シリーズ
「2010年代を展望する」〜その2・
時代錯誤の経産
省を乗り越え、地域活性化を!
安全問題研究会 黒鉄 好
昨年頃から、商業メディアでも取り上げられるようになった買い物難民問題。公共交通がなく、自動車の運転免 許もないため買い物にも出かけられない「買い物難民」の総数は600万人に上るとの試算がまとまった。その多くを地方在住の女性高齢者が占めるが、一部は 高度成長期に開発が進められた大都市近郊の大規模団地にも広がり始めているという。これら女性高齢者の多くはパソコン利用もできないため、インターネット 通販で買い物をすることもできず、対策は待ったなしといえる。
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経産省がまとめた研究会報告
「地域生活インフラを支える流通のあり方研究会〜地
域社会とともに生きる流通〜」という格調だけは高い題名がつけられた報告書は、買い物難民を「流通機能や交通網の弱体化とともに、食料品等の日常の買い物
が困難な状況に置かれている人々」と定義し、その数が600万人(日本の人口の約5%)にも上ることを明らかにした上で、「徐々にその増加の兆候は高齢者
が多く暮らす過疎地や高度成長期に建てられた大規模団地等で見られ始めている」と指摘する。
そして、「流通業のあり方が問われている」と問題提 起をし、流通業を持続的にするための3つのアプローチとして「イノベーション(技術革新)による課題克服」「地方自治体等の多様な関係者の支援」「地域コ ミュニティとの連携」を強調しながら、コミュニティバスや移動販売車による物品販売の促進などの先進事例を取り上げている。報告書からは、これらを今後の モデルケースにしようとする経産省の意図を読み取ることができる。
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そもそも地方を焼け野原にしたのは誰か
しかし、この報告書の内容以前に、筆者は経産省に問わなければならないことがある。買い物難民を生み出すま
でになった地方の疲弊をもたらしたのはそもそも誰なのかということだ。
1973年に制定され、地域の中小小売店を守る法律
として機能してきたのが「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」(大規模小売店舗法、通称「大店法」)だった。大型店が出店しよう
とする際には、大店法に基づき「大規模小売店舗審議会」が開催され、店舗面積、休業日数、営業時間等が適正かどうか審議される。表向きは大型店の出店差し
止めを行う権限は与えられていなかったが、大店法では、大型店の出店前に地元商工会議所の意見を聞くことが義務づけられており、商工会議所が意見を取りま
とめるための協議機関として商業活動調整協議会(商調協)が設けられていた。このため、地元商店街の商店主らが結束して大型店の出店に反対すれば、商調協
はいつまでもまとまらず、大型店の出店をいくらでも引き延ばすことができた。こうした反対運動の結果、大型店が出店を断念させられる例もあった。当時は地
域エゴなどといわれ商店主らが非難されることも多かったが、結果的に、地方の商店街はこうした闘いの中で、大型店を全国展開する大資本による「食い荒ら
し」を阻止してきたのである。
1989年から始まった「日米構造協議」で、米国は、こうした大型店に対する出店規制が、米国資本に対する
出店規制になっているとして、大店法の廃止を要求してきた。日本政府は、米国のこの圧力に屈し、ついに1998年、大店法は廃止になった。これ以降、日本
では大資本による大型店の出店が野放しになり、大型店によって中小小売店の客が根こそぎ奪われた。中小小売店は次々に消え、主要道路沿いに展開する大型店
にクルマで乗り付けて買い物をする米国型の消費スタイルに変わっていった。駅前商店街の「シャッター通り化」と地方公共交通の苦境は、大店法廃止の明らか
な帰結である。
「流通業のあり方が問われている」? 経産省は、自分たちの過去の行動を棚に上げ、何を寝ぼけたことを言っ ているのか。こんなくだらない報告書を書く暇があるなら、地方をボロボロにしたみずからの責任について総括せよ。
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時代遅れで反労働者的存在の経産省は不要だ
経産省は旧通産省時代から、他省庁の所管事項に横か
ら割り込み、最終的には仕事を横取りしてしまうことから「ケンカ官庁」などと揶揄されることが多かった。高度成長期にはその名が商業新聞やテレビに出ない
日のほうが珍しかった通産省も、経済界の規制緩和・自由化によってほとんど行政として介入できる分野がなくなり、最近では経産省の名がメディアを賑わすこ
とはほとんどなくなってしまった。故・城山三郎さんの小説「官僚たちの夏」(2009年夏にはテレビドラマ化された)のモデルにもなり、正式名称の通商産
業省をもじって「通常残業省」と呼ばれるほど忙しく日本の産業政策をリードしていた昔日の姿は、見る影もない。
2008年秋の「リーマン・ショック」から、全国に衝撃を与えた「年越し派遣村」を経て、「大企業は内部留
保を取り崩して、その原資で非正規切りをやめるべきだ」という主張が盛り上がりを見せていた2009年1月頃、経産省はまたも不穏な動きをした。雇用問題
に関する国会での政府答弁は、通常であれば厚生労働省が準備するが、「厚労省には弱者救済策はできても、雇用創出策を練る能力がない。雇用創出なくして、
雇用情勢の好転は望めない。ならば、産業政策とセットの雇用創出策はわれわれにやらせてもらう」と、経産省がしゃしゃり出てきたのだ。そして、経産省は、
本来の所管である厚労省を差し置いて、このような趣旨の政府答弁「原案」を用意したのである。
『内部留保は、過去の利益の蓄積であり、その多くは
生産設備などに再投資されている。これを使うには、設備を売却し現金化する必要がある。仮に工場を売却するならば、そこで働く従業員をクビ切りしなければ
ならず、逆に雇用を不安定化させる』――
「なぜ、経産省が雇用問題にしゃしゃり出てくるの
だ」と、ある厚労省幹部は苛立ちを露わにしたという。労働者派遣法の改悪を狙う厚労省に経産省を批判する資格があると筆者は思わないが、そもそも、最も過
酷な派遣切りをしてきたのは、自動車・電機など経産省が所管している業界である。経産省は厚労省に横やりを入れる前に、みずからが所管している業界に対し
て派遣切りをやめるよう指導するほうが先ではないのか。
こうした動きを見ていて思うのは、過去の遺物と化した経産省の醜悪さである。みずからが思いのままに業界を 支配してきた過去の成功体験から脱却できず、他省庁にケンカを仕掛けてはかき回し、挙げ句の果てに経済界だけが得をする。今こそ筆者ははっきり言わせても らう。「時代遅れで反労働者的存在の経産省など不要。大店法廃止の総括をしたら即刻解体せよ」と。
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「新しい公共」の担い手に正当な資金援助を
今回の経産省研究会
報告について報じた5月12日付け「毎日新聞」の記事は、しかし、浮かれるのではなく冷静に事態を見ている。『報告書で紹介される先進事例は、全国的に見
ると一部にとどまり、「住民頼み」のケースも目立つ。高齢化とともに「買い物弱者」は今後も増加するとみられ、取り組みを加速することが必要になる。この
ためには財政的な支援も欠かせないが、報告書は具体策には踏み込まない。景気低迷で税収が大幅に落ち込み、政府や自治体の財政が厳しい現状では、「買い物
弱者」対策の充実に向けたハードルは高い』という指摘は、現状の最大の問題点を誤りなく言い当てている。
筆者が当誌2010
年3月号で取り上げた新しい取り組みも、広がりを作りきれないでいる。何をするにも必要なのは人とカネだが、国・自治体などの公共セクターはカネも人もア
イデアもなく、青息吐息なのが実情だ。
NPO、NGOには
社会的意識の高い若者が集まってきているが、ここも資金不足にあえいでいる。筆者は、鉄道完乗などで地域を旅することも多く、こうした先進的取り組みをし
ている人と接することもあるが、そうした人たちの中には宝箱のような数多くのアイデアと、地域を何とかしたいという純真な思いが詰まっている。自己保身と
内部抗争に明け暮れる国や自治体など足下にも及ばないような優秀な人たちが「資金さえあれば、もっといろいろなことができるのだが…」というケースは全国
各地に転がっている。日本では「NPOやNGOなんてボランティアにでも任せておけばいい」という認識がむしろ多数派のようだが、こうした認識はそろそろ
全面的に改める時期に来ている。
将来「新しい公共」 を中心となって担うことになる、こうした良質な個人・団体に潤沢な資金を援助できるような制度設計も今すぐに必要である。そうした制度設計に当たって、過 去の行政に見られたような「国のガイドラインや指示に従う個人・団体だけに補助金を支給する」という狭くてケチな了見ではダメなことはもちろんである。
ひとつの提案だが、
市民や有識者で構成される補助金審査機関――例えば「補助事業審査委員会」のようなもの――を、どの省庁にも所属しない独立委員会として設け、優れた地域
の担い手に対する資金援助のための審査をこの独立委員会に担当させるような制度を設けてはどうだろうか。成功すれば、いずれは地域再生にとどまらず、苦境
にあえいでいる医療機関や福祉施設への補助金審査にもこの手法を広げる。新たな国民負担を求めることなく、ハコモノ行政や天下り「私益法人」に垂れ流され
ている補助金を省庁から引き剥がして有効活用する道が開かれる。多様性、自発性、独自性を持った個人・団体に対して正当な財政基盤を保障するこうした制度
設計こそが、2010年代の展望を切り開く――筆者はいま、そのように考えている。
(2010年5月24日 「地域と労働運動」116号掲載)