「儲けの ためなら何でもあり、そんな社会を変えよう!
ノーモア尼崎事故!生命と安全を守れ 4.12集会」 報告
早いもので、2005年の尼崎事故から、今年で4年を迎えるのを前に、2009年4月12日、尼崎市内で開かれた「儲けのためなら何でもあり、そんな社会 を変えよう!ノーモア尼崎事故!生命と安全を守れ 4.12集会」の報告です。
事故で娘さんを亡くした遺族・藤崎光子さん。相変わらずのJR「官僚体制」を批判した。
集会後は事故現場までデモ行進をした後、献花を行う。今年も多くの人が献花した。
集会は、この日午後1時半から、例年通り尼崎駅近くの小田公民館で行われました。冒頭、鉄建公団訴訟原告団・蓑田さんの挨拶の後、「兵庫県国労闘争団を守 る会」の松枝さんが開催挨拶を兼ねて報告を行いました。松枝さんは、事故対応した病院の看護師がその後PTSD
(心的外 傷後ストレス障害;異常な経験をした後、強いストレスによる心身症状が長期間持続する障害)
に陥り、労災申請したが受け入れられずに裁判闘 争になっている事例を報告。「労基署は、医療・看護職員はこのような現場に遭遇することも通常業務の一環であるとの理由でこの看護師からの労災申請を却下 する決定をした。私たちが、では医療・看護職員はどのような状態ならPTSDによる労災が認められるのかと聞いたら、労基署は『まぁ野戦病院くらいですか ね』と答えたがとんでもないこと。あのときの事故現場周辺病院は野戦病院と変わらない状況だった」と述べ、労基署の対応を批判しました。
松枝さんは、地元の労働安全衛生センターで役員を務めている経験も生かしながら、国鉄労働者の石綿(アスベスト)災害にも言及。「国労組合員らが多く収容 され た人材活用センターでは、多くの職員が貨車解体などの作業に従事していたが、当時の貨車には石綿が多く使われていた。今後、多くの国鉄労働者に石綿災害が 発生するのではないか。国鉄改革は、1047名の解雇以外にも多くの負の遺産を残した」と報告しました。
石綿災害は、石綿の粉じんを吸い込むことによって発生します。石綿粉じんは肺に付着した後は決して排出されることはなく、長期にわたって肺を蝕んでいき、 中皮腫など特有の労働災害を引き起こします。吸入してしまうと障害防止策がないため、あらかじめ呼吸用保護具を装着すること等が労働安全衛生法で定められ ています。しかし、労働法さえ守る気のなかった当時の国鉄当局が、人活センターの国鉄職員に必要な呼吸用保護具等を支給していたかはかなり疑問がありま す。当時の鉄道車両、特にブレーキシューなどには大量に石綿が使われており、保護措置が取られていなかった場合、石綿障害の潜伏期間は20〜30年のた め、これから多くの障害が発生してくることが予想されます。それにしても、医療・介護職員に対しては「野戦病院でもない限り労災認定しない」とは、労基署 の対応はあまりにも酷すぎます。裁判が起きるのも仕方がないと思えるし、この看護師の裁判を支援していくことも考えていかなければならないでしょう。
「JRに安全と人権を!株主・市民の会」の桐生さんからは、事故に対する刑事裁判の状況が報告されました。当初、2008年末と伝えられていたJR西日本 幹部らの立 件の判断が現在も行われていないことについて、立件が検討されている業務上過失致死傷罪が「予見可能性」を起訴の要件としていることが神戸地検の判断を遅 らせている原因だということが明らかにされました。予見可能性とは、1996年の東西線開通時に、現場のカーブが半径600メートルから300メートルに 変更された際、JR西日本幹部らがこの事故の発生を予見できる可能性があったかどうかという意味であり、専門性が要求される鉄道事故の捜査においてこの点 がネックになっている現状を報告したものです。
ちなみに、安全問題研究会は、@通過速度が同じである場合、曲線半径は小さいほど横圧=遠心力が大きくなるのが物理学上の常識であること、AJR西日本が 事故当時、現場のカーブを時速70km制限としていたが、この制限が廃止前の「普通鉄道構造規則」(運輸省令)第10条に定める半径250メートルの曲線 における制限速度(時速70〜90km)の下限値であったこと−−等の理由から、JR西日本幹部は現場の曲線半径が極度に小さいこと、従って大きな横圧= 遠心力が発生する場合があることを事前に知っていた可能性が高いと考えており、十分立件に耐えるものだと思います。
続いてJR労働者から、職場実態に関する報告。「事故後も職場内では小集団活動が精力的に進められており、その小集団活動にはコスト削減に関するものも含 まれている。会社は相変わらずコスト削減最優先の姿勢であり、変わっていない」として、JR西日本の「変化」が見せかけに過ぎないとの考えを明らかにしま した。
尼崎事故遺族でつくる「4・25ネットワーク」の世話人でもある藤崎光子さんは、事故当日である4月25日に尼崎で開催予定の「追悼と安全のつどい 2009」のポスターについて、JR西日本が掲示を許可したことはいいものの、「JR社員の方もぜひご参加ください」という当初の事務局案が「公共交通機 関に携わる方々」に書き換えを求められたことに触れ、「結局JR西日本は何も変わっていない」と現状を報告しました。
「JR社員」か「公共交通機関に携わる方々」かは些細なように見えますが、根源的で大きな違いだと考えます。「日本軍によって集団自決に追い込まれた人も いた」という記述と「自決した人がいた」という記述では全く違うのと、よく似ています。沖縄では一昨年、後者の記述に書き換えられたことが契機となり、教 科書歪曲に抗議する11万人集会へと発展しました。「主体を曖昧にする」という、官僚のあざといやり方に藤崎さんが反発したのは当然と言えます。藤崎さん は「言論統制、表現規制なんて独裁国家のやることだ」と、JR西日本を痛烈に批判しました。
JR西日本の「安全な会社へ向けた改革」は、あくまでそれが幹部の現在の地位に影響を与えないことを前提としている−−そのことがはっきりと見えるエピ ソードだと思います。安全な会社作りが少しでも自分たちの現在の地位に影響すると感じたら、この会社の幹部連中は改革を止めてしまうのです。もし彼らが安 全向上のために「保身」を捨てることができたとき、本物の改革が実現するのだということがよく理解できる本質的な報告だったと思います。
その後は、原告団事務局長の佐久間誠さんから、3月の高裁判決を受けた鉄建公団訴訟の今後の展開について報告がありました。尼崎市役所で、派遣社員の直接 雇用(非常勤職員化)を勝ち取った武庫川ユニオン、松下プラズマ・ディスプレイ社で偽装請負と闘う吉岡力さんからも報告がありました。松下の不当行為が職 業安定法44条に違反し、直接雇用に関する「黙示の契約」が成立するとした1年前の高裁判決は今、日本中の非正規雇用者を大きく励ましており、各地で違法 派遣状態に置かれた労働者が闘いに立ち上がっています。
集会後は例年通り、参加者で事故現場までデモ行進をしました。関西でこの事故が風化していないことは、デモ行進に対し、花見客からも歓声が上がったことに 示されています。事故の風化を許さず、安全を追求する闘いには世論からの支持も受けており、今後も重要な闘いとして継続していく必要があります。
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