」「そんなに放射能のことが心配なら、心理カウンセラーを紹介しましょうか」などと無神経極まりない言葉を浴びせられ、実際に長野県への避難を決意した人もいるほどだ。

 原発事故後の福島で、健康被害を真剣に心配する県民に寄り添って真実を追求する姿勢もなく、その場しのぎでお茶を濁す医師たちが幅を利かせているのは、もしかすると、医療界に迎え入れるべきでない人物を不正に迎え入れる一方、迎え入れるべき優秀な人物を不当に排除してきた結果かもしれない。幼き日に私が見た「彼」が本当は合格水準に達していたのに、浪人生であるがゆえの入試操作で合格できず命を絶っていたとしたら、日本の医療界はいったいどう謝罪するつもりなのだろう。

 『日本学術会議の発足に当たって、戦時中のわが国の科学者の態度については反省すべきか否かが問題になったとき、多数決で特に戦時中の態度については反省する必要はないという事になった…とくに医学部門の人たちは一致して強く、戦時中の反省を必要としないと主張した』。武谷三男著『科学と技術』(勁草書房、1969年)にこんな記述がある。戦争責任から先頭に立って逃れようとする医師たちを武谷は厳しく告発している。福島で切り捨てられた女性や子どもたち、医学部入試から切り捨てられた女子学生や浪人生たち。腐敗した「ムラ」を守ろうとする男たちによる女性差別の被害者として、この両者がつながっているように思えてならない。

 (脱原発福島ネットワーク会報「アサツユ」 2018年12月2日号掲載)

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