「名は体を表す」と言うが・・・「民主」の名の下に

 合流を決めた民主党・維新の党が、2016年3月3〜6日の4日間、新党名の募集を行った。自分たちの党名も自分たちで決められない政党に未来なんてあるわけもないし、政権を託したくもないという声も聞こえるが、「名は体を表す」の例え通り、名前とは案外重要なものである。

 結果的に、合流後の新党の名称は、「民主」の名の入った名称を引き継ぐよう求めていた民主党関係者の思いと裏腹に、維新の党側が主張していた「民進党」に決定。新党の名称に関しては「小が大を呑む」形になった。だが筆者はこれでよかったと思っている。「民主」の名前のあまりの評判の悪さを考えると、その名は外して一から出直すべきだろう。

 「民主」の名を外すことで、自分たちの党が民主主義を放棄したかのように受け止められないか心配する関係者がもしいたら、そんな心配は無用だと思う。そもそも、西側先進資本主義国の集まりであるサミット(先進国首脳会議)参加7か国の正式国名を見てみると、日本国/アメリカ合衆国/グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国/フランス共和国/イタリア共和国/ドイツ連邦共和国/カナダ――であり、「民主」と入った国名は1つもない。

 一方、社会主義体制だった旧東ドイツの正式国名「ドイツ民主共和国」や「朝鮮民主主義人民共和国」のように、どう見ても民主主義と無縁の国、民主主義のかけらも存在しない国ほど「民主」と入った国名が多い。あの悪名高いクメール・ルージュ(いわゆる「ポル・ポト派」)支配時代のカンボジアの正式国名も「民主カンボジア国」だった(現地語表記で「民主カンプチア国」としているものもある)。民主主義の実態がある国ではわざわざ「形」にこだわる必要がなく、逆に民主主義の実態がない国ほど「形」を求めるのだということがよくわかるエピソードだ。

 ドイツ「民主」共和国、朝鮮「民主」主義人民共和国、「民主」カンボジア国でいったいどれだけ多くの人が逮捕され、拷問され、そして殺されたのだろうか。筆者の手元には唯一、カンボジアでクメール・ルージュ政権時代のわずか3年8ヶ月の間に、約152万人(推計)が殺されたとするデータがあるのみである。クメール・ルージュ政権崩壊後に、ベトナムの後押しで成立したプノンペン政権(当時の日本メディアではヘン・サムリン政権と呼ばれることが多かった)が発表したカンボジアの推計人口は約835万人だったから、「民主」カンボジアの名の下に、国民の約5.5人に1人が殺されたことになる(注)。

 新党の党名から「民主」の文字が外れたことで、「民主」の名前の入った政党は55年体制を支えた自民・社民両党だけとなった。とはいえ社民党は、日本社会党からの党名変更で現在の名前になったのだから、結党から一貫して「民主」の名前を入れ続けているのは今や自民だけだということになる。党内で自由な議論も許さず、少しでも安倍政権を批判するメディアに対しては、やれBPO送りだ停波だと脅しまくる政党が、結党以来一貫して「民主」を使い続ける唯一の党とは、何の悪い冗談かと思ってしまう。騙され続けてきた有権者も、これでようやく自由「民主」党の名前のまやかしに気付くかもしれない。

 ドイツ「民主」共和国も「民主」カンボジア国も、その後、世界地図から消えた。朝鮮「民主」主義人民共和国も、このままでは遠からず地図から消えるだろう。一方、そんな諸外国とは裏腹に、安倍1強時代となり、我が世の春を謳歌しているように見える自由「民主」党だがこちらは今後、どうなるだろうか。

 元外務省主任分析官で、鈴木宗男元衆院議員の盟友でもあった佐藤優氏が興味深い証言をしている。彼は、ゴルバチョフによるペレストロイカが始まって2年ほど経った1988年のソ連滞在当時、モスクワの至る所で「この道しかない」のスローガンが掲げられているのを見たというのだ。


≪写真≫労働者に「この道しかない」と訴えるゴルバチョフ書記長(当時)=NHKテレビから

 思えば、2度の国政選挙に勝利して「1強」を実現した安倍自民の選挙スローガンも「この道しかない」だった。アベノミクスとペレストロイカ、政策こそ違っているが、国家の最高指導者、トップが「この道しかない」とうそぶくようでは末期症状だと思う。実際、ソ連もその後世界地図から消え、ゴルバチョフは最後の指導者となった。そうした歴史を考えるなら、安倍自民もどうやらそう長くなさそうだ。

 中国の作家・魯迅の小説「故郷」の「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」という有名な一節をご存じの方は多いだろう。みずからの国家や組織の名称に、頼まれもしないのに自分から「民主」の文字を冠するような連中に、ろくな奴はいないと私は思う。そんな連中が自分勝手に押しつけてくる、まやかしの「民主」主義など拒否して、私たちは今こそ別の道を歩こう。平和、人権、環境、まやかしではない真の民主主義のための新しい道を。いつまでもそのための道が細く頼りないように見えるのは、魯迅の言葉を借りるなら、歩く人が少なすぎるからだ。ひとりでも多くの人が、安倍自民と別の道を歩むなら、「この道しかない」に終止符を打つことができる。

 いよいよ4月からは電力自由化によって、これまで一般家庭では選べなかった電力会社も選べるようになる。政治の世界だけ、いつまでも「自民しか選べない」でよいわけがない。私たちの未来は、「“この道しかない”ではない、別の道」「安倍自民ではない、別の選択肢」が登場できるかどうかにかかっている。次期参院選のスローガンは、案外、「選ばせろ!」がふさわしいのではないかと、私はひそかに思っている。

注)クメール・ルージュ時代のカンボジアでの死者については、かなり古いが「ポル・ポト派とは?」(小倉貞男・著、岩波ブックレットNo.284、1993年)の記述を参考にしている。プノンペン政権の1989年の発表によれば、カンボジアの総人口は1975年現在で835万人、クメール・ルージュ時代の死者数は総人口の26.81%であったことを明らかにした上で、死者を224万人と推計。そのうち病死32%、殺されたもの68%との記述がある。本稿ではこれを基に、224万人のうち68%に当たる152万人を虐殺の犠牲者とした。

(2016年3月25日 「地域と労働運動」第186号掲載)

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