女性蔑視ヤジ、「号泣会見」〜サル以下の「選良」たちにつける薬はあるのか?

 東京都議会で、少子化対策について質問していたみんなの党の塩村文夏都議(35)に対し、自民党の鈴木章浩都議(51)から「自分が結婚しろ」という女性蔑視ヤジ(という名の暴言)が飛んだのに続き、兵庫県議会では男性議員が「号泣会見」するなど、地方議員の言動が相次いで論議を呼んでいる。いずれも日本人であることが恥ずかしくなるほどの低劣ぶりで、もはや地方議会など不要なのではないかとすら思えてくる。

 東京都議会に関して言えば、塩村都議に対する女性蔑視暴言は複数の議員が行っていたという証言もあり、他の議員の関与も噂されているが、都議会議長は塩村議員から出された暴言議員への「処分要求」を不受理にするなど真相究明どころか幕引きに動いた。自民党本部の石破茂幹事長が「関与した議員は自ら名乗り出るよう」促したにもかかわらず、鈴木都議以外の加害者が名乗り出ることはついになかった。

 積極的に真相を闇に葬り去ろうとする都議会自民党の自浄能力のなさを批判する声は多いが、そもそも自民党都議らが所属する自民党東京都連の代表は、福島における中間貯蔵施設問題を巡って「最後は金目でしょ」発言をした石原伸晃氏である。このような人物を都連トップに置いたまま、福島の被災者に対する罪の意識も良心の呵責も感じることなく平然としていられる都議会自民党に自浄能力など期待するほうが無理というものだろう。

 鈴木都議は、政府の制止を振り切って尖閣諸島への上陸を果たした人物であり、中国を「シナ」と呼ぶなど差別排外主義丸出しの下劣都議である。「中国、韓国、かかって来い。いつでも戦争だ!」とばかりに粋がる右翼都議が、自分より一回り以上年下の女性都議に謝罪するまで5日間も逃げ回り続けたのだから、尖閣上陸が聞いて呆れる。「弱い犬ほどよく吠える」ということわざがあるが、なるほどよく言ったものだ。

 いつまでも変わらない日本の政治「家」(という表現すら厚かましい政治屋)に対する絶望から、当コラム筆者も最近は「彼らにつける薬はない」となかば突き放し、放置してきた。しかし、そうした無関心こそが「女性蔑視暴言」議員や「号泣県議」を生み出したのだと批判されると、当コラム筆者も反論する言葉を見つけることができず反省せざるを得ない。こうしたサル以下の「選良」たちにつける薬は、果たしてあるのだろうか。

 ●議員を減らせばよいのか?

 このような「不良議員」が論議を呼ぶたびに、決まって出てくるもののひとつに「こんな議員を税金で食べさせるのは無駄だ。議員定数を削減せよ」という議員削減論だ。このような議論を主導する人たちは「議員定数を減らせば不良議員から順に淘汰されていく」と無邪気に信じているようだが、こうした議論が間違っていることは、すでにこれまでの地方議員「削減」の結果が物語っている。議員定数削減で生き残るのは、決まって地域の業界団体などに強固な支持基盤がある「不良議員」のほうであり、その陰で、定数削減のあおりを受け落選して涙を流す「市民派議員」の実例を筆者は何度も見てきた。精神科医の斉藤環さんは、日本の選挙で当選者を決めるのは「握手と土下座の回数」だと指摘しており、こうした前近代的「ドブ板選挙」の実態が改まらない限り、「悪貨が良貨を駆逐する」状況は変わらないだろう。

 業界団体などの強固な支持基盤がある不良議員の当選を阻止する方法がない以上、さしあたっての解決策は世間の議論とは逆に議員の数を大幅に増やすことではないだろうか。女性、若者、シングルマザー、LGBTなど多様性を持った人たちを多数、議会に送り込んで不良議員を「包囲」するのである。不良議員に支払われる歳費は民主主義の「学習料」と割り切るしかない。

 政治が身近な存在になれば、首長や議員を「就職先」のひとつとして考える女性や若者が現れ、特に農村部では若者の都市への流出を防ぐ手段にもなりうる。いずれにしても、政治が「何か特別な人たちのやること」「政治業界」などと思われているうちは議会改革などあり得ない。

 ●呆れる「女性の社会進出後進国」

 女性の社会進出の状況に関しては、「世界経済フォーラム」(ダボス会議)が公表した「グローバル・ジェンダー・ギャップ」が、毎年明らかにしている。現在、公表されている最新のものは2013年版だが、その内容は日本にとって衝撃的だ。


(グローバル・ジェンダー・ギャップ2013。濃い緑色に近づくほどよく、赤に近づくほど悪い)

 女性の社会進出が最も進んでいるのがフィンランド・ノルウェーなど北欧諸国。多くの日本の市民が描いているイメージのとおりである。米国・英国・オーストラリアなどがこれに次ぐ。一方、最も進んでいないのは、東アジア地域では日本と韓国のみ。世界に目を転じても、女性の社会進出が最も進んでいないグループは、身分制の影響が色濃く残るインドや中東・アフリカ諸国だけだ。日本は、女性を公然と「2級市民」扱いするイスラム諸国と同レベルという厳しい評価が下されたことになる。

 今年5月、母の日を前に国際人権NGO「セーブ・ザ・チルドレン」が発表した「母の日レポート〜母親指標・お母さんにやさしい国ランキング〜 (Mother’s Index)」はさらに衝撃的だ。同団体は、保健・栄養(妊産婦死亡の生涯リスク、5歳未満児の死亡率)、教育(公教育の在籍年数)、経済(国民1人あたりの所得)、政治への女性参加(女性議員の割合)の各指標を基にして女性の地位を算出している。この報告書によれば、日本は178カ国中32位で、先進国では最下位となっている。

 日本が特に深刻なのは、「政治」以外の分野では他の先進国と変わらない水準であること(生まれてから社会に出るまでは女子が男子に比べて差別を実感する場面はほとんどない)。順位は各指標を「総合的に勘案」して算出されることから、日本を先進国レベルから逸脱させるほど「政治」の指標が際だって悪く、全体の順位を引き下げていることを意味している。実際、日本の女性議員の比率は11.3%から、2012年衆院選後はさらに低下して10.8%となり、なんと最下位のソマリアよりも低かった。

 ソマリアでは、内戦と干ばつにより2012年には周辺国へ脱出した難民が100万人を超えたとの報道もある。女性や子どもの人権が全く考慮されない紛争地域であるソマリアよりも日本のほうが女性議員の比率が少ないのだから、ここまでくるともはや悲劇というほかない。

 ●クオータ制導入やむなし

 それにしても、である。社会の半分は女性なのに、日本の議員の女性比率がソマリアより低い10.8%とは…。もはや、政治の場に女性を強制的に登場させるため、日本でもクオータ制を速やかに導入すべき時期に来ていると筆者は思う。ご存じない方のためにひとこと述べておくと、クオータ制とは、例えば「国会議員における女性の比率は○%以上でなければならない」など、女性の人数比を法律などで強制的に割り当てる制度のことである。

 そこまでの荒療治をすることには、なお反対論・慎重論もあろう。しかし、女性の社会進出を妨げている諸問題――例えば、「保育所の不足」「出産・育児のため本来は最も職業人生が充実しているはずの30代女性が労働市場にいない“M字カーブ”問題」「退職後、育児を終えた女性が仕事に復帰しようとしても、非正規しか職がない」「育児のため勤務時間を柔軟に運用できる制度の欠如」などの問題は、男女雇用機会均等法が制定・施行された四半世紀前から議論ばかり続いている。ずっと同じ議論が続いているということは、この間事態が全く進展しなかったことを意味しており、長年にわたる議論ですでに論点も解決策も出尽くした感がある。むしろ「わかっているのに行動できない」点こそ日本社会の最大の問題点なのだ。

 「行動できない」が問題点である以上、法律で強制するのはひとつの有効な策である。法律で決まれば、「何もそこまでやらなくても」と思うほど律儀に守るのが日本人の国民性だ(逆に言えば、どんな悪法でも「守りすぎる」のが日本人の最大の欠点だとすらいえる)。さしあたり、議員や公務員に限り、25%〜30%を目標として法律で義務化してみてはどうだろうか。議員の場合、女性候補者が増えても当選できなければ目標は達成できないから、例えば衆議院の選挙制度を小選挙区制から拘束名簿式比例代表制に改め、比例代表名簿に法で定められた比率以上の女性が搭載されていない政党は立候補できないようにする、などの方法も考えられる。女性の社会進出の推進が名目であれば誰も反対できないだろう。悪名高い小選挙区制を葬るチャンスでもある。

 近年、女性の社会進出が急速に進んだ国では、ほとんどクオータ制が導入されており、その効果は極めて高い。韓国でもクオータ制により議員の女性比率は13.4%とすでに日本を上回った。日本がこのまま何も手を打たなければ、東アジアで最後の「女性の社会進出が最も遅れた国」になるのは確実だ。

 こうした恥ずべき状況に日本が置かれていることを自覚し、まずは当コラムで筆者が示した改革案だけでも直ちに実行に移してもらいたい。

(2014年7月25日 「地域と労働運動」第166号掲載)

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