原発推進、日の丸掲げる電力総連は労働者・市民の敵だ
脱原発も打ち出せない御用労組は今すぐ解散せよ

 ●脱原発のうねり、地方から

 10月16日に投開票された新潟県知事選挙の結果に、私は大いに驚かされた。東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に否定的な考えを示していた医師・弁護士、米山隆一候補がよもやの当選を果たしたのである。

 柏崎刈羽の再稼働を巡っては、「福島第1原発事故の検証が先。それなくしての再稼働には応じられない」としていた泉田裕彦・前知事が不可解な不出馬表明をしたのが9月のことだった。県の第三セクター子会社が「日本海横断航路構想」で使用予定の船の購入契約を巡るトラブルで、地元紙「新潟日報」が県の主張を紙面に載せず、一方的な県政批判を繰り返している――というのが撤退理由だった。

 もし事故を起こせば北陸・信越地方全体が壊滅状態になりかねない柏崎刈羽原発の再稼働に比べれば、率直に言って「取るに足りない、ささいな問題」でしかない「船購入問題」での泉田知事の4選出馬撤退の背景に原発を巡る問題が潜んでいることを、泉田知事から言及がなくても誰もが感じ取っていた(余談だが、新潟日報を巡っては、2015年、水俣病訴訟弁護団長を務める高島章弁護士に対し、報道部長がツイッターで誹謗中傷を行い、処分を受ける事件もあった。企業や強者に優しく、弱者に冷たい新潟日報の体質が「泉田潰し」の背景にあると見られても仕方がない)。

 泉田撤退を受け、柏崎刈羽原発の再稼働を狙う自民・公明の与党は、森民夫・元長岡市長の擁立を早々と決定した。一方、脱原発県政の継続を願う市民団体などは「泉田後継」候補探しに動いたが難航。元経産官僚の古賀茂明氏らの名前が浮かんでは消えた。ようやく米山氏の擁立が決定したのは、告示6日前という慌ただしさだった。

 民進党新潟県第5区支部長だった米山氏を、民進党が次期衆院選の候補として予定していたという話もある。今回の知事選出馬に当たって、米山氏は自分が所属する民進党からの推薦が得られず、民進を離党して出馬。共産・社民・自由(旧生活の党)3党による変則的な野党共闘態勢となった。

 告示直後の与党陣営には森氏の楽勝ムードさえ漂っていた。米山氏の擁立決定は告示6日前、その上民進抜きによる「ミニ政党共闘」しか成立せず、自民〜維新〜民進と渡り歩いた米山氏には、当初「原子力賛成」などと発言していた過去もあったからだ(実際、2012年12月2日付の「しんぶん赤旗」は、こうした米山氏の発言を「無責任な弁明に終始」などとして手厳しく批判している。なお、こうした過去の発言について、米山氏は「私が間違っていた」として誤りを認めた)。

 選挙戦も終盤になって、独自調査で「米山氏が猛追」との結果を得た自民党は、二階俊博幹事長が泉田氏と会談、米山氏の応援に出向かないよう釘を刺すなど必死の巻き返し工作を行った。「共産党推薦の米山氏が知事になると県庁に赤旗が立つ」「中央との太いパイプを持つ森氏で新潟県の発展を」など、昭和の55年体制当時かと思うような下品な反共攻撃を法定ビラや新聞意見広告を通じて行った。

 だが、ふたを開けてみれば、結果は下馬評を覆す米山氏の勝利。しかも森氏に6万票もの予想外の大差をつける地滑り的勝利だった。自民党が本部主導で行った米山氏への古色蒼然とした反共攻撃はまったく効果がなかったどころか、新潟県旗がもともと赤色であることが地元関係者によって明らかにされるなど、森陣営が文字通り「赤」っ恥をかくだけの結果に終わった。「県知事選が事実上の“原発県民投票”になってしまった」と、ある新潟県の自民党関係者は肩を落としたという。

 福島第1原発事故直後から、即時脱原発を訴え講演活動を繰り返している小泉純一郎元首相は、鹿児島県知事選での三反園訓氏の当選に続き、知事選で相次いで脱原発派が当選する状況に、「地方からうねりが起き始めた」と述べたと伝えられる。小泉元首相が在任中に犯してきた様々な罪(格差拡大、郵政民営化、イラク戦争支持など)に対して、言いたいことは山ほどある。ただ、こと脱原発に限って言えば、小泉元首相の主張するとおり、地方から保守層も含めた幅広いうねりの兆候が、はっきり見え始めたのではないだろうか。

 ●原発推進、野党共闘破壊者としての連合

 それにしても、驚くのは連合の対応だ。民進党が米山氏を推薦しなかったのは、電力総連・東電労組を傘下に抱える連合新潟が反対したからである。連合新潟は、この選挙で森氏を推薦。原発再稼働に反対する市民の敵対者としてはっきり立ち現れるに至った。

 続いて10月23日に行われた衆院の2つの補選(東京10区、福岡6区)では、いずれも自民系候補が当選、「新潟ショック」の再現はならなかった。東京では、民進党推薦候補は小池百合子都知事直系の若狭勝候補に大差で敗北。福岡では、自民系候補が党本部推薦、県連推薦の2人に分裂したにもかかわらず、民進党候補は3位に沈んだ。

 東京10区補選では、共産党が候補者を擁立せず民進党候補に一本化こそしたものの、他党の推薦は受け付けないというのが民進党の姿勢だった。民進、共産、社民、自由の4野党幹部が並んだ合同演説会には、あろう事か候補者本人が姿を見せなかった。「原発反対の政党との同席は認めない」との方針で、連合東京が候補者を演説会に参加させなかったのだ。さらに、連合東京は民進党候補の選挙事務所から運動員を引き揚げることによって野党共闘を上から破壊した。

 福島第1原発事故後、市民の間で大きなうねりとなった脱原発の動きに、電力総連を傘下に抱える連合がたびたび抵抗するのは今に始まったことではない。2012年5月、「将来の原発ゼロ」方針を決めた当時の民主党政権に対し、東京電力労働組合の新井行夫委員長は「裏切った議員には報いを受けてもらう」と発言した。原発ゼロに賛同した民主党議員の選挙支援打ち切りを表明したのだ。

 原発事故が起きた福島でも事情は変わらない。事故直後の2011年10月に開催された定期大会で、連合福島は「原発の在り方に関する議論を中心に据えれば組織の分裂につながりかねない」と脱原発宣言はおろか、議論さえさせなかった。

 農業以外に目立った産業のない福島では、労働組合が組織されるような企業が少なく、官公労と並んで電力総連が連合の一大勢力だ。県内各地域の連合組織の多くは電力労働者が役員をしており、電力政策に物が言いにくい雰囲気は他の地域より強い。影山道幸・連合福島会長(当時)は「脱原発、原発推進という対立する議論をすべきではない」と発言したが、脱原発を今議論しなくていつするのだろうか。

 福島県議会で提案された、県内原発全基廃炉を求める決議案は、自民党も賛成して全会一致で採択された。2013年2月、原発立地道県議会議長を招き、自民党が党本部で開催したエネルギー戦略問題調査会では、再稼働一辺倒の議論に怒った斎藤健治・福島県議会議長が途中退席して抗議した。「福島第1原発はいまだに鉄骨むき出しで、3号機はいまだ高線量で近づくこともできない。原発はひとたび事故が起きれば収束まで何十年かかるかわからないというのに、一部の道県からは、今年の冬は寒く、電力需要が逼迫したから再稼働の道筋を示せなどの意見が出た。再稼働ありきの話し合いにはとてもついて行けない」と、斎藤議長は「怒りの退席」の理由を語っている。「震災直後、福島第1のある大熊町や周辺地域に何度も行った。何十頭もの牛が餌も与えられず、牛舎につながれたまま死んで腐敗していた。地獄だった。原発を推進してきたことを素直に反省せざるを得なかった」と、東日本大震災当日まで福島第1原発7、8号機の建設のために奔走していた自分自身に対する反省も口にした。脱原発を願う福島県民が、自民党県連とは手を結べるのに、連合福島とは手を結べないという奇妙な状況が生まれている。

 2014年4月には、北海道函館市が、対岸の青森県に建設が予定されている大間原発の工事差し止めを求める訴訟を、電源開発を相手取って起こした。地方自治体による初めての原発建設差し止め訴訟として注目を集めたが、ここでも連合・電力総連は原発推進の醜悪な姿をさらけ出した。函館市当局が市議会に提案した提訴承認を求める議案の採決で、北海道電力労組出身の1人を含む2人の市議が退席、賛成しなかったのだ。一方、函館市議会自民党はこの議案に賛成。市長記者会見に同席した松尾正寿市議会議長(自民、当時)も「市長をバックアップしていきたい」と訴訟支援を表明している。

 保守合同による55年体制成立以降、60年近くにわたって政権与党の座を独占してきた自民党は、良くも悪くも国民世論を読む能力に長けていて、時の国民の求めに応じて柔軟に政策を変更してきた。このことが自民党の強さの源泉でもあった。中央はともかく、地方では今なおそれなりに柔軟な自民党に対し、連合の硬直した姿勢を対置してみると、連合・民進党がいつまで経っても自民党に勝てない理由も見えてくる。脱原発を切実に願っている市民と労働者にとって、これではどちらが味方か敵かわからない。

 ●大会会場に日の丸掲げる右翼御用労組

 電力会社の労働者で組織する電力総連がどれほど醜悪な組織かについて、多くの説明は不要だろう。論より証拠、まずはこの写真をご覧いただこう。



 この写真は、今年9月7〜8日にかけて行われた電力総連第36回定期全国大会のものだ。左上に注目いただくと、驚くことに日の丸が掲げられている。

 職場の労働組合から闘いの世界に入った筆者にとって、労働運動は人生で最も長く見続けてきた分野だが、これまで、大会会場に日の丸を掲げているのは、私の知る限り、電力総連のほか、JAL(日本航空)の多数派労組、JALFIOくらいだ。

 2010年、民主党政権下でJALが会社更生法適用を受け経営破たん。会社に批判的な日本航空乗員組合、日本航空キャビンクルーユニオン(CCU)を中心に165名の労働者が整理解雇された。被解雇者の中には、病気休職中などの理由でJALFIOの組合員も含まれていたが、JALFIOはこれら労働者を助けるどころか、何もせず見殺しにした。「なぜ労働組合なのに、JALFIOは被解雇者を助けなかったのか」などという質問はするだけ野暮というものだ。彼らが顔を向けているのは組合員・労働者ではなく国家そして財界・自民党だからである。

 電力総連も同じだ。原発停止が長引き、そう遠くない将来、労働者の大規模なリストラが必要になるときが来るかもしれない。そのとき、電力総連が労働者に対してどのような態度をとるかは、同じ「日の丸御用労組」JALFIOを見れば想像できる。解雇されてゆく労働者を助けることもせず、むしろ会社と一体になって被解雇者を虫けらのように踏みつぶすだろう。

 大会会場に日の丸を掲げる労働組合など労働組合の名に値しない。心ある電力総連組合員は、今こそ国策と一体化して原発推進を続ける右翼御用執行部を打倒し、壇上の日の丸を引きずり下ろすべきだ。

 小泉元首相が、11月4日、新潟県内で開かれた講演会で、「(民進党は)不思議な組織だ。電力総連なんて、たかだか50万票程度だろう。そんな票にこだわって、なぜ脱原発を願う500万、5000万の市民の票を取りに行かないのか」と発言したと伝えられる。同感だ。今年7月に行われた参院選で、電力総連顧問の小林正夫候補は確かに民進党全国比例区のトップ当選を果たした。しかしその得票は小泉元首相の見立てた数字の約半分、27万票だ。電力総連組合員が約22万人であることを考えると、彼らが自分たちの家族の支持さえまともに獲得できていないことを示している。投票率が50%程度であることを考慮に入れても、電力総連組合員の配偶者や子どものうち、組織内候補に投票した人はせいぜい半分程度だろう。

 一方、今年6月に行われたAKB総選挙における1位の指原莉乃さんの得票は24万3千票。投票率も選挙制度も異なるため単純比較はできないが、電力総連の集票力などしょせんはAKBと同程度だ。民進党や連合が電力総連をなぜそれほどまでに恐れるのか、筆者はまるで理解できない。民進党と連合は、内部に巣食う原発推進の右翼御用労組を叩き出すべきだ。

 ●賃上げも36協定上限も安倍政権が実現?

 労働組合の「本来業務」である労働条件の維持改善に関しても、このところ連合はお株を奪われっぱなしだ。バブル崩壊以降の「失われた20年」の間、労働者の給与は右肩下がりが続いてきた。もちろん、20年間、一貫して労働者の給与が下がり続けたのは日本だけである。

 アベノミクスによる「景気回復」を受け、2015年の春闘では安倍政権が財界に異例の賃上げを要請。ごく一部の大企業に限られているが、久しぶりの賃上げが実現した。2016年春闘でも、引き続き安倍政権の要請を受け、2年連続の賃上げに踏み切った企業もわずかながら存在する。

 最近起きた電通での痛ましい若手女性労働者の過労自殺を受け、36協定に上限を設ける方向での議論も、安倍政権の主導で始まった。安倍政権が進める「働き方改革」には、残業代ゼロ法案など労働者にとって許しがたい改悪も含まれている。しかし、労働基準法では本来、残業は禁止であり、労使で労働基準法36条に基づく協定を結ぶことによってようやく認められている例外だ。その36協定に上限を設けようとする方向性それ自体は前進というべきだろう。

 労基法制定当時、36協定に上限が設けられなかった理由は、労働者の代表である労働組合が、よもや青天井に残業を許容するような36協定を会社側と結ぶことなど起こりえないという、立法者の純粋な思いがあったからだろう。

 だが、企業の「第2人事部」と化した御用組合によってこうした立法者意思はいとも簡単に破られ、36協定は残業規制としてまったく機能しなくなった。労働者の過労死、過労自殺は労働組合も共犯だ。しかも、36協定に上限を設けようと言い出したのが労働組合側でなく安倍自民党政権であったところに、私たちは、日本の御用組合の底なしの腐敗を見るのである。改めて問おう。日本の、とりわけ連合傘下の労働組合はいったい何をしているのか。それ以前に彼らは誰の味方なのかと。

 ●権力から「頬ずりしたい」と言われて四半世紀

 今年7月の参院選挙後、民進党に対し「左」からの風当たりが強まっている。ネット右翼など「右」からの批判は、民主党政権当時からの「風物詩」であり今に始まったことではないが、「左」からの批判は従来、それほど強くはなかった。

 民進党(旧民主党を含む)に対する「左」からの批判は厳然と存在していたが、それが顕在化しなかったのは、安倍1強に対する歯止め、そして改憲阻止という「最後の役割」が民進党に期待されていたからだろう。民進党内右派を中心に改憲派も多く存在することを根拠として、参院選前から改憲派の3分の2なんてとっくに突破されていた、と冷ややかに見る向きもある。しかし、日本の議会は国会、地方議会を問わず「党議拘束」という縛りがあり、改憲派議員であっても執行部が「改憲阻止」を掲げる以上、それにしたがって行動しなければ除名などの制裁を受ける恐れがある。したがって、一部に見られるそのような論評は、必ずしも正しいとはいえないのである。

 7月の参院選が、歴史の転換点ともいうべき重大な結果になったのは「党議拘束」による縛りを考慮してもなお、改憲派が衆参両院で3分の2を突破するという戦後初の事態を迎えたからである。そして、それを阻止できず「最後の役割」も果たせなかった民進党が、従来の「右」に加え、「左」からも「用済み」と判定されることになった。民進党が、ここに来て「野党共闘の破壊者」などとして「左」からの容赦ない批判にさらされることになった背景にこのような事情があることは間違いない。

 冒頭に取り上げた新潟県知事選、そして衆院東京10区、福岡6区の両補選の結果は、民進党の公認や推薦の看板が「付かなければ勝ち、付けば負ける」という、いわば「負のブランド化」状況にあることを示すものとなった。民主党政権崩壊以降、相変わらず党内対立が続き、主要政策に関して明確な見解を打ち出せない民進党への有権者の強烈な忌避感情は継続しており、安倍政権が安定的に存在していられるのもこの民進党への忌避感があるからである。逆説的に言えば、民進党こそが安倍政権を安定化させ、事実上、支えているのであり、安倍政権を倒すには民進党に解党してもらうのが最も早道ということになる。党内対立を恐れるあまり、まともな綱領ひとつ制定できない民進党はこのあたりで解党し、党内右派は自民党へ、左派は社民党へ再合流すべきだと考える。

 連合も同じ状況だ。野党とりわけ共産党との共闘に踏み切った民進党に反発する連合内部の右派労組の組合員からは、安倍政権による賃上げ以降「自民党に投票したい」との公然たる声が出ているという。すでに共産党との共闘に反発して化学総連が連合から脱退、JAM(ものづくり産業労働組合。旧機械金属)などの民間右派労組も続く構えを見せる。

 組織外部から連合を左右に引き裂く動きも強まっている。二階自民党幹事長が神津里季生(りきお)連合会長と会談、「今後も対話を継続していく」と秋波を送ったかと思えば、志位和夫共産党委員長も「共闘を継続するという公党間の約束は守られるべきだ」と民進党・連合を牽制する発言をしている。あちらを立てればこちらが立たず、内憂外患だらけの連合はもはや瓦解寸前だ。

 しかし、筆者はこの事態に至っても連合指導部への同情などまったく湧いてこない。それまでの総評、同盟を「発展的に統一」させる形で連合が発足したのは1987年のことだが、時の自民党政権の首相が「連合に頬ずりしたい」と発言したことを筆者は今も忘れない。共産党系の統一労組懇(後の全労連)が当時、連合発足を「労働戦線の右翼的再編」としたのはまったく正しい評価であった。

 それから約四半世紀――連合は「自民党、経団連に頬ずりされる労働運動」の構築を目指してきた。その「たゆみない努力」の結果、バブル崩壊以降の20年間、日本だけが世界で唯一、労働者の賃金が下がり続けた。若者は正規職にも就けず、運良く正規職に就いた若者は月100時間の残業を強いられたあげく、24歳で自死せざるを得なくなった。日常風景となった貧困は親から子へ、子から孫へ、世代を超えて連鎖するようになった。大会会場に恥ずかしげもなく日の丸を掲げ、政府・自民党・経団連と一体となって原発を推進し続けた右翼御用労組の「たゆみない努力」の結果は悲劇的な福島第1原発事故だった。小泉元首相でさえ脱原発に考えを改めたのに、連合傘下で考えを改めた労組があるとの声は、事故から5年半経った今なおまったく聞こえてこない。原発政策を巡って、連合・電力総連は自民党以下の醜態をさらし続けている。

 メディアをして「2015年安保闘争」と言わしめた昨年の「総がかり行動」は、市民の闘いの中から野党共闘を生み出した。従来の革新層だけでなく、心ある保守層から創価学会員までが街頭に繰り出した安保法制反対運動は、やや大げさに言えば現代日本における反ファシズム人民戦線といえよう。安保法や原発の廃止を目指す市民は、今こそ民進党と連合に踏み絵を迫るべきである。「来るべき総選挙で、民進党・連合は安倍ファシズム政権と人民戦線、原発推進と脱原発のどちらにつくのか」と。

 もし、連合がそれでも原発推進の旗を降ろさないなら、そのような反労働者的右翼御用労組の集合体、連合は解体すべきである。かつてと同じ形には戻れないとしても、心ある左翼的労組を結集し、第2の総評を結成する試みを、労働者の下からの運動によって今すぐ始めるべきである。もし新たな形で「第2の総評」が結成されたら、その新たなナショナルセンターは社民党を支持するとともに、社民党の再建を図るべきである。大会会場に日の丸を掲げることに疑問を持たない右翼御用労組は、新しい「第2の同盟」にでもなり、せいぜい政府・自民党・経団連に頬ずりしてもらえばよかろう。私たちがそんな連中の支援など必要としていないことは、新潟県知事選の結果が余すところなく示している。

 さらば連合、さらば民進党。彼らこそ日本を悪くした元凶だ。「卑怯者、去らば去れ。我ら共闘の旗守る」の精神で、私たちは連合と電力総連を乗り越え、労働者・市民のためになる新しい、真の労働運動を作りたいと思う。今日をそのスタートにしたい。

(2016年11月7日 「地域と労働運動」第195号掲載)

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