歴史の転換点となった2016年〜ディストピアの時代に希望を紡げるか?

 この号が読者諸氏のお手元に届く頃には、新年の足音が聞こえていることと思う。年末年始にゆっくりと読まれることの多いであろう新年号を、私はとりわけ重視している。過ぎゆく年に起きた様々な出来事を踏まえて新しい年はどのように動くか、またどのように希望をつなぎ、展望を持つべきかの考察に充てることが多いからだ。そのような意味で言えば、2016年という、ある意味では「特別だった1年」の出来事をきちんと回顧しておくことは、例年にも増して重要な課題である。

 ●歴史の転換点、2016年

 相変わらず無意味な停滞と閉塞感が続く日本国内はともかく、国際情勢に目を転じれば、2016年が歴史の転換点であったという評価に異論は少ないだろう。相次ぐテロと難民の大量発生、世界を驚かせた英国の国民投票におけるEU(欧州連合)離脱の意思表示、そして泡沫候補扱いされていた究極のポピュリスト、ドナルド・トランプの米大統領当選――。その背景、底流に共通するものを読み解いていけばいくほど、20世紀終盤における最大の歴史的転換点であった1989年――中国における天安門事件と東欧における社会主義圏の崩壊が連続した年――に匹敵する世界史的大変動の年であったことがはっきり見えてくる。それらひとつひとつを分析するだけでも本が1冊書けるほどの出来事を詳細かつ個別に分析することは、本誌の限られた紙幅の中ではできそうにないが、それでもいくつかのポイントをここで述べておくことにする。

 英国国民投票は、そもそも小さなボタンの掛け違いの連続だった。自由経済と所得再分配のどちらをより重視するかをめぐって、日頃は「剣線」(注)を挟んで激しくやり合う保守、労働の2大政党は、それでも最後までEU残留を主張したし、残留派の労働党女性議員が投票日直前に殺された事件も、残留派に同情が集まって勝利するだろうとの説に根拠を与えていた。福岡市出身で、1996年から英国に在住する保育士、ブレイディみかこさんによれば、投票日前日、郵便配達に来た顔見知りの郵便労働者はこう言っていたという。「俺はそれでも離脱に入れる。どうせ残留になるとはわかっているが、せめて数で追い上げて、俺らワーキングクラス(労働者階級)は怒っているんだという意思表示はしておかねばならん」と。

 また、英国のコラムニスト、スザンヌ・ムーアは「ガーディアン」紙上で次のように述べている。

 『「古いワインのような格調高きハーモニー」という意味での「ヨーロッパ」の概念はわかる。が、EUは明らかに失敗しているし、究極の低成長とむごたらしい若年層の失業を推し進める腐臭漂う組織だ。ここだけではない。多くの加盟国で嫌われている組織なのだ。それに、自分なりのやり方でグローバル資本主義に反旗を翻すためにも、私は離脱票を投じたくなる。が、2つの事柄がそれを止める。難民の群れに「もう限界」のスローガンを貼った悪趣味なUKIP(英独立党)のポスターと、労働党議員ジョー・コックスの死だ。……中略……だが、ロンドンの外に出て労働者たちに会うと、彼らは全くレイシストではない。彼らはチャーミングな人びとだ。ただ、彼らはとても不安で途方に暮れているのだ。それなのに彼らがリベラルなエリートたちから「邪悪な人間たち」と否定されていることに私は深い悲しみを感じてしまう』。

 「自分なりのやり方でグローバル資本主義に反旗を翻す」有権者たちの行動で、離脱派は勝利した。開票日の朝、ブレイディみかこさんは「おおー! マジか!」という連れ合いの一言で目を覚ました。件の郵便労働者に「まさかの離脱だったね」と言うと、彼は「おお」と笑ったという。離脱という投票結果に最も驚いたのは当の英国民自身だったのだ。

 ●実はあまり影響がない英国のEU離脱

 スザンヌ・ムーアから「多くの加盟国から嫌われ、究極の低成長とむごたらしい若年層の失業率を推し進める腐臭漂う組織」とまで酷評されたEUの基礎は、英国が離脱を決める前からすでに大きく揺らいでいた。反グローバリズム、反緊縮財政を掲げたギリシャでのSYRIZA(急進左翼連合)の政権獲得、イタリアにおける新興政党「五つ星運動」の台頭など、その兆候はいくつも指摘することができる。しかし、実際のところ、英国の離脱がEU諸国の経済に何らかの危機をもたらすかといえば、それほどでもないような気がする。

 EUの危機が、とりわけギリシャやイタリアなど、経済力の弱い国で最初に起きたことは、事の性質をよく物語っている。そもそも物価とは、貨幣と財・サービスとの交換価値を示すものであり、アダム・スミスが述べたように、重要と供給の力関係によって市場で決定される。ドイツのような経済力の相対的に強い国と、ギリシャやイタリアのような経済力の相対的に弱い国とでは、生産力にも大きな違いがあるのだから、本来は経済力の違いに応じて別々の通貨が使われるのが当然だ。各国の国内で、財・サービスと貨幣の交換価値である物価が市場を通じて適切に調整され、国と国との経済力の格差は通貨と通貨を交換する外国為替市場で調整される――現代世界の、それぞれの国民国家の内部において、財・サービスに適正な物価をつけることを可能にしてきたのはこのような二重の調整システムである。

 EUによるユーロへの通貨統合は、それまでの世界で常識であったこの二重の調整システムに真っ向から挑戦するものであった。経済力も、その基礎をなす生産力もまったく違う国同士が共通の通貨を使用することは、この二重の調整システムを否定するという根本的で重大な矛盾をはらんでいた。加盟国間の経済力の格差を放置したまま通貨だけを統合すれば、物価をどの水準に置いたとしても、「ある国では経済力と比較して物価が安すぎ、別のある国では経済力と比較して物価が高すぎる」という問題が発生する。この問題は、EU加盟国ごとに中央銀行を置き、それらが独自に通貨供給量を決められるようにすれば解決できるが、このような形で各国が発行する独自のユーロは、同じ名称でも米ドルと香港ドルがまったく別通貨であるように、もはや共通通貨ではなくなってしまう。ユーロ圏において通貨供給量を決めるのがブリュッセルの欧州中央銀行だけという状態では、この問題を根本的に解決することはできないのである。

 EU発足と通貨統合のためのマーストリヒト条約に署名した各国首脳もそのことは理解していたが、加盟国間の国境をなくし、ヒト、モノ、カネの移動を活発化させることを通じて、経済力の格差もいずれは解消すると期待して、積極的に問題を将来世代に先送りしたのだと思う。

 しかし、その期待、希望的観測は見事に外れた。国境が消え、ヒト・モノ・カネの移動が活発化しても、そのことだけで民族、言語、宗教、生活習慣などの違いが消えてなくなるほど世界は単純ではない。実際の経済は、こうした要素をはらんだ人々の意識の中で、従来の国民国家の枠組みをある程度残したまま動く。EUの制度設計をした人たちがそのことに対し、あまりに無頓着すぎたことがこの問題の根源にある。その意味で、ユーロ圏の経済危機は当初から予想されていたのであり、起こるべくして起きた出来事であった。

 英国が結果的に賢明だったのは、通貨統合に参加せず、独自通貨ポンドを捨てなかったことである。EU残留、離脱いずれの道を選択しても、前述した二重の調整システムを通じて財・サービスに適正価格をつけられるシステムを英国は温存していたからである。ポンドとユーロの間の格差は、これまで通り外国為替市場のレートを見るだけでよいのだ。

 ●エリート支配への怒りを組織できない左派

 まだ記憶に新しい、米国のトランプ勝利にも言えることだが、従来の常識を覆すこのような「番狂わせ」の背景には、エリート、エスタブリッシュメント支配に対する非エスタブリッシュメント層の反乱がある。「支配層がいいように政治を私物化し、自分たちを疎外している」という怒りが、うねりのように既成政治を倒したのである。ドナルド・トランプ個人の資質も「政権担当能力」も、そこで問われた形跡はない。

 歴史に仮定は許されないが、もし民主党がヒラリー・クリントンでなくバーニー・サンダース上院議員を大統領候補としていたら、大統領選はまったく違った結果になっただろうという論評は多くの人々の共感を得ている。実際、トランプとサンダースの支持層はかなりの程度、重複していたし、サンダースが民主党予備選に勝てず、大統領候補となれなかったことで、トランプに鞍替えしたり棄権したりした非エスタブリッシュメント層もかなりの数に上るとされる。

 『ドナルド・トランプは支配勢力の左右する経済・政治・メディアにあきれて嫌になった没落する中流階級の怒りと響きあった。人々は、低賃金が嫌になり、然るべき支払いのある仕事口が中国などの外国に行くのを見ているのが嫌になり、億万長者が連邦の所得税を支払わないのに嫌になり、そして子供たちが大学へ行く学費の余裕もないのに嫌になっている。それにも関わらず、大富豪はさらにリッチになっているのにあきれているのだ。

 トランプ氏が、この国の労働者家族の生活をよくする政治に誠実に取り組むならば、それに応じて私と、この国の先進的勢力は協力する用意がある。人種主義者、性差別主義者や外国人ヘイト、そして反環境主義の政治の道を行くならば、我々は精力的に彼に反対して行動するだろう』。

 これは、トランプ勝利を受け、サンダースが発表した声明である。これを見ても明らかなように、サンダースは移民排斥政策以外でほとんどトランプに批判らしい批判をしていない。それどころか、トランプが移民排斥をやめ、上流階級以外のための政治をするなら協力するとまで述べている。一方で、民主党予備選期間中のサンダースは、クリントンに対しては、次のように厳しい批判を加えているのだ。

 『クリントン長官は、上院議員だった2002年10月に対イラク開戦承認決議案に賛成した。北米自由貿易協定(NAFTA)や環太平洋経済連携協定(TPP)の支持者でもある。その上、自身のスーパーPAC(政治資金管理団体)を通じてウォール街から1500万ドルももらっている人に、大統領になる資格があるとは思わない』。

 今回の米大統領選がどのような構図で戦われたかを、これら一連のサンダースの発言はよく物語っている。これではどちらが自党の候補者で、どちらがライバル政党の候補者かわからないほどだ。

 既成政党が左右を問わずエリート支配に堕し、貧困層の受け皿でなくなっている状況が、英国だけでなく米国でも共通の課題であることが浮き彫りになった。選挙の対立軸がかつての左右から「上下」に移っていることが示された。『レイシストではなくチャーミングで、不安で途方に暮れている労働者層が、リベラルなエリートたちから「邪悪な人間たち」と否定されていることに深い悲しみを感じる』というスザンヌ・ムーアの指摘はここでも完璧に当てはまる。上から目線で大衆蔑視のイメージを払拭できなかったクリントンは、旧態依然としたエスタブリッシュメント層を代弁する候補者として強く忌避されたのである。

 翻って日本ではどうだろうか。次第に米英両国に近づいてきている印象を筆者は受ける。自民、民進両党の指導部(末端の議員や党員全体を指すのではなく、あくまで指導部)がどちらも貧困層軽視、グローバリズムと原発推進であること、党対党の対立よりも、党内部における指導部と末端議員・党員との対立のほうが先鋭化して見えることなど、実によく似ている。そもそも、米英両国を範として「政権交代可能な保守2大政党制」を目指してきたのが55年体制崩壊後の日本政界であった。その意味で、日本の政界風景が米英両国に似てくるのは必然といえよう。

 篠田徹・早稲田大教授は、米国では組織の枠組みを超え、地域で雇用政策などの新しい動きが生まれているとの山崎憲氏(労働政策研究・研修機構主任研究員)の指摘を受け「関係者をすべて横でかき集めるという「ステークホルダー」という考え方。関係者がみんな集まって解決していくというのは世界的流れになりつつある」としている(「労働情報」誌第949号より)。日本でも、左右対立を軸とした従来の政治感覚をそろそろ抜本的に見直して、上下を軸に政治を展望することが必要な状況になってきている。

 ●飯も食えないグローバリズムより食えるナショナリズムへ

 英国のEU離脱とトランプ勝利にはもうひとつ、避けて通ることのできない重大な共通点がある。「飯も食えないグローバリズムに殺されるくらいなら、飯を食わせてくれるナショナリストに国を委ねた方がましだ」という非エスタブリッシュメント層の意思を、新たな国際的潮流として確定させる効果を生みかねないことである。

 トランプが「米国は世界の警察官から降りる」と宣言し、国際社会に権力の空白が生まれつつある。巨大な資本主義戦争マシーンである米国が世界のあちこちに軍事介入をしてきたこれまでのやり方を見直すことは、反戦運動を戦ってきた諸勢力にとって確かに歓迎すべき出来事だろう。だが、筆者には、この権力の空白が第2次大戦直前期に似ていて、そこに一抹の不安を覚えるのである。

 米国がモンロー主義(非介入主義)を唱えた第1次大戦後、世界には現在と同じように権力の空白が生まれた。そのような権力の空白に加え、第1次大戦敗戦の結果としての天文学的な負債、そして失業者が700万人に上る未曾有の経済危機がナチスとヒトラーを政権の座に就けた。ユダヤ人を排斥する一方、アウトバーン(高速道路)建設を中心とした公共事業を通じて失業者を600万人から50万人に激減させた。ヒトラーは、当時の貧困層には決して手の届かなかった自動車保有の夢をかなえるため、ポルシェに命じて大衆車フォルクスワーゲンを開発させた。ある元社会民主党員の女性は「少しでもナチスに異議を唱えると、『ヒトラーが成し遂げたことをぜひ見てほしい。我々はまた以前のようにたいしたものになっているのだから』と決まって反論された」と当時を振り返っている。

 安倍首相は、麻生元首相に指摘されるまでもなく、すでにナチスの手法をじゅうぶんに真似ている。アベノミクスを通じて大規模な公共事業をオリンピックの名の下に興すことで、実際、失業者を減らした。ヒトラーが、自由市場経済の原則をものともせず、企業に命じてフォルクスワーゲンを作らせたように、安倍首相も企業に命じて賃上げや残業減らしに躍起となっている。メディアを総動員した“ニッポン凄い”キャンペーンによって「我々をまた以前のようなたいしたもの」にしようとする姿は、まさにヒトラーと二重写しだ。

 一度は政権を投げ出した安倍首相を再び政権に返り咲かせた要因は単に野党のふがいなさだけにあるのではない。「飯も食えない国際協調とグローバリズムから食えるブロック経済とナショナリズム」への国際的潮流の変化を抜きにしてそれを語ることはできないだろう。野党のみならず、自民党内からも安倍首相の対抗勢力が現れない理由、国際的には死んでしまった新自由主義にいまだ指導部がしがみついたままの民進党が凋落の一途をたどっている理由について、このように考えると納得がいく。安倍首相が権力を奪取したというより、時代が安倍首相を捜し当てたのである。その意味でも2016年は、10年後の世界から歴史的転換点として、はっきり記録される年になると思う。

 この他、英国のEU離脱やトランプ当選の過程において、インターネットがもたらした「負の役割」についても述べる予定だったが、紙幅以前に筆者の気力が尽きたようだ。これらは新年早々に改めて論じることにしたい。

 読者諸氏にとって、新年が安穏な年となることを願っている。

注)英国議会では、正面から見て右側に与党、左側に野党が座る形で向き合って議論する。両者の真ん中には1本の線が引かれていて、互いにどんなに議論が白熱してもその線より前に出てはならないとされる。かつて、議員が剣を身につけていた時代にこの線が引かれたことから、この線が“Sword Line”(ソードライン、剣線)と呼ばれるようになったとの俗説がある。余談だが、英語には“Live by the sword, die by the sword.”(剣によって生きる者は剣によって滅ぶ)ということわざがある。

(2016年12月17日 「地域と労働運動」第196号掲載)

管理人の各所投稿集ページに戻る   トップに戻る