大阪府箕面市のTakeshiさんの手紙を読んで

 

安全問題研究会 黒鉄  好

 

「地域と労働運動」誌第93号(2008年7 月号)所収の「予感的中! 過言ではなかった『福知山線事故』」を読んだ。鉄道ファンでない1人の鉄道利用者、Takeshiさ んの勇気ある報告に感動し、刺激を受けるとともに、一般人よりも鉄道に詳しい自分がもっともっと発言しなければならないという気持ちになった。

福知山線事故から3年が経ったが、事故は決し て風化などしていないし、させてはならない。改めて、あの事故が民営JR体制の何を象徴する事故であったのかを再検証する時期に来ていると思う。そうは いっても、3年経過した現在、新しい情報がそれほど見つかるわけでもないのだが、今回はATSの問題について触れたい。

 

○ 速照ATSがあれば事故は防げた

私はすでに繰り返し指摘しているが、福知山線 事故は速度照査型ATS(速照ATS)があり、かつ正しく運用されていれば起こらなかったとほぼ断言できる。当時の福知山線が、正常運転を維持できないほ どの無理なダイヤ編成であり、運転士が日勤教育のプレッシャーに怯えて飛ばしていたとしても、である。機械万能主義は戒められる必要があるが、カーブや下 り坂など速度超過が起きやすい要所に速度照査型ATSがあれば、運転士のヒューマンエラーを適切に補正するメカニズムが働いていたことと思う。

福知山線にも速照ATSの一種であるATS− Pの導入計画がありながら、官僚主義的なJR西日本幹部が決裁に逡巡しているうちにATS−Pの導入が遅れ、事故につながったことを多くの遺族や識者が証 言している。JR西日本の幹部自身、「現場に速照ATSがあれば事故は起きなかった。悔やんでも悔やみきれない」と告白している。

 

○ なぜ現場に速照ATSがなかったのか

ATSの歴史は、1963年、常磐線三河島駅 で起きた三重衝突事故(三河島事故)に始まる。この事故の原因が、機関士(機関車運転士)の信号誤認と乗務員・駅員の義務違反(最初の衝突事故が起きたと き、事故現場に他の列車が進入できないようにする「列車防護」の措置を直ちにとらなかったこと)にあるとされたことを受け、国鉄が職員の過剰な負担を軽減 するため、防護装置の開発に着手したからである。

国鉄がこのとき開発した防護装置は車内警報装 置(車警)と呼ばれ、赤信号を検知すると運転席で警報を鳴動させるものだった。しかし、この装置は運転士が警報鳴動後に確認ボタンを押すと赤信号をそのま ま通過できるという不十分なものであったことから、すぐに次の事故が起きた。1967年、新宿駅で米軍立川基地へジェット燃料を輸送していた貨物列車が、 奥多摩から石灰石(セメント原料)を輸送していたセメント会社の専用貨物列車と衝突、燃料に引火して大火災が発生したのである。

この事故が起きた1967年、運輸省が「自動 列車停止装置の設置について」(昭和42年鉄運第11号)を制定、発出した。この通達は、列車の強制停止機能、速度照査機 能を備えた自動列車停止装置(ATS)を大手私鉄各社に義務づける画期的な内容だった。実際、この通達制定後、大手私鉄での信号無視・速度超過による事故 は、ATS誤操作・誤作動を除いてほぼゼロに抑え込まれた。運輸省は、事前規制型行政を発動することで飛躍的に鉄道の安全性を高めることに成功したのであ る。

しかし、この 1967年通達は、国鉄での2つの大事故を契機に制定されたものであるにもかかわらず、「車警」が整備されているという理由で当の国鉄を適用除外とした。 その後、国鉄分割民営化の際、運輸省はこの1967年通達を廃止してしまった。私鉄では、1967年通達が制定され、廃止されるまでの20年間で速度照査 型ATS整備をほぼ完了したが、国鉄に対しては、ついに速照ATSが義務化されることが一度もないまま、分割民営化で「私鉄」化されてしまったのである。

運輸省がなぜ 1967年通達から国鉄〜JRを除外したかは今もって明らかではない。国鉄には「車警」が整備されていたから、防護装置が全く整備されていない私鉄を優先 したというのが国土交通省の言い分だが、それとて国鉄を除外する合理的な理由にはなり得ない。単に身内に甘い官僚体質か、それともJRは「旧国鉄」だから 民営化しても私鉄以上にみずからを厳しく律し、安全第一の社風を築いてくれるに違いないと無邪気に信じていたのか。

仮に運輸省が 国鉄を甘やかしていたとしても、国鉄自身が民営化後を見越して、経営状態が厳しくなるであろう「三島会社」(北海道・四国・九州)とJR西日本のために、 国鉄の予算で速照ATSを整備してから民営化後の各社を送り出す方法もあり得たはずだ。事実、国鉄は民営化直前、毎年のように運賃値上げを実施し(注)、 それを「民営化後の各社が運賃値上げをしなくて済むように国鉄が泥をかぶるのだ」と説明していた。それならば、その“親心”をどうして安全問題に関しては 発揮しなかったのか。国鉄がこのときに「親心で泥をかぶって」やりさえすれば、やはり尼崎で107名は死ななくて済んだのである。民営化直前の国鉄は、 JR各社の利益につながる分野では「親心」を発揮しても、安全問題で「親心」を発揮することはなかったのである。

 

注)1978年度〜1986年度まで、国鉄はほぼ毎年運賃・料金を値上げしている。値上げがな かったのはこの間、1983年度のみである。

 

○ 速照ATSにもいろいろな種類がある

ところで、ひとくちにATSと言ってもいろい ろな種類がある。速照機能のないものから改造して速照付きにした旧型速照ATSは、列車が速度規制区間で速度超過すると、いったん完全に停車してからでな ければ解除できないものが多かった。これに対し、ATS−Pは速度超過を検知しても、列車を規制速度以下まで減速させればその時点で解除することができる ため、そのまま走行し続けることができる(この点は車内信号方式とも呼ばれるATCも同様である)。したがって、福知山線のように、数分間隔で列車が走る 過密線区にはATCかATS−Pが適している。旧型ATSのようにいったん完全に停止しないと解除できないようでは、遅れが大きくなり、後続列車へ与える 影響が大きいのに対し、規制速度まで減速して解除できる方式だとダイヤに与える影響は最小限ですむからだ。

 

○ATS −Pの「優先順位」

もちろん、鉄道会社の財政に余裕があるなら安 全投資は最大限にすべきだし、できることなら全線全区間にATCかATS−Pを設置するに越したことはないであろう。しかし、JR西日本のように財政に余 裕のない会社の場合、どの線区に優先して速照ATSを設置するか、またその中のどの線区をATS−Pとするかは安全上・経営上の高度な判断が求められる。 JRの力で限界があるなら、JR各社でも受給できるような補助金制度の創設を政府に求めていくなどの活動も必要だろう。

経営上の判断はともかくとして、安全性を基準 に鉄道ファンなりの基準(多分に筆者の独断と偏見が含まれているが)で選定するなら、概ね次の4要件に当てはまる線区が速照ATS設置において最優先にな ると思う。

 

@急勾配、急曲線(カーブ)が多く、物理的条 件から速度超過となりやすい線区

A 特急・急行・快速など、高速列車が多く運転され、旅客サービス面から速度超過となりやすい線区

B競合他社との競争の観点から速度超過となり やすい線区

C 列車ダイヤが密であり、運転士への負担が大きいためきめ細かな速度規制が必要である線区

 

このうち、A〜Cは密接に絡み合い、大都市圏 の多くで見られる現象である。旅客需要が多いからダイヤが密になるし、多くの鉄道会社が競争関係になる。競争関係になるから高速化への要望も強くなり、特 急・急行・快速運転が増える。

それでは福知山線はどうだろうか。大都市圏で あり、A〜Cに該当することは間違いない。半径300メートルの大カーブがあり、高架橋に上ってから地平に降りるため急勾配も抱える福知山線は@にも該当 している。そのように考えると、福知山線こそJR西日本でATS−P設置を最も優先すべき線区だったのだ。それを当時のJR西日本幹部がもし知らなかった としたら、あまりにも鉄道現場の実態に疎いと言えようし、知っていて設置しなかったのだとしたら、それは鉄道人として許し難い怠慢以外のなにものでもな い。

 

○ おわりに

今回、鋭い分析で私に刺激を与えてくださった 箕面市のTakeshiさんに感謝する。この原稿は、全国の鉄道安全問題に取り組む人たちへ向けて 書いたものではあるが、同時にTakeshiさんへ私からの返信の意味もある。編集にわがままなお 願いだが、この手紙をTakeshiさんに届けていただければ幸いである。

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