フリーゲージトレイン試験とん挫で混迷深める長崎新幹線
〜規格も決まらない路線に1兆円もの資金投入目指す「世紀の愚策」〜

 呆れて物も言えない。これを世紀の愚策と言わずしていったい何と表現すればいいのだろう。一部区間で工事が始まった九州新幹線長崎ルート(以下「長崎新幹線」と称する)のことだ。北海道で住民が学校や病院に通うための生活路線の半分が廃線の危機に瀕し、年に200〜400億円程度の資金があれば全路線を救済できるというのに、一方では線路規格すなわち線路の幅も正式に決定していない路線の建設に5000億円が投じられ、最終的にその額は1兆円を超えることになるかもしれないのである。

 旧国鉄の財政を破たんさせる原因となり、国鉄「改革」で二度と復活を許さないと決めたはずの「我田引鉄」「政治新幹線」のおぞましい復活、事業内容よりも「事業それ自体」が目的化、甘い見通しに基づき、行き当たりばったりで引き返しのきかない公共事業――ある意味では戦後日本のすべての問題が凝縮されているともいえるのがこの長崎新幹線だ。

 常識ではありえないような事態が進行している根本原因に何があるのか。そもそもそれ以前に日本は本当に言われているような「鉄道大国」なのか。司令塔不在の日本の鉄道政策に「正気」を取り戻させるために必要なものは何か。今日は、長崎新幹線の「愚」を告発するとともに、あるべき鉄道政策の姿を皆さんとともに考えたい。

 ●とん挫したフリーゲージトレイン

 本題に入る前に、地元・九州のメディア以外ではほとんど報じられていない長崎新幹線のここまでの迷走についてやや詳細に述べる必要があろう。

 長崎新幹線(博多〜長崎間)は、1972年に制定された全国新幹線鉄道整備法に基づいて整備計画が定められた、いわゆる整備新幹線のひとつだ。同じ九州を走る博多〜鹿児島間(鹿児島ルート)と区別する意味から長く九州新幹線(長崎ルート)と呼ばれてきた。国鉄末期には国鉄財政悪化によって整備新幹線計画は凍結されたが、その後凍結が解除になり、まず2008年に武雄温泉(佐賀)〜諫早(長崎)間が先行着工された。この区間が先行したのは、在来線の長崎本線の中でも有明海に沿って線路が伸びる肥前山口〜長崎間が単線の上、線形も特に悪く、距離の割には時間のかかるこの区間の隘路を打開する必要があったためである。

 長崎〜武雄温泉間がフル規格新幹線(国際標準の線路幅である標準軌(1435mm軌間)の線路上を200km/h以上の高速で走行)で開通後は、武雄温泉〜新鳥栖(佐賀)間は在来線の佐世保線・長崎本線を走行、新鳥栖からはすでに開通している九州新幹線に乗り入れ博多(福岡)を目指す。一部列車は新大阪まで直通運転する。全線をフル規格にするとあまりに経費がかかりすぎるため、当初はこんなプランが描かれた。

 この計画通りになった場合、長崎から武雄温泉までは標準軌(1435mm軌間)、武雄温泉から新鳥栖までは在来線を走るため狭軌(1067mm軌間)となり、新鳥栖で九州新幹線に乗り入れる際に再び標準軌に戻る。この問題を解決するために、フリーゲージトレイン(以下FGTと略)の研究開発が始まった。

 ※長崎新幹線の概要(佐賀県武雄市ホームページから)

 FGTは軌間可変式電車と訳される。軌間が異なる路線間を直通運転する場合に、境界駅に軌間変更のための設備を設置、その設備を通過する間に車輪の幅を広げたり縮めたりするものである。海外ではスペインの国際列車「タルゴ」に例がある。スペインの鉄道は広軌(標準軌より線路幅が広い1668mm軌間)を採用しているため、隣国フランスなどとの間で直通列車を運行するにはこの問題を解決しなければならなかった。軌間の異なる国同士で直通列車を運転する場合、かつてのヨーロッパでは国境駅で車両を1両ずつ持ち上げ、台車ごと取り換えるという手間のかかることをしていた。乗客は国境駅で長時間待たされるのが常だった。この問題を解決したのがタルゴであり、車両を持ち上げることなく、軌間変更設備を通過しながら数十秒から数分で軌間変更を終える。ここ数年来の技術進歩により、今後は最高330km/hでの高速運転も可能になるという。

 日本では、タルゴを開発したスペイン・タルゴ社から1993年に技術協力を受けると、1997年からFGTの本格開発に着手した。ところが、あたかも情報統制でも受けているかのように商業メディアでの報道はなく、技術開発が進んでいるのかどうかを窺い知ることが困難な状況が続いた。九州ではなく北陸新幹線への導入を目指し、JR西日本がFGTの本格開発に乗り出すことが報じられたのは2013年7月。この時点で開発着手からすでに16年が経過しており、本稿筆者も本来であればこの時点で開発が難航していることに気付かなければならなかった。だが「新幹線から在来線へ 異なる線路間行き来 フリーゲージトレイン実現間近」(2014.1.1付け「北海道新聞」)などの報道に惑わされ、それに気づかなかったことに対しては不明を恥じるより他はない。

 とはいえ、2014年正月の段階でこの記事を掲載したメディアに対して、国土交通省の「大本営発表」に惑わされてのミスリードと断定するのはいささか酷かもしれない。というのも、この時点ではまだFGTの技術開発は「7〜8割の確率で成功する」との見方で大方の識者が一致していたからだ。FGTに一気に暗雲が垂れ込め始めるのはこの年4月に始まった第3次耐久試験からである。

 この耐久試験では、九州新幹線〜軌間変更設備〜在来線の間で、試験車両が実際に60万kmの距離を走行する計画だった。順調と思われた走行試験に「異変」が起きたのは2014年11月だ。3万kmを走行した時点で、本来発生するはずのない部品の摩耗や高速走行時の横揺れが発生、走行試験は中止された。放置すれば摩耗が進み、車軸の折損につながりかねない重大な不具合だった。

 これらの不具合に対し、検証委員会を開催して原因を究明、再発防止対策を施したうえで2016年に走行試験を再開した。だが横揺れにこそ一定の改善が見られたものの、一部部品にメッキのはがれが見つかるなど摩耗は完全には解消されなかった。

 さらに、在来線区間でも信号システムの不具合が見つかった。軌間可変装置という複雑な仕組みを備えているFGTの構造は通常の車両と異なっており、信号システムがFGT車両の通過を検知できないという問題だ。列車同士が衝突しそうになっても、鉄のレールで固定されているため自動車のようにハンドルを切って回避できない鉄道では、代わりに列車同士に一定の間隔を確保するため「閉塞」(その列車の前後一定の距離内に他の列車を侵入させない仕組み)が導入されている。列車の走行位置が正確に検知できなければ踏切も正常に動作せず衝突事故につながりかねない。

 「これ以上開発しても無駄という悪い結果ではないが、満点でもない」(関係者)――第3次走行試験の評価は、大勢の乗客の命を預かりながら安定的な輸送実績を出さなければならない新幹線としては致命的といえよう。事実、この結果を見たJR西日本は、FGT車両を使用した列車の山陽新幹線(新大阪〜博多)区間乗り入れを認めない意向を表明した。運行が不安定なFGT使用列車の乗り入れを認め、山陽新幹線区間を走行中に故障した場合、構造が複雑なため運行回復に時間がかかるというのがその理由である。

 もともとFGTによる長崎新幹線計画には無理があった。FGT開発が当初計画通りに進んだとしても、2022年の全線(新鳥栖〜長崎)開業にぎりぎり間に合うという薄氷のスケジュールは、FGT開発の遅れで事実上破たんした。JR九州の青柳俊彦社長が、FGT車両に通常車両の3倍のコストがかかることを理由に、FGTによる長崎新幹線運行を拒否する意思を表明したのは2017年5月のことだ。そして、与党の整備新幹線推進プロジェクトチーム検討委員会は議論に1年以上を費やした挙句、ついにこの7月19日、FGTによる長崎新幹線の断念を正式決定。長崎新幹線について、全線フル規格格上げまたは在来線を標準軌に改軌して列車だけは直通できるようにする「ミニ新幹線方式」のいずれかで今後の整備計画を見直すよう提言した。ミニ新幹線は山形・秋田の両新幹線で導入された方式だ。

 ●軌間も決まらない線路に1兆円?

 2016年の第3次走行試験失敗以降、FGTのとん挫を見越して全線フル規格格上げを目指す長崎県・JR九州とミニ新幹線方式でよいとする佐賀県の間ですでに水面下の駆け引きが始まっていた。「どれだけ追加費用がかかろうと全線フル規格格上げ以外にない」と息巻くのは長崎県だ。新幹線の始発/終着駅となる長崎県にとっては、乗り換えなしの高速運転で新大阪までの直通を勝ち取ることは大きなメリットになる一方、フル規格格上げが実現しなかった場合の被害は計り知れないからだ。フル規格で着工した長崎〜武雄温泉間は「離れ小島」となり、乗客は軌間が変わる武雄温泉で半永久的に乗り換えを余儀なくされる。そうでなくても、わずか66kmしかない長崎〜武雄温泉ではフル規格化による時間短縮効果がわずか5分といわれているのに、武雄温泉での乗り換えで台無しになってしまう。現在、長崎本線経由で博多〜長崎間を運行している在来線特急「かもめ」に乗り換えがないことを考えると、時間短縮されない上に乗り換えまで発生してしまう新幹線は有害ですらある。下手をすると「新幹線いらない、白紙に戻せ」の大合唱になる可能性もあるからだ。

 一方「全線フル規格格上げに断固反対」なのは佐賀県だ。県内を走る武雄温泉〜新鳥栖間は現在の整備計画では在来線(佐世保線・長崎本線)をそのまま走行することになっている。この区間が仮に全線フル規格格上げとなり、別ルートを走行することになった場合、佐賀県内は通過ルートとなるだけで何のメリットもないのに、路線距離に応じて800億円もの追加費用を負担しなければならないからだ。「佐賀を素通りして長崎から博多に行く客のために、なぜわが県が800億円も負担させられなければならないのか」という佐賀県知事の怒りはもっともだ。

 佐賀県と長崎県の利害は真っ向から対立している。干拓農民と漁民が対立させられた諫早湾干拓事業をめぐる怨念ももともと両県の間にある。漁民の提訴を受け、干拓事業の舞台となった調整池の「潮受け堤防」開門を命ずる判決が出たにもかかわらず、干拓農民が起こした訴訟では開門を禁ずる判決が出て、潮受け堤防は今も閉じたまま干拓事業が続いている。こうした経緯もあるだけに佐賀県の抵抗を甘く見てはならない。訴訟合戦がこじれ、潮受け堤防の開門が当面、見通せなくなった干拓事業。さんざん煮え湯を飲まされてきた佐賀県だけに、長崎新幹線で政治的「報復」に出る可能性は十分に考えられる。この対立に容易に解決は見いだせないだろう。

 長崎〜武雄温泉間の建設には5000億円の巨費が見込まれている。仮に全線フル規格となった場合、追加費用は6000億円といわれる。合計でざっと1兆1千億円だ。まだ線路の幅も確定していない路線にこれだけの巨費が投じられようとしている。日本の納税者はもっと怒るべきだろう。

 北海道では、2015年1月の高波災害で不通になったまま3年半を経過した日高本線の沿線自治体に対し、JR北海道が廃止〜バス転換を提案している。地元町村会と住民は結束して路線維持を掲げている。この日高本線の営業キロは146.5km、一方で長崎〜博多間は153.9kmに過ぎない。沿線住民が切実に路線維持を求めている日高本線とほぼ同じ距離の区間で、線路の幅も決まっていない路線のために1兆円もの血税が浪費されようとしている。長崎新幹線はいったん白紙に戻した上で、そんな金があるなら北海道の路線維持に使うべきだろう。

 とはいえ、国民からあれほど厳しい批判を受けた八ッ場ダム工事でさえ、民主党への政権交代を経てもなお中止できなかったことを考えると、すでに着工してしまった長崎〜武雄温泉間の工事が「たかがこの程度のこと」で止まる可能性は現実的にはないように思われる。すでに始まった工事は止まらず、軌間の異なる武雄温泉でのFGTによる直通の夢も破れ、佐賀県の抵抗で全線フル規格への格上げもできないまま、始発駅・長崎を出発してわずか15分後には武雄温泉で全員が降りて乗り換えなければならないという悪夢が現実のものとなりつつある。このどうしようもなく迷走する事態に終止符を打つためにどのような方法があるだろうか?

 ここで筆者は「長崎〜武雄温泉間の狭軌への変更」を提案したい。長崎〜武雄温泉間に標準軌でなく、在来線と同じ狭軌の線路を敷設するのである。こうすれば、武雄温泉では狭軌同士となるので線路をつないで直通させることができる。新鳥栖で九州新幹線に乗り入れる予定だった当初計画も変更し、博多まで全区間在来線を走るようにすればいい。こうすれば現在と同じように長崎〜博多の全区間を乗り換えなしで直通でき、佐世保線(肥前山口〜武雄温泉間)の複線化とあいまって大幅なスピードアップが実現する。新線区間(長崎〜武雄温泉)で160km〜200km/h程度の高速運転ができれば、事実上のスーパー特急方式にでき、さらに数分程度の時間短縮が可能になる。ついでに言えば、事実上のスーパー特急方式といわれる路線にはかつての北越急行「ほくほく線」のほか、現在も運行が続けられている成田スカイアクセス(いずれも160km/h)があるが、これらがいずれも直流1500V方式であるのに対し、九州の在来線は新幹線と同じ交流電化方式(電圧は異なる)なので、スーパー特急にするための技術的障壁は直流区間ほど高くないといえる。博多で山陽新幹線への直通ができなくなることがこの方法唯一の欠点だが、FGTがとん挫し、全線フル規格格上げも実現しなければどのみち直通はないのだからそれが今さら問題になるとも思えない。

 ●なぜこのようなことが起きているのか?

 1964年、世界初の新幹線を開業させ世界を驚かせた日本は、その後長期間にわたって「鉄道大国」との評価を受けてきた。だが日本がその評価をほしいままにできたのは、ひいき目に見ても1980年代までだったといえよう。国鉄分割民営化を境として、日本を鉄道大国と形容する声は今やほとんど聞かれなくなった。韓国、中国、インド、インドネシアなど新興国で次々と新幹線が走り出している横で、日本はすでに安定した実績を誇るタルゴ社からの技術協力まで受けながら、いまだFGTに実用化のめどをつけられないでいる。高速バスでも間に合う程度の距離しかない長崎〜博多間で新幹線のために1兆円が投じられようとしている一方、鉄道を残してほしいという日高本線沿線住民の声は聞き入れられずバス転換が提案されるなどその場しのぎでちぐはぐな策しか持ち合わせていない。日本の鉄道はいつからこんなに落ちぶれてしまったのか。

 FGTの失敗、そして長崎新幹線の迷走の要因はいくつも考えられるが、代表的なところをいくつか挙げるなら「FGT成功を過信したぎりぎりで余裕のないスケジュール」「台車に重りを乗せて車輪の回転試験を行うのみで、営業車両と同様の条件でのテストもせず試験走行を“順調”と評価した国土交通省の自分に甘い体質」「新幹線ではなく新幹線“工事”が欲しいだけのゼネコンや政治家、沿線自治体」「失敗を失敗として受け止められず、事後処理でも地域エゴむき出しの佐賀・長崎両県」などだ。そこでは典型的失敗公共事業につきものの、お決まりのドタバタ劇がまたも無反省に繰り広げられているようにしか筆者には見えない。

 日本の鉄道をめぐる、この目を覆わんばかりの惨状に対して、さすがに鉄道人としての忍耐も限界に達したのだろう。30年前、国鉄分割民営化で主導的役割を果たし、JRグループ発足後の数年間「国鉄改革は大成功、世界の鉄道改革の見本になる」などと喧伝していた改革推進派のOBたちからも、疑問やJRグループの再編を求める声が公然と上がり始めた。松田昌士・元JR東日本会長や黒野匡彦・元運輸事務次官が「改革に乗り出せばJRグループを作った先輩を否定することになる」などと恐れず、時代の変化に合わせて改革をしてほしい――と相次いで発言している。石井幸孝・JR九州初代社長も、いてもたってもいられなくなったのか「日本の鉄道政策全体を見渡す司令塔が必要」と最近、新聞紙上で発言した。JR1047名不採用問題にかかわってきた筆者としては、分割民営化推進派だった彼らに対していろいろと複雑な思いがある。一方で「鉄道事業の動かし方」「全体を俯瞰した鉄道政策の作り方」を知っていた事実上最後の世代である彼らが、命あるうちにと発言を始めている現状に「そこまで深刻な事態なのだ」と率直に危機感を覚えざるを得ないこともまた事実である。JRグループはやはり不可逆的崩壊過程に入っており、数年のうちに劇的な変化が待ち受けている――筆者は今、そんな予感を抱いている。

(2018年7月21日 「地域と労働運動」第215号掲載)

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