2015年は歴史的地殻変動の年か? 〜1強多弱体制の中で、私たちがなすべきこと

 新しい年、2015年を迎えた。第二次大戦後、西暦で末尾に5のつく年は、印象深い出来事、後の時代に振り返ってみると歴史の転換点となった出来事が内外ともに多いような気がする。1945年は敗戦、55年は55年体制による自民一党支配体制の成立。75年はベトナム戦争終結、85年は日航機事故と、円安ドル高時代から円高ドル安時代への転換点となった「プラザ合意」があった。そして、95年は阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件、2005年は小泉郵政選挙の年だった。

 これらの出来事がなぜ歴史の転換点なのか。これらの出来事を通じて、私たちがそれまで当たり前に持っていた「何か」を失うとともに、歴史が世界と日本を不可逆的に新しい時代に向けて、いわば「突き飛ばす」役割を担っていたと考えられるからである。敗戦は言うまでもなく、55年体制の成立は、日本国民が「政権交代の可能性」を失う出来事だったし、ベトナム戦争終結は米国一強支配体制の終わりを意味した。日航機事故は、世界一安全と言われた日本の公共交通を揺るがす事件だったし、プラザ合意は「日本株式会社」に対して外需から内需への転換を強く促すとともに、日本が何か作れば米国が無条件に買ってくれる時代の終わりを意味した。阪神・淡路大震災は、世界の地震の1割が集中する日本の安全が砂上の楼閣であることを知らしめた出来事であり、地下鉄サリン事件と併せて「水と安全はタダ」と考えられていた日本の良き時代の終焉を強く印象づけた。小泉郵政選挙のあった2005年は、後から見ると、努力していい大学を出れば誰でも正社員になれ、結婚して家庭を作り、安らかに最期を迎えられる時代が終わったことを日本国民に強く意識させた年だった。

 そして2015年――私たちはどんな転換点を迎え、どんな「当たり前」を失うのだろうか。実は、その萌芽は昨年からこの新年にかけてすでに出ている。国内では、集団的自衛権の行使に向けた関連法整備によって「平和はタダ」だと思っていた「専守防衛」の時代の本当の終わり(それは同時に、憲法9条にかろうじて取り付けられていた生命維持装置が自民・安倍政権によって取り外されることを意味する)。そして海外では、帝国主義的領土拡張を目指す各国・各勢力(イスラム国などの「非国家」勢力含む)の野望がぶつかり合い、ひしめき合う第二次帝国主義の時代の幕開けと、それに伴う戦後体制の終わり――後の時代に振り返ったとき、2015年はそのように総括されそうな気がする。新年早々、連続発生したフランスのテロ事件は、その明らかな象徴である。

 ●60年間一党支配でいいのか?

 フランスのテロ事件、イスラム国の動向について、筆者は現時点ではもう少し情勢を見極めたいと思っているので、詳しい論評は今後に譲り、本稿では主に国内政治に限って論じる。55年体制成立から今年で60年――この間、細川・羽田・鳩山・菅・野田政権の1527日間を除いて、自民党は60年間政権を独占してきた。

 最近、インターネットで話題となったのが、「Dominant(支配者)」と題された、戦後の主要国支配勢力の変遷をまとめた一覧表だ。米国・カナダ・オーストラリア・英国・ドイツ(旧西ドイツ含む)・フランス・イタリア・インド・ブラジル・日本・中国・ロシア(旧ソ連含む)の12カ国における戦後の支配勢力の変遷が、どの時代にどの政党が与党となったかという視点からまとめられている。作成したのは英語圏の市民と思われる。

 この表を見ると、中国・旧ソ連・日本・イタリアを除く各国では、政権与党が定期的に交代している。特に米英2国は二大政党が定期的に政権を担当、政権担当期間もほぼ等しく、二大政党制と言われるゆえんだ。カナダ、オーストラリアも、二大政党の政権担当期間にやや偏りがあるが、純粋な形での二大政党制といえる。旧西ドイツも、キリスト教民主同盟と社会民主党との間で定期的に政権が交代しており、二大政党制に見えるが、東西統一後のドイツは左翼党などの反体制政党が影響力を強めており、当コラム筆者はやや異なる見解を持っている(詳説する紙幅がないが、変形した分極的多党制との見解である)。この表の作成者は、米英に加え、カナダ・オーストラリア、ドイツを“Two-party system”(二大政党制)に分類、多党化が著しく政権が定期的に交代しているイタリア・インド・ブラジルを“Multi-party system”(多党制)としている(ただし、ジョヴァンニ・サルトーリは国民会議派による長期政権時代のインドを一党優位政党制としていた。インドにおける国民会議派の影響力は近年、著しく低下しており、現状のインドを多党制とすることに筆者は同意する)。中国を“dominant-party system”(直訳すれば「支配政党制」と訳されるが、その語感はサルトーリが提唱したヘゲモニー政党制に近い)としていることにも筆者は特に異論はない。

 興味深いのは日本とロシアだ。日本は“Single-party system”(一党制)、ソ連崩壊後のロシアに至っては“Monarchy”(君主制)に分類されている。エリツィン、プーチンの両大統領は「君主」というわけだ。これはさすがにロシアに対する偏見といわなければならないが、この表からは、英語圏の市民が主要国の政治体制をどのように見ているか窺うことができ、大変興味深い。

 この表の作成者にどのような政治的背景があるのか、またこの表の作成者が英語圏の市民の「マジョリティ」であるのかはわからないが、英語圏の少なくない市民が日本を「一党制」と見ているのなら重大な問題だといえる。サルトーリが「現代政党学」日本語版を上梓した1977年の時点で、自民党とともに長期政権を維持していた主要国の政党にはイタリアのキリスト教民主党(DC)、インドの国民会議派(INC)があるが、DCはすでに解党、INCも影響力を大幅に低下させ、もはや長期一党支配は不可能になっている。実際、この表を見ると、自民党より支配期間が長いのはもはや中国共産党(1949年から政権担当)、旧ソ連共産党(1917〜1991年)しかない。ソ連共産党の支配期間は74年で終わっているから、自民党政権があと18年続いたら、その支配期間はソ連共産党を上回ることになる。西側主要国でこのような事態に陥っているのはもちろん日本だけである。「60年間、ずっと一党支配のままでいいのか」という真剣な問いが発せられるべき時期に来ている。

 ●実質的な一党独裁

 60年もの長期間、実質的な一党支配が続く日本では、自民党政権成立以前を知っている人は若くても70代であり、すでにほとんどの日本国民は自民党政権であるのが当然と思っている。このことがもたらす弊害は決して小さくなく、日本社会の隅々にまで及んでいるが、その中で最大のものは、実質的な政策立案をしている官僚が「自民党政権以外」用の政策集を持たないことである。

 民主主義国家では、政策は政治家が作り、官僚はその執行部隊となるのが望ましいが、日本では戦前・戦後を通じて政策の立案は官僚が行ってきた。そのこと自体は仕方のないことだといえるが、諸外国のように政権交代が頻繁に行われるならば、官僚は政権交代を想定し、「現野党が政権に就いたらどのような政策集が必要になるだろうか」と意識しながら代替の政策集を持つものである。しかし、日本の官僚たちは自民党以外が政権に就くときのことなど全く想定しておらず、したがってその場合の政策集もない。

 このようなことを書くと、「それは筆者の思い過ごし、思い込みではないのか」と反論する人もいるかもしれないが、私の主張を裏付けるエピソードがある。ある某省若手官僚が中途で退官して選挙に出ることになった。退職の意思を上司に伝えた際、どの党から出るのかと尋ねられたこの官僚が民主党と答えると、上司から「官僚が途中退官して選挙に出るなら政権与党(自民党)からであるべきで、そうでないなら官僚に専念すべきだ」と言われた、というのだ。

 このエピソードは、霞ヶ関の官僚たちが現在の政界をどのように見ているかを示す格好のものだと思う。我々は自民党政権のために政策集を作っているのであり、自民党政権のために政策集を作れないような人物は我々の組織には必要がない、という傲慢な本性が透けて見える。自民党以外に政権が渡ることを想定するどころかそのイメージを描くことすらできず、上は事務次官から下は末端係員に至るまで、自民党のために働くことイコール国民のために働くことだと考える文化が染み渡っている。非自民政権(93年の細川〜羽田政権、2009年の民主党政権)ができた際、2回とも霞ヶ関が完全な機能停止に陥ってしまった背景にはこうした事情がある。

 与党に反対することを政治の重要な機能と認め、野党を“Her Majesty's Official Opposition”(王立反対党)と呼んで制度化した英国には、野党が総選挙の際、公約に財源の裏付けがあるかどうか、事前に財務省と接触して確認できる制度があるという。政権獲得後、財源が足りずに公約が実現できなくなることを防ぐため制度化されているのだ。

 このような制度が全くない日本では、与野党の政治的リソース――有能な人物・人脈、資金、有益な情報などの資産――の差は定期的な政権交代によってしか解消することができないが、60年近くも長期一党支配が続いた結果、これらはすべて自民党に集中し、野党には行き渡らなくなってしまった。自民党に有利な諸制度の改革もいまや全く不可能な状態だ。

 74年間にわたって一党支配が続いたソ連で、共産党が一党独裁を放棄した後、非共産党政権の受け皿となったのが結局は共産党出身のエリツィンであったように、もし日本で自民党政権が倒れるとしたら、自民党が割れ、旧自民党勢力の中から有能な人物が出現して「古巣」を倒す、というシナリオしかあり得ないような気がする。勝者と敗者が完全に固定化した日本の政治状況は、その意味でも旧ソ連と同じ実質的一党独裁体制といえよう。

 ●私たちの闘い方は?

 さて、ここまで、日本の政治の特殊性を諸外国との比較の中で見てきた。競合的政党制として、政党間に自由競争が認められているにもかかわらず、日本は自民党とそれ以外との間に実質的な競争が存在しないまま、60年もの長期にわたり事実上の「一党独裁」を許してきた。筆者が今回、わざわざ多大な時間をかけ、このような考察や比較検討をしてきたのは、結局のところ、日本の市民の闘い方に対し、果たしてこれでいいのかという疑問が膨らんできたからである。確かに3.11以降の反原発運動などを見ると、かつてない規模、かつてない多様性と創意工夫、かつてない粘り強さで日本の市民はよくやっている。しかし、このような破局的事態をもたらした政治を変えるためにはもう一段の飛躍が必要であり、その飛躍を実現するために何をすべきかを考える過程で、日本の政治システムを諸外国と比較検討する作業を避けて通れなかったためである。

 筆者が感じた日本の市民の闘い方に対する疑問とは、ひとことで言えば「吹けば飛ぶような弱小野党に陳情や要請を繰り返すばかりで、なぜ巨大政権与党である自民党に直接物申し、圧力をかけないのか」というものである。自民党本部を誰がどのような目的で訪れたか「定点観測」していると、陳情活動のため訪れるのは業界団体ばかり。市民団体やNGO、NPOなどが自民党本部を訪れ、要請や陳情活動をしたという話はほとんど聞かない。彼らが行くのは野党の議員や院内集会などが多いが、野党に力があった55年体制当時ならともかく、野党をすべて合わせても自民党の半分にもならない現状で、かつてと同じような行動を繰り返していたのでは結果が出なくて当然ではないだろうか。

 小選挙区制に対する批判も出尽くした感がある。小選挙区制はダメだ、あるいは小選挙区制だから仕方ないと嘆くばかりでなく、1強多弱という情勢を踏まえた新たな闘い方を提起しなければならないのである。野党を相手にするなとまで言うつもりはないが、市民団体やNPOは、今後は野党が会いたいと申し入れてきたら会ってやる程度でいいような気がする。

 自民党にしてみれば、自分たちに要求書のひとつも持ってこない人たちの意見など聞く義理も義務もないのであり、毎日のように陳情に来る業界団体のほうに顔が向くのは当然である。筆者が仕事上関係しているある業界団体は、利権を少しでも多く確保するため、毎日のように自民党本部を訪れ、要請・陳情を繰り返している。利権にタダであずかれるほど政治は甘くない、そのためには他の業界団体より1回でも多く自民党本部を訪れ、圧力をかけることが大切だと、彼らはよく知っている。彼ら業界団体のこの「厚かましさ」を、市民も少し見習うべきだろう。

 諸外国に目を転じても、例えば、1989年の「東欧革命」のとき、独裁政権に対する怒りを爆発させたブカレスト市民は、ルーマニア共産党本部の閉ざされた門を乗り越え、次々に中になだれ込んだ。そこでブカレスト市民は、自分たちは決して食べるどころか、長年にわたって見ることさえできなかった高級チョコレートや高級パンが、党幹部用として秘匿されているのを発見したのだ。チャウシェスク時代、ルーマニアは「3つのF」が支配する国だといわれた。ルーマニア語で飢え(Foame)、寒さ(Frig)、そして恐怖(Frica)だ。ルーマニアを「飢えと寒さと恐怖」の国に変えた残忍な独裁者ニコラエ・チャウシェスクは、1989年12月、吹き荒れる嵐の中で、ついに処刑される。

 日本の市民がブカレスト市民と同じことをする必要はないが、「このような事態を作り上げたのが共産党なのだから、怒りを表明するために共産党本部になだれ込む」という彼らの闘い方には大いに共感できる。私たちもブカレスト市民のように、「60年にわたってやりたい放題を尽くしてきた自民党のせいでこのような事態になったのだから、怒りを表明するために自民党本部になだれ込む」という闘い方をすべきではないだろうか。選挙にある程度の期待が持てる諸外国の市民と異なり、実質的な一党独裁で非競争状態の日本では、この先、何度選挙を繰り返しても勝つのは自民党であり選挙に実質的意味はない。そうである以上、私たちがお手本にすべきなのは、同じように一党独裁体制の下で闘ってきた市民のほうであろう。中国の市民の闘いなども参考になるかもしれない。

 政府が国会に提出する法案も、「事前審査」と称して自民党内に設けられた各部会がその内容を審議する。時には修正などの注文がつくこともあり、形骸化した国会よりはるかに踏み込んだ審議が行われている。実質的な法案審議の場が自民党内の部会であり、国会はその追認機関という現状では、自民党内の部会における法案審議を市民がしっかり監視し、物申していくことも必要だろう。「あんな政治的腐臭の漂う場所になんか行きたくもない」という市民の気持ちもわからないわけではないが、今後長期にわたって政権交代が起きそうもない日本で、市民が政治的要求を実現させていくためには、自民党に直接圧力をかけ、「私たちの要求を受け入れなければタダでは済まない」という政治的雰囲気を作り出していく方向で、市民も従来の発想を切り替える時期に来ていると思う。

(2015年1月25日 「地域と労働運動」第172号掲載)

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