「あたご」事故海 難審判・裁かれるも反省のない自衛隊


○「事故は海自に主因」の裁決

 2008年2月、海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」が衝突し、船長の吉清(きちせい)治夫 さん(当時58歳)と長男哲大(てつひろ)さん(当時23歳)が行方不明になった後、死亡認定された事故に関する海難審判で、横浜地方海難審判所(織戸孝 治審判長)は1月22日、あたごの所属部隊、第3護衛隊(当時は第63護衛隊)に対し、安全航行の指導徹底を求める勧告をするとの裁決を出した。審判所は 「あたごが動静監視を十分に行わず、清徳丸の進路を避けなかったことが事故の主因」と判断した。

 刑事裁判の被告に当たる「指定海難関係人」には第3護衛隊の他、自衛隊員4名が指定され、裁決は「乗組員の 教育訓練に当たり第3護衛隊が、艦橋と戦闘指揮所(CIC)の連絡・報告体制、見張り体制を十分に構築していなかった」と、「あたご」の監視の不備を指摘 し、勧告の理由とした。自衛隊員4人への勧告は見送られた。漁船側についても「衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも(事故の)一因」とした。

○ 再び繰り返された20年前の悪夢

船舶の交通方法を定めた海上衝突予防法は、 「二隻の動力船が互いに進路を横切る場合において衝突するおそれがあるときは、他の動力船を右げん側に見る動力船は、当該他の動力船の進路を避けなければ ならない」(第15条)と定めている。当時、相手を右舷側に見る位置にあったのはイージス艦「あたご」だった。同艦の責任は免れず、裁決は妥当と判断す る。

自衛隊側は、海難審判が始まって以降も「回避 しなかった漁船の責任」と主張し、海難審判庁理事官(検察官に相当)と対立を深めていたとされるが、組織として責任を認めようとしない傲慢さには怒りを表 明せざるを得ない。20年前の1988年にも、やはり海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船「第一富士丸」の衝突事故があったが、この際も「第一富士 丸」を右舷側に見ていた「なだしお」に回避義務があったにもかかわらず、同艦は回避措置を取らなかった。難を逃れて生還した「第一富士丸」船長の「軍艦は 絶対に避けてくれない」という言葉を、私は今も忘れない。

海上衝突予防法は「千九百七十二年の海上にお ける衝突の予防のための国際規則に関する条約に添付されている千九百七十二年の海上における衝突の予防のための国際規則の規定に準拠して、船舶の遵守すべ き航法、表示すべき灯火及び形象物並びに行うべき信号に関し必要な事項を定めることにより、海上における船舶の衝突を予防し、もつて船舶交通の安全を図る ことを目的とする」(第1条)と立法目的をうたっている。この法律が他の法律と違うのは、日米地位協定等と同じく条約の実施法としての性格を持っている点 にある。考えてみれば、海は世界全体の物であり、領海という概念はあるにせよ、ある1国の独占物ではないから、そのために条約という形で国際社会が統一的 な航海ルールを設けているわけである。海上衝突予防法は、海上衝突予防条約を日本国内の船舶に適用させるためのルールということができる。

今回、自衛隊がこの法律を無視する姿勢を取っ たことは、事実上「自衛隊は国際条約を守らない」と宣言したことになるわけで、海自には猛省を促したいところだが、一方で私は「そもそも自衛隊に法令遵守 なんてできるのか」という根本的な疑問も持っている。なぜなら、防衛省・自衛隊は、その存在自体が憲法に違反しているわけであり、生い立ちからして違憲と 考えられる組織に法令遵守なんてできるわけもないと思われるからだ。

今回の事件が明らかにしたのは、自衛隊の「最 新鋭イージス艦」は漁船を探知する能力もろくに持ち合わせていないということだ。これで「外敵」を発見しようだなんて、税金の無駄遣いもいいところだし、 冗談も休み休みにしてほしい。

もうひとつ、この事件が教えてくれたのは「軍 隊は国家権力や特定支配層は守ってくれるが、庶民のことは守ってくれない」という事実である。今、私たちがなすべきことは、自衛隊に対し「究極的法令遵 守」を要求することである。究極的な法令遵守とは、日本国憲法9条2項を自衛隊に強制すること、つまり彼らに消えてもらうことである。無駄なイージス艦の 建造以前に、究極の無駄遣いである軍備をなくし、捻出された予算をきちんと国民生活に振り向けられるよう政治の転換を図る。自衛隊の存在それ自体が国民の 安全と直接的に対立している今こそ、自衛隊の廃止が主張されなければならないのである。

○ 疲弊する漁村の希望の星だった心優しい青年

 2008年夏、原油高騰に端を発した漁村の危機は、漁民たちによる全国一斉休漁闘争にまで発展した。そうで なくとも、大資本によって安く魚が買い叩かれた結果、漁業では食べられなくなり、若者たちは漁業を継ぐことなく仕事を求めて都会へ出て行ってしまった。漁 村はますます疲弊し、漁業者は高齢化していった。今、多くの漁業者たちは、自分の代で漁業が終わりであることを知りながら、老いた身体に鞭打って危険な海 に出ているのが実情である。

 死亡認定された吉清哲大さんは、後継者のいないことが常識となっている漁村で、父を継いで漁業者になると宣 言していた希望の星であり、日本の漁業界全体で守り育てていかなければならない宝物だった。そんな未来ある若者を、法令違反のあげくに海の藻屑と消し去っ た防衛省・自衛隊の責任は、あまりにも大きい。

 (2009年2月 23日 「地域と労働運動」第102号掲載)

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