尼崎JR事故・死者107人の大惨事に
〜JRの異常な企業体質が招いた事故・民営化と利益優先の帰結〜

2005.5.2発表

・事故の概要
2005年4月25日午後9時20分頃、兵庫県尼崎市のJR福知山線・尼崎〜塚口間で、宝塚発同志社前行き上り快速電車(7両編成、乗客約580人)の1〜4両目が脱線した。このうち、先頭の2両が進行方向左側の線路脇にあるマンションに突っ込み「L」字形に折れ曲がり大破した。別の3両も傾くなどした。この事故で、乗客と運転士の107人が死亡。負傷者は460人に達した。
この事故では、すでに国土交通省空港・鉄道事故調査委員会が「制限速度70キロのところ、100キロ以上の速度で運転した速度超過」が主因と断定。速度超過によってカーブ内側の車輪が線路から浮き上がり、せり上がり脱線したと結論づけている。

以下の文章は、当サイト管理者が事故直後からネット上で発表してきた内容である。一部再編集して掲載する。(管理者)


尼崎でのJR事故は、犠牲者が100人を超え、鉄道単独事故としては戦後4番目の大惨事となりました。
犠牲となった皆様方のご冥福をお祈り申し上げるとともに、負傷された多数の方の1日も早い回復をお祈りいたします。

でも、「JR西日本は乗客に2桁、3桁単位で死者を出す大事故を向こう5年以内に必ず起こす」と、私はもう何年も前から親しい仲間には“予言”していました。JR西日本が、鉄道人の矜持にかけて私の予言を裏切ってくれることを期待していたんですが、とうとうやってしまいましたねぇ…

ATCが故障して作動していないのに平気で新幹線の運行を続けたり、消防隊員による救助活動が続いているのに列車の運行を再開するような企業体質ですから、起こるべくして起こった事故といえるでしょう。

JRになってから18年、2桁の死者を出した事故は1991年の信楽高原鉄道事故に次いで今回が2度目ですが、JR西日本はその両方に関わっています。
これまでの事故の教訓が全く生かされていないばかりか、「安全よりカネ」の姿勢がJR6社の中でも最も醜悪に出ていたのがJR西日本であることはすでに何度も指摘されていますし、私自身、JR西日本での事故の危険性はこれまで何度も警告してきました。
それなのに、警告を無視し、姿勢を改めなかったのはJR西日本自身です。同社には真剣に反省してもらいたいと思います。

事故原因については、メディア報道であらゆる分析がなされていますが、今ひとつどれも決め手に欠けるようです。一応私としても検証してみます。

・「スピード違反」原因説
制限速度70キロのところを100キロで走行した、あるいは120キロで走行していたという報道がありますが、一般論として、カーブでの遠心力は速度の2乗に比例します。速度が2倍なら遠心力は4倍、速度が3倍なら遠心力は9倍です。
仮に100キロ走行していたとすれば、制限速度を守っていた場合に比べて速度が約1.4倍ですので、遠心力は1.4の2乗、つまり1.96倍になります。
「たかが30キロ程度の速度超過くらいでは脱線しない」という専門家の意見には一応同意はできますが、事故現場の写真を見る限り、カントの傾斜はそれほど設けられていないように見えるので、2倍となれば、あるいは脱線もあり得るのかなぁという感じもします。JR西日本は、鉄道総研(国鉄分割でできた鉄道総合技術研究所)の協力を得て、「時速133キロになれば脱線があり得る」と会見で発表しましたが、福知山線は国鉄時代に造られた路線であり、当時の重い鋼製車両を基礎として計算したデータだとすれば割り引いて考える必要もありそうです。現時点では、複合的要因の中の大きな要因のひとつだと言えそう。

・「ガードレール未設置」原因説
ガードレール、専門用語で言うと「護輪軌条」(ごりんきじょう)と言いますが、これはカーブで列車が飛び出さないように車輪を内側からガードするものです。2000年3月、営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線中目黒駅で起きた脱線事故は、この護輪軌条未設置が事故の主因のひとつとされました。今回の現場も、護輪軌条は設けられていなかったようで、スピード違反と重なり合えば事故原因の一部分とはいえそうです。

・「走ルンです」(軽量ステンレス車両)原因説
鉄道ファンの間では、JR各社、特にJR東日本のステンレス製軽量車両のことを「走ルンです」という蔑称で呼んでいます。軽量、低コストの代わりに耐久性に乏しく、車両としての寿命が短いことを使い捨てカメラの商標名に例えたものです。
鉄道車両は、重ければ重いほど線路への「粘着力」が増すとされており、線路への負担が増す代わりにカーブでの飛び出し脱線の可能性は一般的に低くなります。軽量車体であったことも、複合的要因のひとつといえそうです。

・カーブでの急ブレーキ原因説
現在、事故調査委員会はこの見方を強めているようですが、十分あり得る原因だと思います。
私はこれを聞いて、かつて自動車教習所に通っていた頃、運転教習で教官に言われた話を思い出しました。
「(横断歩道に歩行者がいればもちろん別だが)カーブの途中で急ブレーキを踏むな。カーブでの急ブレーキは車体がバランスを崩す原因になる。上手な運転者ほど、カーブの手前で減速を終え、カーブはむしろアクセルを踏みながら曲がるもの。なぜならその方が車体が安定するからだ」。
思い返してみれば、なるほど、カーブでの急ブレーキは車体がバランスを崩します。

しかし、今回の事故の背景には隠された真の原因があります。「JRの企業体質」です。
この間、メディア報道で言われているような、利益優先、ダイヤ維持優先の姿勢もさることながら、国鉄の分割・民営化がもたらした最大の害悪は、先輩から後輩へ、「安全思想」が継承されていたシステムを解体したことにあると思います。
実際、国鉄時代の運転士は車両検修職の中から一定経験を積んだ人が登用されるシステムだったのに対し、現在のJRの多くは運転士を車掌経験者の中から登用するシステムに変更しています。車両検修職として、鉄道車両の何たるかを知る者こそが運転士となるシステムだったのが、今では車掌として、売り上げを上げる方法を体得した者が運転士に登用されるシステムになっているのです。
私がこのような人事システムに根本的な疑問を持っていることは言うまでもありません。もちろん現在のJRでも、運転士が国交省の運転免許試験を受け、指導運転士の添乗指導を受けながら育成されることに変わりはありませんが、鉄道車両の技術的特性を知って運転士になるのとそうでないのとでは雲泥の差があります。
個人資格である自動車運転免許でさえ、教習所ではチェーンの装着方法や運行前点検の仕方等を習うのに、大勢の乗客の命を預かる鉄道運転士が、鉄道車両に触れる機会もろくに与えられないまま研修を終えるというのは異常だと思います。鉄道の技術に触れ、安全思想を育むことが運転研修なのだという理解を、鉄道の現場がもう一度取り戻す必要があります。
営業と運輸とは全く別物であり、鉄道にはもちろんどちらも必要ですが、「全ての職員を広く薄く」よりも、運転職人、整備職人、営業職人のようなそれぞれの道のエキスパートを育てていく方が、鉄道というシステムには向いているのではないでしょうか。

そして、JR西日本に関してどうしても言わなければならないのが、「フェイルセーフ軽視」の風潮です。
フェイルセーフとは英語でfail-safe。強引に日本語に訳せば「安全的失敗」と言うほどの意味で、鉄道では「迷ったときには最も安全と思われる選択をすること」という趣旨で使われる言葉です。1951(昭26)年に運輸省(当時)が制定した「運転の安全の確保に関する省令」で、「…その取扱に疑いのあるときは、最も安全と思われる取扱をしなければならない」と定められており、このために、鉄道では車両や設備が故障した際にも、最も安全な故障の仕方をするように設計されています。たとえば車両であれば、故障時には自動的にブレーキがかかって停車するように、信号機であれば故障時には自動的に赤になるように設計すること…それが「安全的失敗」であり、安全な乗り物としての鉄道の威信を高めたフェイルセーフ思想の根幹を成しています。
時折、テレビニュースなどで「○○駅の信号機が突然赤になったまま変わらなくなり、○○人の通勤の足に影響」とか、「走行中の列車に突然ブレーキが掛かって動けなくなり、○○線が何分遅れ」などという報道を耳にすることがありますが、これらは同じ事故ではあっても「フェイルセーフがきちんと機能していることによる事故」であり、重大な事故ではありません。いささか逆説的ですが、こういった内容の事故が起こっているうちは鉄道は安全な証拠であり、安心して身を委ねて間違いありません。
しかし、JR西日本で過去に起こってきた事故は、「走行中の新幹線の上にトンネル外壁が剥離落下」とか、「消防士が救助活動中なのに列車の運転を再開」といった、フェイルセーフに真っ向から反する事故であり、そのことが大きな問題なのです。外壁が剥離しそうなトンネルが見つかったら、本来のフェイルセーフ思想からすれば列車を止めるのが正しい取り扱いです。

私はこれまで、とりわけJR各社の中でも西日本を重大視し、時には名指しで厳しく批判してきました。批判されたJR西日本にしてみれば「他社だって事故は起きているのに何でウチばかり批判するのか」と不満があるかもしれませんが、単に事故の件数ではなく、問題はその内容なのです。
新潟県中越地震の時、上越新幹線の脱線事故が起き、世界に衝撃を与えましたが、あのとき、地震検知装置(通称「ユレダス」)の作動によって架線への給電が止まり、また運転士も「最も安全な取り扱いをすること」というフェイルセーフの思想を守り、非常ブレーキをかけて列車を止めようとしました。結果的に脱線は避けられませんでしたが、ハード(設備)、ソフト(人間)の両面からフェイルセーフという安全の根本原則に忠実であろうとした上越新幹線事故と、完全にフェイルセーフを無視したJR西日本の事故は、脱線という結果は同じであっても、全く性質の違うものです。私がなぜJR西日本だけをことさら厳しく批判するのかをご理解いただけたと思います。

そんな安全軽視のシステムの中で、「日勤教育」と称する運転士への懲罰的、「見せしめ」的な再教育が行われ、それがカーブでの速度違反を引き起こしたのではないかとの論調が次第にマスコミでも強まっています。
会社の体質がどのようなものであろうとも、精一杯安全のために尽くしているのは運転士など現場です。その現場の人たちが、安全の維持向上のため、心にゆとりを持って自分の頭で想像力を働かせられるような職場体制こそが今、求められていると思います。
つい最近まで、「国鉄民営化は成功」「郵政民営化のモデル」などという主張が大勢を占めていたマスコミの中にも、功罪の両面から国鉄改革を冷静に見つめてみようという論調が出てきたことは、良い傾向ではないでしょうか。
利益優先、カネカネカネの「JR体制」の破綻を決定づけた事故…今回の事故は、後世の歴史家によってそのように書き記される事故になることは間違いないと思います。
それにしては、あまりにも痛ましく、大きすぎる犠牲だと思いますが…。

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