崖っぷちに立つJRローカル線 危機の原因と私たちにできること

 JR北海道の鉄道事業が会社発足以来の危機に立たされている。昨年6月、JR北海道社内に設けられた「JR北海道再生推進会議」が行った事業の「選択と集中」を求める建議を受け、JR北海道が事業見直しに着手。今年7月には「持続可能な交通体系のあり方」を発表し、ローカル線の整理を加速させる意向であることを明らかにした。

 JR北海道の本業である鉄道事業の現状は惨憺たるものだ。旧国鉄時代、赤字ローカル線選定の根拠となった国鉄再建法による「特定地方交通線」(廃止路線)の基準(輸送密度4000人キロ未満)を基に、もう一度特定地方交通線の選定を行うとすれば、小樽〜札幌〜中小国、札幌〜北海道医療大学、札幌〜旭川、札幌〜帯広を除く全路線が該当する。JR北海道の列車走行100万km当たり修繕費は本州3社に比べて少ないが、鉄道収入に対する修繕費の率は圧倒的に高くなっている。JR北海道が全く儲かっていないことがわかる。

 JR北海道は、社員の給与支払に充てる資金さえ2018年度には枯渇しかねないとして、昨年度、1122億円もの国の緊急支援を受けている。民間企業なら給与遅配寸前の会社は倒産状態とみなされ、破たん処理に入るのが普通だ。JR北海道の経営は実質的に破たん状態であり、自力再建は今や不可能である。

 「持続可能な交通体系のあり方」は、事実上の経営破たん状態に陥ったJR北海道の「断末魔」であり、事態はJR北海道の会社整理が先か、道内全路線の消滅が先かの「持久戦」に入ったといえる。このような事態がなぜ起きたのか、これに対して私たちがいかに対峙してきたのか。そして私たちの今後の闘いはどのようにあるべきなのか。これが本稿のテーマである。

 ●「羊羹の切り方を間違えた」

 結論を先に言ってしまおう。JR北海道がこのような経営危機に陥る日が来ることは初めからわかっていた。国鉄分割民営化に反対していた人々の多くは、JR北海道・四国・九州のいわゆる「三島会社」の経営危機を、来るかどうかではなくいつ来るかの問題として認識していた。実際、国鉄「改革」初年度――1987年度のJR7社の決算は、早くも次のようなものであった。

 すなわち、JR7社の営業収入全体に占めるJR北海道の割合はわずかに2.5%、JR四国が1%、JR九州が3.6%。JR北海道全体の営業収入(919億円)は東京駅の収入(約1000億円)より少なく、JR四国全体の乗客数は品川駅の乗客数とほぼ同じ程度であった。JR東日本1社だけでJR7社の営業収入の43.1%を占めていた。

 この決算を見た当時の運輸省幹部が「羊羹の切り方を間違えた」と発言したと伝えられている。JR発足初年度から、運輸省が国鉄分割の誤りを認めざるを得ないほどその経営格差は歴然としていた(「JRの光と影」立山学・著、岩波新書、1989年)。

 全国1社制の国鉄時代、儲かる路線で儲からない路線を支えていた「内部補助制」が国鉄分割で崩壊した。儲かる路線の利益はJR本州3社の経営者が分捕り、北海道、四国、九州の損失は地元地域(自治体・住民)に押しつけられる――国鉄「改革」によって発足したJR7社体制とは最初から既にこのようなものであった。

 中曽根康弘首相によって、国鉄「改革」の号砲が鳴らされた当時、筆者はまだ中学生であったが、テレビ等、マスメディアを総動員して行われた「国鉄労使国賊論」などの異様な国鉄叩きは、30年以上経った今なお決して忘れることができない。「なぜ東京の私たちが毎日満員電車に耐えながら、北海道の熊しか乗らない路線を支えなければならないのか」――当時、「痛勤」などと評された東京都心の国電の異常な通勤ラッシュを逆手に取る形で、このような電車通勤の労働者の声を垂れ流しながら、メディアは「東京での国電の売り上げが東京の通勤ラッシュ解消に使われず、北海道や九州のローカル線のために消えるのはおかしい」と繰り返した。

 こうした「世論誘導」が功を奏し、次第に世間の空気は国鉄分割やむなしに傾いていった。特に、国鉄時代、首都圏の「お下がり」車両ばかりが転属によって配置され、新車の恩恵に浴することのなかった関西圏では、国鉄分割民営化によってJR西日本が発足した結果、新車に乗れるようになったとして「これだけでも分割民営化は大成功」だと宣伝されていた。

 もし今も、当時と同じように考えている人たちがいるとしたら、ひとつのデータを示しておこう。 

 

国鉄の営業係数

食料自給率

北海道

100/3,859円(美幸線、1974年度)

200%(2012年度、カロリーベース)

東京都

100/   48円(山手線、1980年度)

1%(同上)

 営業係数とは、100円の売上を達成するのに何円の経費がかかるかを示す。国鉄時代「日本一の赤字線」といわれた美幸線の営業係数は、山手線より2桁も大きかった。一方、食糧自給率を見ると、東京都の1%に対し北海道は200%もある。こちらは最近のデータだが、国鉄改革当時から大きな構造的変化があるとは思えない。

 このデータが示していることは、国鉄時代、東京は北海道の鉄道を支える代わりに北海道から「食糧援助」を受けていたという事実である。国鉄分割はこうした東京と地方の「助け合い」も破壊、後には東京による地方の「収奪」だけが残った。不利益だけが地方へ押しつけられる構図は、今、日本を揺るがす2大政治課題である原発や基地の問題にも通じている。

 先の参院選では、原発事故の起きた福島、反TPP感情が強い北海道、東北、新潟などの農業地域、基地の集中する沖縄でいずれも「野党統一」候補が自民党候補に勝利した。地域住民の間に「中央政治から抑圧、収奪されている」との意識が強い地域での相次ぐ自民敗北は、地方、弱者を平然と切り捨て、踏みつける新自由主義的政治に対し、地方がはっきりと拒絶の意思を示したことを意味する。

 ●鉄道事業が持つ経済的特性とは?

 昨年1月の風水害以来不通になっている日高本線の復旧の前提となる海岸保全工事費について、昨年5月、記者会見した島田修JR北海道社長は「鉄道会社が本来負担すべきものか」と疑問を呈した。JR北海道のこれまでの姿勢に対し、思うところは多々あるものの、この指摘に関しては、筆者は間違っているとは思わない。というのも、道路、空港は国が建設・維持し、航空会社やバス・トラック事業者は使うだけ(厳密には着陸料・空港使用料やガソリン税などによる間接負担はある)であるのに対し、鉄道だけ、事業者が全額負担しなければならないのは明らかに不公平でありバランスを欠くからだ。

 2013年11月、筆者は国会議員を通じて政府に対し「JR北海道で発生した連続事故及び日本国有鉄道改革の見直しに関する質問主意書」を提出した。質問主意書とは、国会法74条の規定に基づき、国会議員であれば誰でも政府に対して行うことができる文書による質問だ。質問主意書には、政府は原則として7日以内に答弁書により答弁しなければならない。答弁書の決定の手続は法律では定められていないが、現在は閣議決定されている。従ってその答弁書は、同じように閣議決定される政府提出法律案や政令に準じる重いものだ。

 『道路の維持管理は政府や地方公共団体などの公共セクターが実施しており、空港もほとんどが公共セクターによる維持管理が行われている。しかしながら、鉄道に関しては線路の維持管理は原則として鉄道事業者に委ねられている。同じ公共交通である以上、道路や空港と同様、鉄道線路の維持も国や地方公共団体により行われることが必要と考えるが、政府の見解を明らかにされたい』との質問に対し、政府による答弁は驚くべきものであった。『我が国の鉄道事業については、一般的に、鉄道事業者がその運営及び鉄道施設の維持管理等を一体として行っており、国土交通省としては、輸送の安全の確保等のため、鉄道事業者に対し、補助金等により支援を行っているところである』――要するに「日本では今までそうだったから」という以上のものではないのだ。

 そもそも鉄道事業を初め、電力・ガスなどのインフラ型産業には、一般の産業とは違う特性がある。(1)独占性・非競争性(利用客は、それが気に入らないからといって他社の同種のサービスに乗り換えることができない。また鉄道事業者は、客が増えないからといって線路をはがして別の場所に移転することもできない)、(2)一般産業の場合、資産(製造設備)は商品を生み出す道具であり、商品が貨幣と交換(=売買)されて収入となるのに対し、インフラ型産業は資産(インフラ施設それ自身)を利用させた対価が収入源である、(3)固定費用が膨大で巨大な資本投下が必要――などである。

 例えば米10kgを買いに来た客に対し、在庫が5kgしかない場合、とりあえず5kgのみ販売することができるが、鉄道は、隣町まで10kmの区間を乗りに来た客に対し、未開通だからといってとりあえず5kmだけ乗ってもらうというわけにはいかない(もしそのようなことを言えばその客は乗らずに帰ってしまうだろう)。最初から完全な状態で供給する必要がある。しかも、初期投資を行い、建設している間、売り上げは1円も入らない。

 このため、鉄道を初めとするインフラ型産業には、事業が開始される前段階で巨額の資金が必要となる。民間セクターでそれだけの巨額な資金を集めることは困難であり、だからこそインフラの建設は、最も新自由主義が貫徹している資本主義国家であっても公共事業として行われるのである。

 『生産手段や交通機関には、たとえば鉄道のように、もともと非常に大きくて、株式会社以外の資本主義的搾取形態ではやれないものが少なくない。そしてそれがなお発展して一定の段階に達すれば、この形態でも不十分になる。そこで、……大生産者たちは合同して一つのトラストをつくる。……トラストがあろうとなかろうと、資本主義社会の公の代表である国家は、結局、生産の管理を引き受けざるをえないことになる。このような国有化の必要は、まず郵便、電信、鉄道などの大規模な交通通信機関に現われる』(「空想より科学へ」エンゲルス)。

 鉄道を初めとする社会資本は経済学的に見て「共同消費性」を持っている。例えば、他人が自分の食料品を食べてしまうと、それだけ自分の食べられる量が減少するのに対し、道路は他人が歩いたからといって自分がそこを歩けなくなるわけではないからだ。米国のノーベル賞経済学者ポール・サミュエルソンは、こうした性質を持つものを公共財と位置づけ、政府による関与が必要とした。

 鉄道が民間企業の手によって無計画に建設された結果、全国各地に鉄道会社が群雄割拠状態にあった日本では、明治時代中期に政府による民営鉄道の全面的買収(国有化)が軍部主導で始まった。鉄道国有化法の貴族院における審議では、田健治郎議員が「鉄道ハ大ナレバナル程、運賃ノ低落スルハ明ラカナリ」と演説。事業規模の大きい方が効率的経営になるとして国有化の必要を訴えた。ドイツで鉄道の国有化を推進したのは、保守政治家であり、社会主義者鎮圧法を制定したことで知られる「鉄血宰相」ビスマルクであった。

 確かに、今から140年近く前、鉄道国有化論を唱えたのはエンゲルスであったが、現実にそれを実行したのが日本では軍部、ドイツでは反共主義者ビスマルクであったということ、米国の経済学者も社会資本には公的関与が必要と唱えていることは大変興味深い。鉄道が国有化でこそ最も効率的に運営できるというのが、思想信条に関係なく経済学的事実であることをこれらの例は私たちに教えている。

 ●ブームの様相を呈する上下分離方式

 ここ数年、経営危機に陥ったローカル線を救済する手法として急速に注目を浴びているのが「上下分離」方式だ。

 『運行事業者とインフラの整備主体が原則として別人格であって、インフラの整備に公的主体が関与する場合』――2000年8月1日付け運輸政策審議会答申第19号「中長期的な鉄道整備の基本方針及び鉄道整備の円滑化方策について」は、上下分離方式をこのように定義している。列車の運行(上)を民間企業が行う場合でも、線路や鉄道施設の保有・維持管理(下)を国・地方自治体など公共セクターが行うもので、筆者が先に国会議員を通じて提出した質問主意書に見られるように、鉄道以外では当たり前の方式である(余談だが、鉄道だけが空港や道路と異なり「上下一体」である事情を無視してコスト計算を行い、「鉄道存続よりバス転換の方が安い」などとする鉄道廃止論者を時折見かける。だがそうした比較論は、廃炉・賠償・放射性廃棄物処理のための費用を除外して「原発が最もコストが安い」と主張する経産省・原子力ムラの議論と同じで、不公平であるのみならず有害である)。

 上下分離方式では、鉄道事業者の損益は「運賃料金収入−運行経費」で測られる。従来の上下一体方式では「運賃料金収入−運行経費−保線費・復旧費」であることを考えると、保線費・復旧費が不要である分、経営上「身軽」になる。上下の責任分担も明確であり、経営が困難になると官民が互いに責任を押しつけ合っていた第三セクター方式と比べても優れているといえよう。三陸鉄道、若桜鉄道(鳥取県)、青い森鉄道(青森県)などに先行例があり、例えば三陸鉄道が、(復興予算という特例があるにせよ)東日本大震災による津波被害からわずか3年で復旧した背景に、上下分離の導入があったことは指摘しておくべきである。震災前から上下分離方式によって「下」を沿線自治体の所有としていたため、「公有財産の復旧」として全額国費補助となったのである。

 EU(欧州連合)では、「共同体の鉄道の発展に関する閣僚理事会指令」(1991年)により、加盟国で上下分離が本格導入された。ただし、当時の欧州各国の鉄道はほとんど国有か公共企業体であったため、上下分離が「下」を国有のまま、「上」をオープンアクセス(自由競争)化するための民営化の手段として導入された点に注意を要する。上下分離が、経営危機に陥ったローカル鉄道救済の手段として現れた日本と正反対だ。

 サッチャーリズムの嵐が吹き荒れ、より徹底的な新自由主義が貫徹された英国では、国鉄が100社以上に分割民営化され保線体制が崩壊した。2000年、列車走行中にレールが突然砕け列車が転覆、4人が死亡する事故(ハットフィールド事故)が起きる。「上」を受け持つ列車運行会社から「下」を受け持つ線路保有管理会社へ、列車の走行本数に応じて線路使用料が支払われる契約になっていたため、線路保有管理会社が最も儲かる夏休みの繁忙期に列車を止めることをせず、通常はその時期に行うべき保線作業を繁忙期が終わるまで先送りしたことが原因だった。「乗客の命よりカネ」の民営化体制こそが事故を引き起こし、4人の命を奪ったのである。

 この後、労働党政権が線路保有管理会社であるレールトラック社に破産を宣告。同社を非営利企業に変更した。列車運行は営利事業体が行っており、これも一種の上下分離に含まれる。

 フランスでは、フランス鉄道線路公社(下)とフランス国鉄(上)に上下分離したが、ダイヤへの不満、ネットワークの維持・管理に関する責任の分散、増加する高速鉄道建設投資による負債額の増大、情報共有不足が招いた新型車両による事故・トラブルなどの結果、持ち株会社によって上下を再統合する組織改正が行われた。だが、この「改革」は上下分離を否定した「上下一体の民営化」であり、今後の安全崩壊が危惧される。

 ●日高本線復旧のための課題

 ここまで、JR北海道の現状、国鉄「改革」が引き起こした問題、鉄道事業の経済学的特性、上下分離方式の国内と海外における動向に至るまで幅広く考察してきた。災害で不通となった日高本線を「塩漬け」にしたまま、鉄道事業見直しに向け暴走するJR北海道と、私たちは今後どのように対峙すべきだろうか。

 JR北海道の会社整理が先か、道内全路線の消滅が先かの「持久戦」に勝利するため、筆者は次の2点を特に強調しておきたい。すなわち(1)線区ごとの存廃論議に持ち込ませず、仮にそうなった場合でも廃止の言質を与えないこと、(2)北海道全線をどうすべきかの大局的観点に立ち、鉄路が維持できるならJR北海道の会社整理もやむなしとの強い意志を持つこと――である。(1)を守らなければ、線区ごとの損益を基にした存廃論議になり、沿線地域は「各個撃破」されるであろう。また(2)を守らなければ、「鉄路破れて会社あり」になりかねず、まったく意味がない。

 闘いの基本は「何のために闘うか」、すなわち大義である。私たちは鉄路、交通権、そして地域と住民を守るために闘うのであり、JR北海道という会社とその経営者を守るために闘うのではない。

 そのために、さしあたり必要なことは、線路保有、維持管理をJRから切り離し、国による管理に移す「上下分離」の実現だ。地方自治体による線路保有を主張する勢力もいるが、JR北海道の「下」の維持は市町村レベルではまったく不可能である。鉄道が「大ナレバナル程、運賃ノ低落スルハ明ラカ」とした田健治郎の指摘は上下分離を行った場合にもそのまま当てはまる。すなわち「下」の事業主体は規模が大きければ大きいほど効率的な経営が可能になるのであり、それは国をおいて他にない。

 国による直営が困難ならば、(独)鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構。日本鉄道建設公団と国鉄清算事業団を統合した組織)でもよいだろう。鉄道・運輸機構は旧国鉄を法的に継承した法人であり、ここにJRの線路が戻ることは「旧国鉄の線路が国鉄を継承した法人に戻る」ことを意味する。それは分割民営化政策の失敗を印象づける政治的効果も持つ。

 JR北海道がたとえ私たちにとって巨艦のように見えたとしても、それは船底に穴が開き、沈みゆくタイタニック号である。その沈没を止めることはもはや不可能だ。私たちは丸太にしがみついてでも海面に浮いていれば、やがてタイタニック号は海に消え、持久戦は私たちの勝利となる。大切なのは路線廃止の言質を与えず、公共交通の維持という使命を放棄したJR北海道の沈没を辛抱強く待つことである。

 北海道民は何も悪くない。萎縮も遠慮もする必要はなく、言いたいことはどんどん言うべきだ。すべての責任は、初年度からみずから「切り方を間違えた」と認めるようなずさんな民営化を強行、東京駅より少ない収入しか上げられないような会社を作り、30年も放置し続けた政府にある。

 ローカル線だけではない。分割民営化に反対して闘った国労組合員を初めとする1047名もの不当解雇、107人もの犠牲者を出した福知山線脱線事故などの安全崩壊、新幹線が開業するたびに行われてきた並行在来線の切り捨て――これらはすべて国鉄分割民営化の「負の遺産」だ。誤った「改革」が日本の労働者と市民に与えた損害は計り知れないものがある。来年はいよいよ国鉄分割民営化30年、そろそろ年貢の納め時だ。いつまでも隠れている彼らを引きずり出し、今こそ全責任を取らせなければならない。

(2016年8月12日 「北海道経済」誌掲載)

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