既存の価値観、逆転へ〜「縮小」受け入れ、労働者が尊重される豊かな社会を

 先月号の原稿の最後、筆者は「英国のEU離脱やトランプ当選の過程において、インターネットがもたらした「負の役割」についても述べる予定だったが、紙幅以前に筆者の気力が尽きたようだ。これらは新年早々に改めて論じる」と書いた。本号が読者のお手元に届く頃には、正月気分も遠くに過ぎ去っているに違いないが、当然のことながら、歴史の転換点となった2016年の政治的、経済的、社会的影響を離れて2017年を論じることはできない。筆者の力量でどこまで新時代を俯瞰できるかわからないものの、時代の潮流に翻弄されないようにするために、あえて困難にチャレンジしてみたいと思う。

 ●顧客重視から労働者重視へ〜「不便」受け入れる世論の変化

 2016年は、あらゆる分野で既存の価値観に逆転または逆転の萌芽が生まれた年だった。筆者は今、トランプ新大統領就任のニュースを横目に見ながらこの原稿を書いているが、このトランプ氏の大統領当選は、英国EU離脱と並んでグローバリズムから反グローバリズム、国際協調主義から自国優先主義への「反転」を示す最も象徴的な出来事である。

 例外的に安定状態にある日本国内に目を向けても、SMAP解散騒動をめぐって、芸能界に絶対的存在として君臨し、誰からのいかなる批判も受け入れなかったジャニーズ事務所が世論の手厳しい批判を浴びるなど、業界勢力図に重大な影響を与えかねない変化の萌芽が現れた年だった。だが、日本国内で最も大きな逆転は、なんといっても電通の若き女性労働者、高橋まつりさんの痛ましい過労自殺をきっかけに、「顧客重視」から「労働者重視」へ世論の潮流が転換したことだろう。

 小泉構造改革から郵政民営化の嵐が吹き荒れた2000年代は新自由主義の時代であった。便利であることが絶対の価値とされ、顧客第一のサービスを疑う者には容赦なく抵抗勢力のレッテルが貼られた。「俺はカネを払っているんだ。今すぐ対応しろ」とシャッターを蹴飛ばす客がいれば、たとえ深夜2時でも店を開けて対応しなければならないかのような、極端な「便利さ第一」「顧客サービス第一」の風潮が日本中を覆っていた。

 高橋さんの死をきっかけに、特にネット世論は大きく変化した。大手百貨店の「元日休業化」が報道されると、「正月くらい従業員は休むべき」「正月も休みなく働くのでは、何のためのおせち料理なんだよ」「リフレッシュもしないで客に笑顔なんて見せられるわけがない」など、10年前がウソのように、圧倒的な支持が寄せられたのだ。

 ネット世論だけではない。大手百貨店、三越伊勢丹HD(ホールディングス)が2018年から正月3が日の休業を検討していることが報道されたときのことだ。新年1月4日の東京MXテレビ『モーニングCROSS』が番組時間中に行った「小売業界が三が日に休むことに対して賛成か反対か」を問う視聴者アンケートで「賛成」の2133ポイントに対して、反対は333ポイント。回答者の実に86.5%までが三越伊勢丹HDを支持するという結果となった。5年前、いや1年前ですら考えられなかった劇的な意識の変化だ。

 インターネット通販の拡大によって右肩上がりで取扱量が増え、ドライバーの疲弊が極限に達している宅配業界に関しても同じような世論の潮流の変化が見られる。ネット世論から特にやり玉に挙げられているのが、宅配取扱量の2割を占める通販大手アマゾン社、そして同じく宅配業者の業務量の2割を占めるとされる「不在再配達」だ。「アマゾンは自社で流通網を作るべき」「再配達時間帯を自分で指定しておきながら、再び不在にするような迷惑顧客は営業所まで自分で荷物を受け取りに出向くか、別料金を払え」「客だからといって、何でも許されると思うな」など、ネット世論は10年前とは逆方向で次第に過激化しつつある。そのネット世論の「逆振れ」は好ましい方向への変化ではあるものの、あまりに急激かつ極端すぎ、見ていて怖くなるほどだ。

 2割もの荷物が不在再配達になっている背景に、共働き化によって深夜まで誰もいない家庭が増えていることが指摘されている。みんなが忙しく深夜まで働かされることが、次から次へと長時間労働の連鎖を引き起こしている。

 一方、外食産業では営業時間縮小の方向性がはっきりし始めている。大手ファミリーレストラン「ロイヤルホスト」が現在、唯一24時間営業をしている府中東店(東京都府中市)の営業時間短縮に1月末で踏み切る。これにより「ロイヤルホスト」の24時間営業店はなくなる。「ガスト」「ジョナサン」などのチェーン店を持つすかいらーくも昨年12月、987店舗のうち約8割に相当する750店舗で深夜営業を見直し、310店舗の深夜営業を廃止することを発表している。

 深夜営業縮小の背景には深夜帯における利用客の減少と人手不足の両面がある。深夜帯の利用客はかつてより減っており、人件費などのコストを考えると明らかに割に合わなくなった。深夜帯の営業を支える学生などのアルバイト要員も、若者の減少で次第に集まらなくなってきている。客も来なければ働き手もいない。まさに八方ふさがりで、深夜は店を閉める以外の選択肢がなくなったのである。

 確かに筆者の周囲で見ても、以前より飲み会は確実に減った。たまに参加する集会・デモでも、10年くらい前までは終了後、誰かが飲みに行こうと言い出したものだが、最近はそのまま解散することがほとんどになっている。高齢化で飲み会をするだけの体力・気力がなくなってきているのか、貧困が進行して飲み会をする経済的余裕がなくなってきているのか。そうした理由が複合的に組み合わさった結果の飲み会減少のように思える。

 もちろん、このような逆転の背景には労働力人口の減少という日本社会の構造的変化がある。人口ピラミッドが逆転した日本では、人口は高齢者ほど多く、若者ほど少ない。建設業、飲食・外食業、小売業、運送業のような、体力勝負で若者向きの業種から人手不足が深刻化しているのはこのためである。

 いずれにしても、「労働者をいたわり、適切な労働環境を提供するために、社会が一定程度、便利さを捨て、不便を許容すべきだ」という意見が、高橋さんの死をきっかけに一気にコンセンサスとなりつつある。要するに、今までの新自由主義的「働き過ぎ社会」の歯車を、一気に逆回転に持っていく絶好のチャンスが到来しているのである。

 それならばいっそ、日曜日(宅配業界は日曜以外の特定の曜日)を「安息日」にしてみんなが一斉に休業してはどうか。どこに行っても開いている商店も娯楽施設もなければ、みんなが1日中家にいるようになるから、宅配の配達時間の指定をする必要がそもそもなくなる。不在再配達がなくなれば、宅配便業者も業務量が減り、今までより休めるようになる。宅配が減ることでインターネット通販が今より不便になれば、実店舗で買い物をしようとする人が増え、雇用創出につながる(しかもそれは日曜日に休日が約束された良質の雇用となる)。

 ヨーロッパでは、施設や設備のメンテナンス業者でさえ週末は休むのが当たり前だという。ある日本人駐在員が、現地で手配された住宅で時々、水道からの水漏れがするので、業者のサービスマンに電話をしたが「うちも週末は休みですからね」と言われた。「週末に水漏れが起きたときはどうしたらいいのか」と駐在員が尋ねると、サービスマンから「元栓を閉めておけばいい」と言われたという。東京五輪誘致に尽力した特定有名人を批判するつもりはないが、日本人がいつまでも「お・も・て・な・し」をありがたがっているようではとても長時間労働などなくならないだろう。

 そのようにしてみんなが少しずついたわり合い、不便を許容し合う社会は、世間で思われているほど悪いものではない。

 ●深夜営業縮小の思わぬメリット

 日本独特の過剰なサービスである「深夜営業」を縮小することには、実は長時間労働の是正以外にも思わぬメリットがある。脱原発に大きく近づくことができるのだ。だが、深夜営業縮小がどうして脱原発につながるのか。「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じで、なかなかその関係にピンとこない読者諸氏も多いだろう。

 福島第1原発事故が起きるまで、日本は総発電量の3分の1を原発に依存していた。事故後、原発がほとんど稼働していないにもかかわらず、日本のどこでも電力不足による停電が起きていないことはご存じの通りだが、事故前の「3分の1原発依存」も、深夜営業の企業に支えられた虚構の上に成り立っていたのである。

 そもそも、火力、水力など他の電源と異なり、原発は出力調整ができない。かつて、臨界運転中の原発で出力調整ができないか、無謀な実験が行われたことがあるが、その結果は人類最大の悲劇といわれるチェルノブイリ原発事故だった。原発で出力調整をしてはならないという不文律を変えることはできないと、悲劇的な事故で人類は学んだ。

 出力調整ができない原発は、100%フル出力で運転するか、完全に停止させてしまうかの二者択一しかない。このため、冷暖房の不要な春や秋の深夜、電力需要が最も少なくなる時期に合わせて原発の発電量を決定し、冷暖房の必要な夏冬や昼間などに電力需要が大きくなれば、その超過部分を他の電源でカバーするというのが電力会社の手法だった。電力会社は、この虚構を維持するために、昼夜で別々の料金体系とし、電力需要の減る夜間の電力料単価を低く設定。「夜間に電力を使うとお安くなりますので、ぜひ工場や商店を夜間に稼働して電力を使ってください」と企業にセールスをかけることで、「電力会社にとっては」最も安い原発の電力を使わせてきたのである。

 原発をベースロード電源だとする経産省の宣伝にだまされてはならない。「ベースロード電源」としての原発は、しょせんはこの程度の虚構の上でしか成立し得ないのである(ちなみに、電力自由化で参入した「新電力」に昼夜別々の料金体系を取っているところが少ないのは、新電力には原発がないからである。原発以外の電源では需要に合わせて出力調整をすればよいため、料金体系を変えてまで無理に夜間需要を創出するような本末転倒なことはそもそも必要ないのだ)。

 外食産業を中心に、深夜営業をする店が減って行けば、夜間の電力需要も減る。夜間の電力は次第に余ってくるが、その大半を発電している原発は出力調整ができないため、電力が余れば余るほど、原発を使うことは難しくなる(ほとんどの原発が停止している日本では、再稼働を必要とする原発が次第に少なくなっていく)。捨て場所のない核のゴミのため、日本の原発は再稼働が強行されてもあと10年ほどで停止する運命にあるが、無駄な電力の浪費だった深夜営業の取りやめを通じて、その動きをさらに進め、脱原発に近づくことができるのである。

 このように考えてみると、1年中、朝から晩まで、盆も正月も宅配便を受け取る時間もないほど働き続けてきたのは何だったのだろうと改めて思う。安倍政権が進めるまやかしの「働き方改革」でなく、真に労働者の視点に立った、無理・無駄・ムラのない営業時間、労働時間短縮のための対策を行うならば、これまでとまったく違う新たな社会の姿が見えてくる。少なくとも今までよりいい社会であることは疑いがない。

 (筆者より:先月号で「英国のEU離脱やトランプ当選の過程において、インターネットがもたらした「負の役割」についても述べる予定だったが、紙幅以前に筆者の気力が尽きたようだ。これらは新年早々に改めて論じる」と予告した国際社会の潮流変化については、紙幅と筆者の気力が尽き、今号でも論じることができなかった。来月号こそこの問題を取り上げられるようにしたいと考えている。)

(2017年1月22日 「地域と労働運動」第197号掲載)

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