戸別所得補償制度元年
それでも続く米価崩壊〜私たちはどうすれば?
自民党から民主党に政権が交代した2009年は自民党政権が編成した予算の大幅な組み替えができないまま暮れ、今年、2010年こそ民主党政権の予算編
成元年となった。子ども手当と並ぶ民主党政権の目玉政策は、コメ農家に対する戸別所得補償制度であった。そのモデル対策が実施され、戸別所得補償制度元年
となった2010年を振り返り、猫の目のようにクルクルと移り変わった農政の進むべき方向を再検証してみたい。
●戸別所得補償制度の概要
民主党政権が導入した戸別所得補償制度は、農林水産省の説明によれば、米のモデル事業(2010年度限り、2011年度からはモデル事業を本格実施に転
換)と自給率向上事業の2つの政策から成る。モデル事業は、需給調整(いわゆる減反)に参加しているコメ農家に対して主食用米の作付け面積10アール当た
り15,000円を直接支払により交付して、水田農業を担う農家の経営安定を図る事業である。自給率向上事業は、大半を輸入に頼る麦、大豆などや米粉用
米、飼料用米といった自給率向上のポイントとなる作物の生産を行う農家に対して、主食用米を作った場合と同じ水準の所得が得られるよう、作物に応じた金額
を直接支払により交付する事業である。
とはいえ、自給率向上事業は、名称こそ違うものの、供給過剰基調が続くコメの生産を抑え、余った水田で米粉用米や資料用米、麦や大豆などの転作作物を作ら
せるという意味において、自民党政権下で2009年から本格的に始まった水田フル活用事業(水田最大活用推進緊急対策)と酷似しており、その延長線上に位
置づけられる政策と見てよい。
ただ、大きな違いがひとつある。自民党政権下での減反が主として米価維持政策であったのに対し、戸別所得補償制度の一環としての自給率向上事業は、農家
への直接支払であることだ。水田フル活用政策は、あくまでも自民党政権が旧来から行ってきた減反の延長線上にあった。主食用米の生産量を政策的に抑えるこ
とによって供給を減らし、米価を維持しようとする。そのため、減反に参加する一部農家の努力によって主食用米の供給が減った結果、米価が維持され、その効
果は減反に参加しない農家にも及ぶことになった。つまり、減反に協力する正直者が馬鹿を見るという側面があり、公平感という意味で無視できないものがあっ
た。
これに対し、戸別所得補償制度による直接支払は、減反に参加した農家だけを対象とするようにした結果、不公平感が解消することになった。これは、減反に
実効性を持たせるという意味では、大きな前進といえるものだ。
●初年度から予算不足の危機
しかし、結論から言うと、戸別所得補償制度はモデル対策が試行的に実施された2010年度から早くも大きなほころびを見せた。その要因は、農政側の制度
設計がきわめて大ざっぱなものであったことのほか、110年に一度の猛暑という人知ではいかんともしがたい不可抗力の側面もあった。また、後述するコメの
特殊性も背景にある。
制度設計の問題とは、直接支払額を「標準的な生産コスト」と「標準的な販売価格」を基に面積単位の全国統一単価としたことである。これは、経営努力によ
り生産コストを削減している農家の取り組みを一切評価しないことにつながる。
また、品種の違いを考慮せず統一単価としたことは、高品種のコメ(つまり、高く売れるコメ)を生産している東北・北陸などの米どころほど、設定した単価
では足りないということを意味する。こうした米どころの地方では、戸別所得補償制度の内容が周知されるにつれ「支払額が足りなくなるのではないか」と噂さ
れ始めた。しかも、そのような声は2010年の田植えが始まる前からすでに顕在化していたのである。
しかし、制度のほころびは、農家が危惧していたのとは全く異なる方面からやってきた。110年に一度という、近代農業が経験したことのない異常な猛暑で
ある。
気象庁によれば、今年の猛暑は1898年の統計開始以来最悪となるもので、特に8月は、沖縄・奄美を除く全地域で平年の平均気温を2度以上上回った。真
夏日(最高気温30度以上)は西日本のほぼ全域で9月末まで続いた。熱中症だけで400人を超える死者が出たことはまだ記憶に新しい。
この猛暑は、2010年産米における1等米比率の極端な低下となって現れた。10月20日、農水省が発表した2010年産米の検査結果によれば、最も品
質の良い1等米は64.4%。過去5年間では2008年産の77.5%をはるかに下回り、1999年(63.0%)以来11年ぶりの低水準となった。1等
米比率を低下させた大きな要因は胴割れ(米粒の中央に横線のような亀裂が入ること)と呼ばれる高温障害にあった。
この結果、2010年産米の1俵(60kg)当たり価格は、過去最低を記録した2009年産米よりもさらに2,000円程度下落すると見込まれる。農水
省は、その年に生産されたコメの販売価格が過去3年の標準販売価格を下回った場合に上乗せ支給する「変動部分」の算定に入っているが、1等米比率の低下幅
が大きすぎ、早くも予算不足となる懸念が出ている。
●根本原因は日本人のコメ離れ
米価は、食糧管理制度が解体させられた20年ほど前から右肩下がりで低下を続けている。大半が農業生産法人でなく個人農である日本では、米価はイコール
農家の所得であり、農水省も農家も、そして自民党も減反によってなんとか米価下落を食い止めようと努めてきた。しかし、減反を上回るスピードでコメ消費の
減少が進み、生産を減らしても減らしても余るという状況は今日なお続いている。
1920〜30年代には、日本の人口は8000万人と現在の3分の2であったにもかかわらず、年間1600万トンものコメを消費してきた。現在は、当時
と比べ人口は4000万人も増えたのに、日本の年間コメ消費量は800万トンに過ぎない。1990年頃と比べても、当時の年間コメ消費量は1000万トン
前後だったから、20年で2割も低下したことになる。極端な日照不足と長雨により、作況指数が戦後最悪の75を記録、「100年に一度」「祖父母も経験し
たことのないほどの大冷害」といわれ、外国産米の緊急輸入に追い込まれた1993年のコメ生産量はおよそ780万トンに落ち込んだが、20年後の今日、こ
の大冷害の年の生産量でも足りるほどコメ消費は減少してしまったのだ。
こんな状況だから、減反してもしてもコメが余り、米価が下落を続けていくのもうなずける。もはや日本人のコメ離れ、コメ消費の減少は、農政と農家の努力
でどうにかなるレベルを超えてしまっている。
●コメの価格特殊性
米価低落の背景に日本人のコメ離れがあるとしても、価格低下の幅があまりに大きすぎるのではないかという疑問は多くの読者が抱いているかもしれない。
20年間で2割消費量が減少したとしても、1年では1%の減少に過ぎないのに対し、2010年産米は60kg当たり2,000円も下がり、11,000円
となる見通しだというのである。仮に見通し通り下落すれば、13,000円のうちの2,000円は15%にも相当する。1等米比率の低下と年間1%の消費
量の減少だけでは、15%もの極端な米価下落を説明できない。
実は、米価は過去にも生産量のわずかな増減の割に大きく変動してきた。その背景には、コメが自給作物として、基本的に生産した国で消費され、国際貿易市
場に出回る量がきわめて少ないという事情がある。国際貿易市場で取引されるコメの量は、生産量の3〜5%程度といわれる。生産量の20〜25%が輸出を想
定して生産される大豆や小麦とはそもそも前提が全然違うのである。世界のコメ生産量は概ね年間5億トンと言われているから、国際貿易市場に出回るのはわず
か1500万〜2500万トンに過ぎない。
この事実は、大量にコメを消費する日本のような国で、前述した93年のような大凶作が起きたとき、国際市場から不足したコメを買い付けるのがきわめて困難
であるということを意味している。実際、日本が259万トンものコメを緊急輸入した93年には、わずか半年で1トン当たり235ドルだった取引価格が
500ドルを超えるまでに高騰した。日本が輸入した量は、国際貿易市場に出回る量からすれば最大でも5分の1に過ぎないにもかかわらず、価格は2倍以上に
跳ね上がったのである。
生産量の変化に敏感なのは国内市場も同様で、93年の大凶作の直後、94年2月には60kg当たり60,000円を超える価格が付いた地域もあった。
国際貿易市場に出回る量が少なく価格変動幅が大きいコメのような作物は、一攫千金を狙った投機筋が暗躍する場にもなり得る。日本国民の主食であるコメ
が、常にこうしたリスクにさらされている事実は、ほとんど知られていない。
●ミニアム・アクセス米の輸入は直ちに中止せよ
世界各国のコメ生産が国内自給を前提として行われ、凶作により国際市場からコメを買い付けたい国があっても、出回る量が極端に少ないという状況の中で、
日本は1995年のガット・ウルグアイラウンド農業合意により、必要もないミニマム・アクセス米(MA米)を毎年輸入するよう約束させられた。MA米の多
くは主食用米として出回らないまま、政府の食料倉庫に眠るか、加工用米に転用されている。その加工用米の需要も、前述した水田フル活用や、自給率向上事業
による転作米に今後は取って代わられるだろう。その一方で、コメを主食としながら経済的に貧しい発展途上国(その多くがアジア地域である)は、日本のMA
米輸入によりさらに取引量が少なくなった国際市場で満足なコメ買い付けもできず、災害による大規模な凶作のたびに食糧不足に苦しんでいる。
こんな愚かな農政を日本はいったいいつまで続けるつもりなのか。多くの識者が指摘しているように、ウルグアイラウンド協定のいかなる条項も日本にMA米
の輸入義務など課してはいない。すべては日本の自主的な政策として行われてきた無駄な輸入に過ぎない。
世界的に農産物が過剰基調にあるという認識の下で作られた農産物の貿易自由化という枠組みそのものが、今や全くの時代遅れとなった。世界人口は60億人
に近づいており、その1割を超える9億が飢餓に直面している。今こそ日本は、途上国に災いだけをもたらす不要なMA米輸入などやめ、発展途上国のために
も、世界のコメ需給緩和に努めなければならない。
●今後の課題−価格維持政策か所得補償か
本稿筆者は、かつて戸別所得補償制度は日本の農業を救わないが、生命維持装置としてその死をいくぶん先に延ばすことはできると指摘した(2007年8月
4日付「レイバーネット」掲載の拙稿「参議院選挙結果のポイント」)。高齢化した個人農にできるだけ長く水田にとどまってもらう上で所得補償が一定の効果
を発揮することは疑いないが、結局彼ら彼女らがリタイアすればその先はないという意味であり、筆者の戸別所得補償制度への態度はあくまでも「消極的容認」
に過ぎない。
戸別所得補償制度について、モデル事業もまだ終わっていない現段階で評価を下すのは早すぎることは承知しているものの、初年度に早くも顕在化したいくつか
の問題を巡って、今後のコメ政策が価格維持政策中心であるべきか、所得補償中心であるべきかについて述べておくことは必要である。それは、長く日本を支配
してきた自民党政権が前者を基本としてきたのに対し、2009年に政権を奪取した民主党が後者へと政策を一変させたことに見られるように、民主・自民両党
の農業政策の鋭い(けれども、ほとんど唯一の)対決点ともなっている。
減反や余剰米の政府買い上げといった価格維持政策は、すでに述べたように、減反に参加している一部農家の努力によって米価が維持され、その成果が減反に
参加しない農家にも及ぶという意味で不公平感が出ることが問題である。一方、わずかな収穫量の増減が大幅な価格の変動につながることが多いコメの場合に
は、農家所得を金銭(直接補償)で調整するよりも、コメの市場への供給量で調整するほうが安く済む場合が多く、財政負担という点で優れた方式である。所得
補償はその逆で、公平である反面、収穫量の増減がわずかである割には多額の財政負担を強いられる場合が多いというのが欠点である。
結局のところ、どちらを選ぶかは農業を国民経済と国民生活の中でどのように位置づけるかによって決まるといえよう。コメは主食なのだから国民全体で支え
るべきだという観点に立つなら、税金で所得補償を行うことは立派な農家支援策といえる。一方、コメ生産の維持はあくまで受益者=消費者の負担であるべきだ
と考えるなら、価格維持政策がその中心になるだろう。ただ、主食であるコメへの関わり方は濃淡があるとしても、日本国民のほとんどが毎日1回はコメを食べ
ているに違いないから、コメに関する限り、受益者負担か税負担かというのはそれほど大きな問題にはならないのではないだろうか。
2010年の戸別所得補償制度元年におけるモデル事業は、こうした事実を浮き彫りにし、再検討する機会を農政関係者に教えてくれただけでも有意義な経験
だったといえそうだ。
(2010年11月25日 「地域と労働
運動」第122号掲載)