東電元経営陣3名に「起訴相当」議決
〜福島原発告訴団、原発事故刑事責任追及へ前進

 福島原発事故に伴う避難区域住民の避難中の死亡や被災地における広範な放射能被曝等の被害に関し、東京第5検察審査会は7月31日、勝俣恒久元東京電力会長及び武藤栄、武黒一郎の両元副社長の3名を業務上過失致死傷罪で「起訴相当」とする議決を行った。この他、小森明生元常務を「不起訴不当」とする判断が示された。皷紀男、榎本聰明の両前副社長は安全対策の決定権がなかったとして不起訴相当とした。

 福島原発告訴団が2012年6月、政府・東電関係者ら33人を業務上過失致死傷罪等で告訴・告発したのに対し、昨年9月、検察当局は「事故の予見は不可能だった」として全員を不起訴とした。今回の議決は、不起訴決定を受けて福島原発告訴団が東電旧経営陣6名に絞って検察審査会に審査を申し立てていたことに対するものだ。

 ●原子力ムラを断罪

 今回の議決は、市民感覚を反映し、市民にとって理解しやすい平易な表現で原発事故の本質に深く踏み込んだ。東電が2008年に東日本大震災と同じ規模の15・7メートルの高さの津波を試算しながら、有効な対策をとらなかったことを指摘。「地震や津波はいつどこで起きるか具体的に予測するのは不可能で巨大津波の試算がある以上、原発事業者としてはこれが襲来することを想定して対策を取ることが必要だった」「安全に対するリスクが示されても実際には津波は発生しないだろう、原発は大丈夫だろうという曖昧模糊とした雰囲気が存在した」とし、こうした態度は「本来あるべき姿から大きく逸脱しているし、一般常識からもずれている」「原発の安全神話の中にいたからといって責任を免れることはできない」と政府・東電を批判した。

 また、危険を軽視する東電の企業体質について「安全に対するリスクが示されても、単なる数値と見るだけ」「何をするにも原発の稼働ありきを前提に動いている」として「命よりカネ」の原子力ムラを断罪した。

 さらに、勝俣元会長が検察の事情聴取でこうした重要な点の多くを知らなかったと供述したことに対しては、「当時の東京電力の最高責任者として、各部署に適切な対応策を取らせることも可能な地位にあった」「(知らないとの供述は)信用できない」とし、責任逃れに終始する元経営陣らの主張を退けた。

 議決を受け、福島原発告訴団の代理人の河合弘之弁護士が都内で記者会見。「古い形式論理にとらわれ、被害(の実態)などに一切立ち入らなかった検察の非常識な不起訴決定に鉄ついを加えた。非常に大きな意義がある」と述べた。

 また、福島原発告訴団の武藤類子団長が以下の声明を発表した。

  福島原発告訴団が申立を行った6人全員ではありませんでしたが、特に重大な責任を問われる勝俣氏、武藤氏、武黒氏の3人に「起訴相当」、小森氏に「不起訴不当」の議決が出たことは、妥当な判断をして頂いたものと思っております。一般の東京都民からなる検察審査会が、被害者に寄り添った結論を出してくださったことを心から感謝いたします。

 議決書には、東電の役員には安全確保のために高度の注意義務があること、対策が必要な津波が来ることが認識できたこと、きちんと対策を取っていれば事故を防ぐか軽減できたと示されています。安全確保を第一にせず、経済性を優先していた姿勢を強く批判しています。

 検察庁はこの議決が、原発事故に対する国民の想いであることを理解し、直ちに強制捜査を含めた厳正なる捜査を開始して頂きたいと思います。

 福島の被害は今も形を変えながら拡大しています。一日も早く、この事故を引き起こした者が責任を取り、被害者が救済されること、そして二度とこのような悲劇が起きないことを願ってやみません。

 福島原発告訴団は、引き続き、責任追及を求める活動を続けます。これからもどうぞよろしくお願い致します。

 今回の議決は、電力会社と一体となって原発を推進してきた政府・自民党にも大きな衝撃を与えたようだ。議決当日の記者会見で、菅義偉官房長官は「検察審査会の議決についてコメントは控えたい」と述べるのがやっとだった。

 一方、東京地検の中原亮一次席検事は「議決の内容を十分に検討し適切に対処したい」とのコメントを発表。捜査に関わった法務・検察の幹部の1人は「東日本大震災と同じ規模の巨大地震や津波を具体的に予測するのは難しく、捜査は尽くしていただけに今回の議決には驚いた。起訴相当の議決が出ることは想定しておらず見通しが甘かった」とする。

 だが、この法務・検察幹部の見解はあまりに被害者を愚弄している。そもそも検察は東電本社への強制捜査(家宅捜索)も逮捕・取り調べもせず、数人の関係者から任意で事情を聴いただけでいったい何が「捜査を尽くした」のか。昨年9月の不起訴決定直後、「誰がやっても結論は同じ。(捜査の)意欲は湧かなかった」「起訴は無理と示すための捜査。要は頭の体操」などとする検察幹部の無責任な「放言」がメディア報道されている(2013.9.11『北海道新聞』)。福島原発告訴団は、不起訴決定へ抗議するとともに「北海道新聞の報道に抗議する意思はないのか」と東京地検を質したが、その意思もないとの回答だった。


(2013.9.11「北海道新聞」 画像クリックで拡大)

 不真面目な検察の捜査対応という意味で、触れておくべき事実がさらにある。昨年9月、不起訴決定のわずか数時間前になって、検察は突然、事件を告訴のあった福島地検から東京地検に「移送」(注1)するという暴挙に出た。検察審査会法では、移送後に「担当」となった検察官の所属する場所の検察審査会にしか審査申立ての手続きができないと定めている(同法第30条)。事件が東京地検に移送されたことで、福島原発告訴団は東京の検察審査会にしか審査申立てができないという事態になった。「自分たちも放射能汚染の中で被曝を強要されながら存在しなければならない矛盾、逃れられない厳しい現実を背負う福島の検察官」(注2)に事件を担当してほしいとの思いから告訴・告発先を福島地検とした被害者を踏みにじる決定だった。起訴相当の議決は、こうした検察の「事件潰し」を跳ね返したという意味でも大きな意味を持つ。

 さらに指摘しておかなければならないのは、大飯原発の運転差し止めを認めた今年5月の福井地裁判決と同様、今回の議決が「市民による法の創造」の意義を持つことである。「整理解雇の4要件」のように、市民・労働者の圧倒的な闘いの力に押され、司法が立法機関に先駆けて政府や企業を縛る判例を積み上げながら、事実上の法規範として機能させてきたもの(判例法)もある。国会が悪法製造装置となり、国民のための立法機関としての役割を放棄した今、市民と司法が手を取り合い「命よりカネ」の大企業を判例法で縛っていく試みとしての意味においても、福井地裁判決や今回の議決は輝く価値を持っている。成文法(文章に書き表された法)だけでなく、慣習法、判例法などの不文法(法律としての名称が与えられず、その形式的要件も満たしていないもの)もまた法規範であること、そして法規範は国会議員だけでなく、市民と司法との協働の中からも成立・発展させられるものであることを、いま一度確認しておきたい。

 ●改めて、検察審査会とは?

 これを機に、改めて、検察審査会についてまとめておこう。

 検察審査会は、一般の国民からくじで選ばれた11人の検察審査員によって構成される検察審査会が、検察官の行った不起訴処分の当否を審査する制度である。検察審査会法の制定・施行により1948年に発足した。戦後の民主化の中で、GHQ(連合国軍総司令部)が「検察の民主化のため、検察官を公選制にすべき」と強く主張。公選制に反対する日本側に対し、GHQは「公選制が不可能なら、何らかの形で国民が検察を統制する手段を講じる」よう求めた。また、「国民の代表より成る委員会の如きものを作ること」及び「検事が起訴す可(べ)き事件を起訴しなかつた時、検事をして起訴せしめる強制力を与えること」を検討するよう促した。検察審査会は、こうした要請の中、日本側がGHQと協議しながら立案した制度である(注3)

 GHQは、引き続き検察審査会の議決に強制力を持たせるよう日本政府に要求したが、最終的には政治的妥協の結果、強制力が付与されないまま、不起訴不当の議決を受けても検察が不起訴の判断を変えなかった場合には刑事処罰の道が閉ざされる時代が続いた。1985年の日航機墜落事故でも、前橋地検の不起訴の判断を不服として遺族らが検察審査会に審査を申し立て、不起訴不当の議決を勝ち取ったが、前橋地検は不起訴の決定を変えず捜査は終了。520名もの死者を出した「単独機としては世界最大の航空機事故」にもかかわらず、運輸省も日本航空も誰ひとり責任を問われなかった。

 1999年に始まった一連の司法制度改革の中で、検察審査会の議決に強制力を付与する制度の導入が提言された。2004年4月、「起訴議決制度」の導入を柱とする検察審査会法改正案を審議していた第159通常国会で、野沢太三法相(当時)が次のように答弁している。

 検察審査会の議決に基づき公訴が提起されるものとすることによりまして、公訴権の行使に国民の感覚をより直截に反映させることができると考えております。また、これによりまして、公訴権をゆだねられている検察官が独善に陥ることを防ぎまして、公訴権の行使をより適正なものとし、司法に対する国民の理解と信頼を深めることが期待できると考えております。

 改正検察審査会法は2009年に施行され、検察審査会の審査員11人のうち8人以上が同意すれば起訴を相当とする議決(起訴議決)を出せるようになった。今回の東電経営陣3名に関する議決はこの改正法に基づくもので、検察は再捜査し、3ヶ月以内に起訴すべきかどうか結論を出すことになる。検察が再び不起訴の決定をするか3ヶ月以内に結論を出さなかった場合、再び検察審査会が審査し、二度目の「起訴相当」議決が出れば、3名は強制起訴され、裁判所が指定した弁護士を検察官として刑事裁判が始まる。

 起訴議決の先行例としては2005年、乗客ら107名が死亡したJR福知山線脱線事故がある。福知山線脱線事故では、神戸第1検察審査会が二度にわたって起訴相当の議決をした井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛の歴代3社長が強制起訴され、指定弁護士を検察官として刑事裁判が行われた。昨年9月、神戸地裁が3社長全員を無罪としたため、指定弁護士が大阪高裁に控訴。今年10月10日に行われる予定の第1回公判で控訴審がスタートする。


 今後のフローチャート

 ●責任追及で原発廃止を

 先に見たように、日本ではこれまで政府や企業の巨大犯罪であればあるほど責任と権限が分散し、罪が問われることがなかった。このような無責任社会からの脱却へ向けた一歩を記したという意味でも今回の議決は画期的だ。

 こうした議決の背景に、福島原発告訴団に結集した被害者による集中的な被害申立ての活動がある。第1次告訴(2012年6月)に加わった福島県の被害者1324人の約半数に当たる約700名が、被害を訴える陳述書を任意とされ強制でないにもかかわらず提出するなど、原発事故のあらゆる被害とそれに対する怒りを表明した。第2次告訴(2012年11月)では全国の被害者もこれにならって被害実態を訴えた。今回、検察審査会が議決書の冒頭で「事故に遭われた方々の思いを感じる」と言及した背景に、被害者・市民による粘り強く幅広い「立証活動」があることは間違いない。

 議決翌日の8月1日、首相官邸前金曜行動に参加する市民からも議決を歓迎する声が上がった。杉並区の大学教員の男性は「起訴相当こそ市民感覚。3年以上経つのに誰も裁かれないのはおかしい。関係者は責任を取り、避難者への補償も充実すべきだ」と訴えた。

 福井地裁判決と併せ、刑事・民事の両面から原子力ムラの責任追及の態勢が整った。事故の際に電力会社が刑事・民事両面で責任を問われることになれば、国・規制委がいくら「基準に適合している」とお墨付きを与えても、電力会社は原発稼働をためらうようになる。川内原発の再稼働の準備を進める九州電力の瓜生道明社長が「再稼働は誰が判断するのか、法律を見たがどこにも書いていない。我々が原子炉のスイッチを押してもいいのではないかという気もするが、これまで国策として原子力を推進してきた経緯もある」と不安を表明しているのは責任追及への恐れの反映といえよう。

 原発事故を福島県内で迎えた当コラム筆者は、第1次告訴に加わった1324名の告訴人のひとりである。未曾有の被害を出した原発事故への責任の取り方、「落とし前の付け方」こそが今、まさに問われている。それは日本が真の文明社会に値するかどうかの試金石でもある。私たち、福島原発告訴団に結集した告訴人は、今後も引き続き東京地検に対し起訴を求め、検察が起訴しない場合は強制起訴を求めてあらゆる行動を強化する。無責任大国ニッポンに私たちの時代で終止符を打つ決意である。

注1)移送とは事件の管轄を移す手続きだが、過去には「事件潰し」の手段として使われたことがある。典型的なのが、1980年代に発覚した福岡県苅田町における住民税不正流用疑惑だ。町の収入役が、町民から徴収した住民税8000万円を町の財政に組み入れず裏口座にプール。国会議員に転出した元町長の選挙資金に充てられていたというもので、当初、東京地検特捜部が捜査に乗り出した。だが、元町長が自民党の尾形智矩代議士だとわかると突然、特捜部がなく捜査態勢も脆弱な地元・福岡地検に事件が「移送」。その後、不可解な形で捜査が打ち切られている。

注2)『福島原発事故の責任をただす! 告訴宣言』(2012.3.16)。

注3)『検察審査会制度の概要と課題』越田崇夫、国立国会図書館調査及び立法考査局『レファレンス』2012年2月号所収。

(2014年8月25日 「地域と労働運動」第167号掲載)

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