2005.4.25発生 JR西日本 塚口〜尼崎駅間列車横転脱線事故調査報告

2005年4月25日午前9時過ぎにJR西日本福知山線(路線愛称:宝塚線)塚口〜尼崎間で起きた列車横転脱線事故について、当サイト管理者、特急たからは事故から1ヵ月余り経った5月28日午後から、以下のとおり現地を訪れ、直接現場を見て調査を行った。
現場は、車両がすでに撤去され、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(以下単に「「調査委」と呼ぶ)による調査に供するため、レールの一部も撤去。横転の発生時に車両の一部が衝突してえぐり取られ、鉄筋がむき出しになったとされる架線柱(マスコミでは「電柱」と報じられたが、架線柱のこと)も撤去され、件の架線が片足で立った状態になっているなど事故直後とはすでにかなり様子が変わっている。列車が線路から逸脱したと推定される地点は白色のビニールシートで覆われ、入ることができなかったが、現場を見たいという遺族・負傷者の強い要望を受け、この日から列車の1両目車両が突入したマンションの住民によって献花台が設置された。この献花台の設置場所が、列車が線路を逸脱したと推定される地点にあり、筆者は献花の傍ら「運命の地点」に近づくことができるという幸運に恵まれた。
これから、その調査結果を写真を添えて報告することとするが、本稿をお読みいただくに当たり、いくつかご注意いただきたい点がある。調査委による原因調査及び捜査当局(兵庫県警察など)による捜査が続いている中、この報告は一鉄道ファンによる個人的な原因調査であり、政府の調査委及び関係当局とは無関係であること、この報告が中間報告的色彩の強いものであり、今後の捜査・調査委による調査の状況によっては一部変更される可能性を含んでいること、この調査は、当サイト管理者が鉄道ファンなりに鉄道の将来を考え、同様の事故の再発防止を願う観点から事故の原因を突き止めようとするためのものであり、決して興味本位によるものではないことである。これらの点にご注意いただいた上で、以下の報告をご覧いただきたい。
 

2005年5月28日
調査・報告 特急たから

 

福知山線の運転中止を告げる張り紙(尼崎駅)。2度とこんな事故を起こさないようにしてもらいたいものだ。

事故を起こした快速電車と同形式の207系。この車両の軽量ぶりが事故にどのように影響したかも本報告の課題である。(大阪駅で撮影)

1.事故の概要・現場到着まで
2005年4月25日午前9時20分頃、兵庫県尼崎市のJR福知山線・尼崎〜塚口間で、宝塚発同志社前行き上り快速電車の一部が脱線、マンションに突っ込み大破。乗客と列車を運転していた運転士の計107人が死亡し、460人が重軽傷を負った。鉄道単独事故としては、八高線列車脱線転覆事故(1947年2月25日発生、死者184人)、鶴見駅事故(1963年11月9日発生、死者161人)、三河島事故(三重衝突事故、1962年5月3日発生、死者160人)に次ぐ戦後4番目の大惨事となった。
事故現場は、現地での聞き取りによれば尼崎駅から徒歩でも15〜20分程度だというが、公共交通機関がないこともあり、今回、筆者はタクシーを利用した。現場に行くからには献花も必要だろうという思いから、尼崎駅前の生花店で生花を購入し、尼崎駅前で客待ちをしているタクシーに乗り込んだが、筆者が手に持った花を見て、運転手は行き先を告げなくても現場に行くものと解ったようだ。運転手に聞くと、現場に行きたいという人は事故直後よりは減ったが未だに結構いるとのことであり、生花店従業員も、未だに現場に花を供えたいと生花を購入する人が後を絶たないとのことだった。

2.現場にて調査開始

 (1)マンションを見る


1両目車両が突っ込んだマンションの1階駐車場。ここが駐車場でなくて居室だったら…と想像するとぞっとする。

1両目車両が突っ込んでいった地点だ。すでに線路の上ではなく、列車が完全に線路を逸脱したことが窺える。

この日は、マスコミに初めて現場が公開されたということで、NHKなどテレビ局、毎日・神戸などの新聞各社が訪れていた。右側の写真の奥に移っている白いテントの先に、今日から献花台が設置された。

 (2)速度超過の現場


半径308mの急カーブのまっただ中に当たる地点だ。調査委によりレールが撤去されている。護輪軌条(ガードレール)は設置されていないが、今回の事故の本質には影響はないとみられる。

運転士の間で「70kmへの減速をここまでに終えておくべき目印」として認知されていた高速道路高架橋。尼崎方を背にして撮影したもの。事故を起こした快速電車は写真奥から高架の下をくぐり事故現場に差し掛かった。

今回の事故の原因について、調査委は速度超過による転覆脱線との見方を強めている。脱線が起きた現場は半径308mの急カーブであり、時速70km制限だったが、死亡した運転士は108kmで運転していたとされている。一般論として、カーブで外側に飛び出そうとする力、すなわち遠心力は速度の2乗に比例するから、制限速度の1.4倍で走っていた快速電車には通常に比べて1.4の2乗、つまり1.96倍の遠心力がかかっていたことになる。左側の写真で、護輪軌条が設置されていないことがはっきりするが、護輪軌条は遠心力による車輪の真横への飛び出しを防ぐためのものであり、車輪がレールから完全に浮き上がってしまった今回の事故に限っていえば、護輪軌条が設置されていたとしても結果は同じであったと思う。

 (3)列車が線路から逸脱し始めた地点を見る


現場全体を見渡せる構図で撮影した写真。線路をふさぐ形で横向きに張られている2枚のビニールシートのうち、手前のビニールシートの付近で、列車のレールからの逸脱が始まったと推定される。

マスコミで報道された「電柱」に近寄ってみる。ここが、悲劇を決定づけた「運命の地点」と考えて間違いないだろう。ここを通過後、支えを失った列車は本格的に横転していったのだ。

マスコミでさかんに報道された「列車の衝突した電柱」は、右の写真を見るとわかりやすい。片足になっているが、間違いなく件の電柱である。架線柱はじめ鉄道建築物は、全て「建築限界」(注1)よりも外側に設置されるから、これに車両が衝突したということは、この地点で列車がすでにレールから逸脱するか、少なくとも浮き上がっていたことを示す証拠と見ていいだろう。

注1)建築限界…これより内側に鉄道建築物を設置してはならないとされる建築物設置上の限界位置。一方、車両側にも「車両限界」(車両の幅をこれ以上とってはならないとする限界値)が設けられており、この2つによって列車と沿線建築物との衝突を防いでいる。

 (4)カントについて


カント(2本の線路の高低差)は97mmであるが、素人目にもはっきり解る。

線路を真横から見た写真。こちらもかなりはっきり解る。

カントとは、2本の線路の高低差である。よく、サーキットなどでレーシングカーが高速のままカーブを曲がれるよう、すり鉢状をしているのを見かけるが、道路でも線路でも、高低差を設けることは遠心力を吸収する作用を持つ。すなわちそれだけ高速で曲線通過が図れるわけだ。
今回、事故があった現場のカントは97mmとされている。上の写真では、いかにも高低差が大きいという印象を受けがちであるが、日本の在来線の場合、狭軌(1067mm軌間)だから、おおざっぱにカントを100mm、軌間を1100mmとすれば傾きの角度は約4度(注2)といったところであり、実際にはそれほど大きいというわけでもない。カントが小さいということは、それだけ遠心力を吸収する作用も小さいということであり、カントで吸収できない過大な遠心力は、減速することによってしか軽減できないということである。つまり「速度制限」がより重要になってくるわけだ。

注2)直角二等辺三角形の3つの角が90度、45度、45度だから、単純に45度の11分の1として算出している。

 (5)列車横転のメカニズム
ここまで、現場を詳細に観察し、カーブの様子やマンション、運転士にとって減速の目印となるべき高速道路高架橋、そしてカントの大きさ等について考察してきた。どの地点から列車が線路を逸脱し始めたかについても、マスコミ報道を追う形ではあるが、ある程度現場を見て納得がいった。しかし、ここまで来てもなお解消せずに残っている素朴な疑問がある。「たかが通常の2倍」程度の遠心力でいともたやすく列車は脱線するものなのだろうか?
この点について、月刊「鉄道ジャーナル」2005年7月号(同年5月発行)に掲載されている列車横転のメカニズムについての記事が、私の中にあった疑問にひとつの回答を与えてくれた。この記事は、永瀬和彦・金沢工業大教授の執筆した横転のメカニズムに関するものである。鉄道ジャーナルの記事から永瀬教授の記事中の図6を転載したのでご覧いただきたい。
永瀬教授はこの記事の中で、垂直方向へ作用する重力と、水平方向へ作用する横力(遠心力)との合力のベクトルがカーブ外側の車輪よりも外に飛び出した場合に列車は横転することを解明する。図6で左側車輪の外へ向かって描かれた点線がそれであり、遠心力は強ければ強いほどこの点線をカーブ外側に向かって押し出そうとするから、遠心力を軽減させることが横転を防ぐ最も有効な手段であることは今さらいうまでもない。
ところで、見落としがちであるが、もうひとつ、横転防止に有効な方法がある。それは「重心を下げる」ことである。図6で描かれている重心をより低い位置へと下げてみれば、左側車輪の外に飛び出していた合力のベクトルを示す点線が車輪の内側へと移動することが解る。つまり横転を防げるわけだ。
では、重心を下げるにはどうしたらよいのだろうか? 図6に限らず、鉄道車両は線路からの衝撃が直接客室内に伝わらないようにするため、空気バネが装着されている。この空気バネというのは、圧縮空気を充填したゴム製のバネであり、これが乗客の乗り心地をよくする効果を持っているわけだ(観光地で運転されているトロッコ列車に乗ったことがある方は体験されたかも知れないが、貨車から改造されたトロッコ客車はバネを装着していないので、ゴツゴツした線路からの衝撃が直接身体に伝わってくる)
ところで、一般論としては、客室部分の重量が大きい方が車両の重心は下がることになる。空気バネにどの程度空気を充填してどの程度弾力性を持たせるかによっても重心の位置は変わるから単純比較はできないが、空気バネの性能が同じであると仮定した場合、客室部分が重い車両の方が、軽い車両よりも空気バネが押しつぶされた状態になり、重心の位置はより下がる。そして、重心の位置が下がれば、それだけ遠心力と重力の合力のベクトルは車輪の内側に移動することになるわけであるから、それだけ横転しにくいという関係が成り立つことが理解されよう。

 (6)車両軽量化がもたらしたもの
そろそろ結論に入らなければならないが、私たちは今、前述した(5)項で、重心を下げることも横転を防止する有効な手段であることを学んだ。車両軽量化が今回の事故に悪影響を与えたのではないかとする論調が一時さかんにマスコミを賑わしたが、この答えがイエスかノーかについては、ここまでの内容をご理解いただいた方には改めて申し上げるまでもないであろう。いうまでもなく答えは「イエス」である。
さて、今回の事故をもたらしたJRの「罪」を検証するため、最後に車両軽量化の動かぬ証拠を示しておこう。下の写真である。
 


関西地区で東海道本線普通列車に使用されている201系の重量(電動車)は41.7t。国鉄時代に製造された車両は、だいたいこれくらいの重量がある。

今回事故を起こした207系。電動車でもその重量はたったの32.0t!左の201系に比べ、実に10t近くも軽い。

車両の重量は、国土交通省令「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」によって車体に表記することが義務づけられている。
左の車両は国鉄時代に設計・製造された201系車両だ。車両の色こそ違うが、首都圏で中央快速線に使用されているオレンジ色の電車と同形式のものである。そして右側は今回の事故車両・207系。電車には走行用のモーターを積んでいるもの(電動車)とそうでないものとがあり、重量を比較するには電動車なら電動車同士でないと無意味なので、比較にはどちらも電動車を用いた。
ご覧の通りの結果である。国鉄時代に製造された車両に比べ、今回の事故車両・207系が実に10tも軽いことが解る。よくもまあこれだけ軽量化したものだと感心する。4分の3の重量になったわけだから、軽量化率25%にも達する。
この軽量化が何を意味するかは今さら申し上げるまでもない。軽量化すれば、それだけ車両の重心は高くなり、重心が高くなれば遠心力との合力のベクトルは外へ向く。つまり横転しやすくなる。この車両をさらに詳細に分析する必要はあるだろうが、一般論からいえばそういう結論になる。
このような事故調査に「もし」の仮定は禁物であるが、もしこれが207系でなく201系だったら…あるいはもっと軽度の事故で済んでいた可能性は大いにあると思う。

3.結論〜鉄道に未来をもたらすために
この軽量化をもたらしたのが、JR西日本の「利益第一主義」にあることは明らかだろう。「国民の足」の鉄道を「ビジネスの手段」に貶める。それが国鉄分割・民営化であることは当時から明らかだった。その民営化から18年…事態はとうとうここまで来てしまったのである。
全ての鉄道人たち、そして民営化で利益を得てきた経営陣にとりわけ強く警告しなければならない。先輩から後輩へ、安全思想を語り継ぐための「社会の公器」としてのシステムにしなければ、次の事故は遠くない未来に再び起こるであろう。社員を会社に従順な「社畜」「ロボット」にするための懲罰的日勤教育などに明け暮れている暇はない。安全思想を育み、共有していくことが鉄道人教育なのだという気概を、現場も管理者ももっと持たなければならない。そして私たち利用者も、「速くて安けりゃなんでもいい」のか? 断じて否である。
今回、このような大事故の直後にもかかわらず、JR西日本の社員は会社の処罰を恐れて声も上げられず、労働組合までも「箝口令」を出してそれに加担しているという。こんな鉄道会社では、この先、私たちの命はいくつあっても足りない。「果たして本当にこのままでいいのか」「もっと違う企業形態も必要なのではないか」が真剣に議論されなければならない。
今回の事故を、それを考えさせ、改革を促す契機にするべきだ。残された時間は、あまりない。

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