「土建国家」復活を象徴する新国立競技場問題
不透明な契約方式から新たな利権の闇が見えてきた

 心ある一部の人々の反対をよそに、大方の人々からはそれなりに熱狂をもって迎えられた2020年東京五輪の招致決定。早いものであれから2年が経つが、あの頃の熱狂もどこへやら、イラク人建築家ザハ・ハディド氏の設計をもとに、巨大なキールアーチ構造となるはずだった新国立競技場整備計画が白紙撤回され、振り出しに戻ったのも束の間、今度はアートディレクター佐野研二郎氏のデザインした公式エンブレムに模倣疑惑が噴出、東京五輪組織委員会がこのエンブレムの使用中止に追い込まれた。世界最強といわれるほどの製造業を支えたかつての日本人の几帳面さも職人気質もすっかり影を潜め、今やこの国は手抜きと密室談合がはびこる三流国家の様相を呈している。

 まだ十分使えるはずの旧国立競技場をわざわざ取り壊し、退路が断たれたところで新国立競技場の壮大な無駄遣いに批判が殺到、関係者が右往左往する様子を見ていると、この国の指導層もいよいよ落日の感を強くする。そもそもなぜこんな事態が発生してしまったのか。新国立競技場計画の白紙撤回と公式エンブレム使用中止という2つの事件に通底する言いしれない不透明感、モヤモヤ感はどこから来ているのか。

 本来、この問題はまだ始まったばかりであり、全体像も見えない今の段階で批判に転じるのは早すぎると、つい最近まで筆者は思っていた。だが、事態の背後に潜んでいる全体像がおぼろげながら見え始めるにつれ、筆者は、今ここで警鐘を鳴らさなければ取り返しのつかないことになると考えるようになった。かねてより筆者が土建国家、ハコモノ・トンカチ行政、政・官・財の「鉄のトライアングル」などと呼んで批判してきたすべての悪弊、解体はされないまでも、今世紀に入って弱体化に一定程度成功した巨大な金食いシステムのすべてが、このままでは東京五輪の暴風に乗って一挙に復活してしまいかねない。

 ●プロポーザル方式とは何か

 事業を担当する文科省所管の独立行政法人、日本スポーツ振興センター(JSC)は、振り出しに戻った新たな国立競技場整備事業について、9月1日、プロポーザル方式による参加事業者の公募を開始した。

 プロポーザル方式とは、参加を希望する事業者から、技術力や経験、プロジェクトにのぞむ体制などを含めたプロポーザル(技術提案)の提出を求め、「公正な評価」(多くは建築や設計に関し専門的知見を有する審査員による採点)によって設計者を選ぶ調達方式とされる。1991年3月、「官公庁施設は国民共有の資産として質の高さが求められることから、その設計業務を委託しようとする場合には、設計料の多寡による選定方式によってのみ設計者を選定するのではなく、設計者の創造性、技術力、経験等を適正に審査の上、その設計業務の内容に最も適した設計者を選定することが極めて重要」(注1)とされたことを契機に、それまでの総合評価落札方式(注2)に代わる新たな調達方式として導入された。設計「書」を選定対象とするコンペ方式に対し、プロポーザル方式は設計「者」を選定するという点が大きく異なる。公共施設整備事業に参加したいと考える事業者にとって、設計書が審査対象となるコンペ方式では受注できるかどうかわからない段階で精緻な設計まで行わなければならず、その負担の大きさから参加に尻込みしてしまうことも多かった。プロポーザル方式は、簡略化した技術提案をすれば公募に参加できるという点で負担が大きく軽減された。

 プロポーザル方式は、発注者である官公庁側では仕様書の作成ができないような高度に専門性の高い建築物や、特殊な技術が必要な建物の整備事業のために導入された制度だというのが筆者の基本的理解である。だが、どのような技術提案が提出されるかもわからない段階で提案書の審査基準を作成しなければならないことに加え、面倒な競争入札の手続きも踏まなければならなかった総合評価落札方式と比べて使い勝手があまりにも良いためか、最近では、気象庁庁舎の外壁改修工事や警察学校の体育館新築工事のように、どう考えても高度な技術提案など不要と思われる一般的な工事にまで使われるようになってきている。

 ●不透明な契約方式は新たな利権の温床か?

 ところで、本稿読者諸氏の中には、こんな疑問を持つ人もいるだろう。「それでも、新国立競技場のような数千億円規模の巨大公共事業の参加事業者は、競争入札で選ばれているのではないのか?」と。

 国の契約、調達について定めた会計法やこれに基づく政令「予算決算及び会計令」(予決令)によれば、国が発注する工事では予定価格が250万円を超えると競争入札としなければならない(予定価格が500万円を超えると指名競争入札ではなく一般競争入札でなければならない)。JSCは独立行政法人であり、国の機関ではないため会計法や予決令は適用されないが、JSCの契約、調達手続きについて定めた「日本スポーツ振興センター会計規則」「契約事務取扱規程」(注3)でも会計法、予決令とまったく同じ基準で契約、調達手続きを行うよう定めている。このことからすれば、当初計画より規模が大幅に縮小されてなお2000億円規模になる国立競技場整備事業は競争入札とするのが当然だし、JSCに巨額の税金(2015年度の運営費交付金だけで約260億円)が投入されていることから考えてもそれが素朴な市民感情というものだろう(注4)。

 だが実態はまったく違う。プロポーザル方式は競争入札ではなく、入札によらない調達方式つまり随意契約に当たるとされる。事業参加希望者が技術提案を行い、発注予定者(官公庁)がその審査を終え採否を決めた時点で、採用された技術提案に基づいて設計施工ができるのはその事業者しかいないことはわかりきっていることを理由に、プロポーザル方式による調達先の選定は会計法29条の3第4項(JSC発注工事の場合は日本スポーツ振興センター会計規則18条第4項)の規定(契約の性質又は目的が競争を許さない場合)に該当するものとして随意契約によることが認められているのだ。

 制度設計に関わった国土交通省などは、随意契約であったとしても、プロポーザル方式で事業者選定を行った発注者側は、契約交渉を通じて最大限、有利な契約条件とすることができる(すなわち税金が無駄遣いされるような事態は起きない)と主張する。しかし、そもそも発注者側が自分で仕様書の作成さえできないからこそ事業者側に技術提案を求めているのだ。その時点で発注者側が有利に契約交渉を進めることができると考えるのはあまりに無根拠でナイーブすぎる。契約成立後、受注業者が示した設計書に対し「こうした機能は無駄」と言える担当者が発注者側にどれほどいるだろうか。結果として、交渉が受注業者主導で進み、価格も高止まりするであろうことははっきりしている。

 もちろん、本稿筆者はプロポーザル方式が登場する以前のような、設計書の作成業務を価格だけの競争入札で決めていた時代に戻れと主張したいわけではない。公共施設の建設で「安かろう悪かろう」の業者選定が行われた結果、竣工式の翌日に屋根が落ちたというのでは話にならない。技術力、過去の施工経験、専門技術者の人数や過去の工事におけるその配置状況、過去の労災発生件数など価格以外の要素も加味した総合的な評価によって業者選定が行われること自体には異論がない。

 問題は、ほとんどの発注者が審査基準も審査結果も公表していないことだ。国の機関ごとに、あるいは地方自治体ごとに審査基準がバラバラであっては不都合も起きることから、国交省がプロポーザル方式の運用ガイドラインを作成し、要件設定と審査、落札者の決定方法などについて一応の基準を示してはいる(注5)。しかし、うがった見方をすれば、発注者側が受注させる事業者をあらかじめ「内定」させておき、その事業者が有利になるような審査基準を作成することも可能なシステム、それがプロポーザル方式なのである。

プロポーザル方式に対するこの懸念が本稿筆者の思い込みなどではなく、多くの人に共有されているものであることを示すひとつの事例がある。群馬県邑楽(おうら)町の新庁舎建設工事をめぐり、前町長時代に行った契約を新町長就任後、一方的に破棄され損害を被ったとして、建築設計事務所関係者らが賠償を求めて邑楽町を提訴した、いわゆる「邑楽町コンペ訴訟」(注6)だ。2007年9月6日、東京地裁で行われた意見陳述で、原告のひとりである建築設計事務所代表の伊東豊雄氏が次のように述べている。

 『日本の公共建築における設計者選定は、プロポーザル方式と呼ばれている方法に拠るケースが圧倒的に多いと思われます。この方式は対象施設の設計案を求めるのではなく、設計者の実績、施設のイメージやコンセプト、設計に取り組む姿勢等を審査して設計者を選定するものです。……(中略)……しかし、設計者にとってこの方式は必ずしも納得のいく選定方法ではありません。……(中略)……この方式では設計者の実績や設計体制等も審査の評価対象となるので、選定は公正と言いながらも発注者側の主観的な意向を盛り込みやすいと考えられます』

 まったく驚きの実態と言うほかない。これほど巨大なプロジェクトが競争入札も、情報公開も(事後公表すら)ほとんど行われず、事実上、密室談合で決められているのだ。せめて、どの事業者がどのような技術提案をもって参加したのか、どのような審査基準に基づいて、審査員の誰が技術提案のどの項目に何点を付けたのか程度の情報は、事後でよいから公表すべきだ。税金の使われ方を主権者である国民が事後検証できるようにするために、最低限必要なことではないだろうか。

 ●納税者の怒りが組織委と安倍政権へ?

 国立競技場をめぐる一連の問題、続いて起きたエンブレム模倣問題で、市民の怒りはすさまじかった。特にエンブレム問題では、佐野氏が反論できない立場にあるのをいいことに、インターネット上で次々と模倣の告発や糾弾が行われた。社会の重要な意思決定の場に市民の声がまったく届かず、国民の血税を勝手気ままに浪費する決定が、正体不明の利権屋たちによって密室で行われている――佐野氏や東京五輪組織委に対する異常なまでの「ネット私刑」の背景にこうした鬱屈した心理や沈殿した怒りがあることは間違いない。もちろん筆者はこうした「私刑」を容認しないが、およそ先進国とは思えない、前世紀の腐敗した軍事独裁政権のような政治システムに対する市民の怒りに対し、あまりに鈍感すぎたことが、佐野氏、そして東京五輪組織委の「敗戦」を決定づけたといえよう。

 ワールドカップ大会の招致が決まった際、ブラジルでは生活苦にあえぐ市民の大きな反対デモが起きた。ソチ冬季五輪の際はウクライナ問題でヤヌコビッチ政権が崩壊するほどの政治的変動もあった。資本主義にまみれたスポーツの巨大な祭典は、しばしば貧困層などの社会的弱者を置き去りにして進み、沈殿していた彼らの怒りを呼び覚ます。手抜き、密室談合、そしてここでもまた誰も責任を取らない日本的無責任体質――こんな状態を放置したまま開催すれば、2020年東京五輪も市民の怒りの「発散」の場となるかもしれない。そうなれば、沈みゆく日本にとって文字通り「最後の饗宴」となるだろう。

 最後に、読者の皆さんにお願いがある。このような不透明極まりないやり方で強引に進められようとしている東京五輪関係の様々な「公共事業」を徹底的に監視してほしいと思う。当コラムは今後も引き続きこの問題を追っていく。

 消費税は引き上げ、生活保護は切り下げる。福島からの原発避難者に対する住宅支援も打ち切る。そんな非人道的決定をしておきながら、一方で20世紀に戻ったかのようなばかげた無駄遣いを続ける安倍政権を当コラムは絶対に許さない。

注1)「官公庁施設の設計業務委託方式の在り方」(建築審議会答申)
注2)価格のみの競争とする一般競争入札に対し、発注者である官公庁側が示した基準に基づいて、事業者が提出した提案書の各項目を審査して得点を付与、その合計点の最も高い者を落札者とする方式。
注3)日本スポーツ振興センターの会計規則及び契約事務取扱規程
注4)日本スポーツ振興センター平成27年度予算
注5)建設コンサルタント業務等におけるプロポーザル方式及び総合評価落札方式等の運用
注6)邑楽町コンペ訴訟、建築家の山本理顕氏と伊東豊雄氏が証人台に

(2015年10月25日 「地域と労働運動」第181号掲載)

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