●時代が1周し、元の木阿弥?
新しい年、2014年が始まったが、どうも筆者の気分は冴えない。昨年末に悪名高い秘密保護法が成立したことももちろんその原因のひとつだが、昨年夏の参院選で自公与党が過半数を回復、「ねじれを解消」してからというもの、筆者は、安倍政権下の政界風景に強烈な既視感(デジャヴ)を感じるのだ。
『(2013年は)2000年代に見ていた夢から醒めることを余儀なくされ、変わることを拒否する日本社会/日本人の無意識の力の強さを再認識した年』ではなかったか――そう訴えるのは、著名ブロガーのSeaSkyWindさんだ。彼は、『それがはっきりと現れたのは、何より政治分野』であるとして、以下のように続ける。
『55年体制と言われた自民党一極支配体制を変革するべき、という有権者の願いは、一旦は民主党への政権交代という形で実現したが、まだ立ち上がったばかりで本来多少時間をかけて育てて行くべき新政権は、ヨチヨチ歩きを始めた途端に『東日本大震災』という未曽有の大事件に巻き込まれた不幸もあり、また、外交的にもあまりの未熟さを露呈し、あっという間に潰えてしまった。その結果、55年体制ではまだ最低限維持されていたとされる、野党の最後の拒否権(憲法改正に対する拒否権等)も霧散してしまったし、さらに言えば、自民党の中味も、かつてのような強力な派閥がなくなったことの負の側面が表面化して、外交等舵取りが拙い印象の強い現首相のバランサーがいなくなっているという意味で、旧体制以上に危うい存在になってしまっている。
昨年末に大きな騒ぎになった特定秘密保護法など、過去の自民党なら、まず自民党内部でもっと反論が出て喧々諤々の議論になったと思えてならない。原発の再稼働問題にしてもそうだ。皮肉なことに、政界を引退したはずの小泉元首相が原発再稼働反対を主張して注目されているが、これなど、かつてなら自民党内部で議論され、党内で解決されていたのではないのか。もちろん、かつてのような派閥政治の復活を望むわけでは決してないが、バランサーを欠いた今の自民党の危うさは返す返す気になる』。
もちろん、こうした意見には賛否両論があるだろう。特にメディアの罪は大きいと筆者は考えている。秘密保護法案が国会に上程された11月下旬以降、各メディアは反対の論陣を張ったが、そもそも衆参「ねじれ国会」当時、政府・財界の意向を受け「決められない政治からの脱却」を散々訴えたのは他ならぬメディアではなかったか。安倍政権の数に任せての暴走は、メディアが訴えてきたとおりの状況になったからこそもたらされたものではないのか。「数の横暴」「強行採決」と批判するなら、まず「決められない政治からの脱却」を煽ってきたことに対するメディア自身の総括が必要だ。
衆参両院で自公与党が過半数を回復したことにより、政治改革はもとより、政権交代への展望も急速にしぼんだように思う。秘密保護法を審議する国会では、他にポイントを稼ぐところがない野党側が、テレビ映りを意識してここぞとばかりに居丈高に追及、どのような問題の多い対決法案でも最後には成立するとわかっている政府・与党側はそのときだけ平身低頭の姿勢で「政府としては、皆様の意見を真摯に受け止め、しっかりと御説明をして参りたい」などと答弁することが多かった。こうした姿は、55年体制下においては日常的に見られたものであり、政権交代がないことを前提にするならきわめて合理的な国会審議といえる。巨大な政府・与党と、それを追及する何でも反対の抵抗野党――ねじれ国会の解消は、1強多弱といわれた55年体制の再来のようだ。
冒頭に紹介したSeaSkyWindさんの意見に、筆者は全面的でないとしてもおおむね同意できる。自民党に代わる政権交代可能な新たな保守・中道政党を作るという試みは、1993年に成立した細川政権と、2009年に成立した民主党政権の挫折により大きく後退させられてしまった。そのときのキーパーソンだった細川護煕元首相が今、「脱原発」の東京都知事選候補者としてクローズアップされていることに筆者は運命の皮肉を感じる。20年で時代がぐるり1周し、再びあのときの「殿」のお成り…というのでは、やはりこの間は失われた20年であったのかと思わざるを得ない。
フランスでは2012年、社会党のオランドが国民運動連合(保守)のサルコジを破り、政権の座に就いたが、「左翼政権」成立後もシリアへの軍事介入に積極的な態度を見せ、また、マリ共和国や中央アフリカに対しては実際に軍事介入を続ける同国の姿勢を見ていると、「政権の枠組み」論だけで明日にも私たちの望む政策が実現するかのような誤った政治的評価は慎まなければならないことが理解できよう。私たち自覚した市民による、院外における大衆闘争・直接行動のみが未来への扉を開くのであり、政権交代が遠のいたからといって、私たちがいたずらに展望を見失うことは避けなければならない。
とはいえ、自民党に代わる政権交代可能な新たな枠組みを作るという試みそれ自体は否定すべきでない。そうした試みの中から「よりまし」な政権の枠組みが生まれることはあり得るからだ。ただ、政策よりも「人」が重視される現在の野党陣営の離合集散の中からは、「よりまし」な政権の枠組みすら展望できない。このままでは、おそらく20〜30年後も「自民党に代わる新たな野党」が模索され続けているであろう。
筆者がそのように断言できるのは、自民党とはなにか、そしてそれが日本の政治・行政の中でいかなる役割を担ってきたのかに関する科学的考察を彼らが全く欠いているからである。「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」(孫子)という言葉があるが、自民党を倒したいと願うなら、まず「彼を知る」ことから始めなければならない。
何度失敗を繰り返しても学習せず離合集散ばかりを繰り返す進歩のない野党陣営に代わり、本稿筆者が大胆に自民党政権の分析を試みることにしよう。
●自民党は果たして「政党」なのか?
『(2009年)8月選挙での自民党政権の敗北とは、保守二大政党間の政権交代というものではなくて、戦後政治支配レジームの解体と捉える必要があると考えている。50年にわたって続いた自民党支配とは、長期にわたって存続した特定の国家体制――自民党と国家機構が制度的に癒着した体制――を表わしていた。自民党とは、この国家体制のつくりつけの装置であった。それは、政権交代を前提にした政党ではなかったのである。自民党は、メキシコを半世紀以上支配した制度的革命党や、ほとんど国家そのものと同一視された1947〜77年のインドの国民会議派、スハルト独裁と一体化したインドネシアのゴルカル体制、いや中国における中国共産党支配とさえ共通点をもつ政治的支配制度そのものであった…(中略)…自民党はアメリカの民主、共和両党やイギリスの保守党、労働党のような二大政党の一極としての政党ではなく、戦後国家に作りつけの統治装置として存在していたことから、それを倒して成立した民主党政権は、一方において、この装置全体への選挙民の不信と拒否の受け皿として信任されたと同時に、逆説的に、自民党を取り外した姿でのこの装置の相続人として、その形式をそのまま引き継いだという点に注目すべきであろう。…(中略)…民主党はしたがって過渡的政党であり、民主党政権は過渡的政権であろう』
これは、『季刊ピープルズ・プラン』第49号(2010年春号)に掲載されたピープルズ・プラン研究所の武藤一羊さんによる論考である。2009年夏の政権交代による鳩山政権成立から半年経った頃のものだ。自民党を、欧米各国の2大政党体制における「2大政党の1極」とみなすのではなく、自民党そのものを国家権力機構の一部と見る考え方は、割合多くの識者から指摘されており、武藤さんや本稿筆者が初めてではないと思う。武藤さんが指摘するように、日本における自民党は、欧米資本主義各国の政党のように、政権交代を前提として作られたものではない。武藤さんは件の論考中で触れていないが、むしろそれは、東西冷戦の中「反共の防波堤」として日本を機能させるために考案された装置であった。日本社会党に政権が渡り、日本が社会主義化はしないまでも「反共の防波堤」としての機能が大幅に低下することを怖れた日米支配層の政治的意思を反映する形で保守合同が行われたのが1955年であり、その経緯からしても自民党とは政権交代させないために考案された日本官僚支配システム「つくりつけの装置」と見なければならないのである。
冒頭に少し触れた国会における法案審議のあり方など、政権交代をむしろ当然の前提とする欧米各国の常識では不可解な出来事の多くも、この考え方に立てば容易に説明がつく。自民党政権下の日本では、政府提出法案が成立するかどうかを予測するには、国会よりも自民党内の担当部会での審議を見るほうが正確だった。自民党内に、中央省庁に対応したいくつもの部会が置かれ、族議員を中心にその分野に詳しい議員が所属。賛成派、反対派の両方が存在する部会では、政府提出法案に対し、激しい意見が闘わされる。議論に一定の時間を費やした段階で、部会長が一任の取り付けをはかり、ここで一任が取り付けられた場合には、部会長が党執行部に報告。法案提出となり、国会では部会で反対した議員も一丸となって成立に全力を尽くす。一方、部会長が一任取り付けに失敗した場合も党執行部に報告するが、この場合、政府法案の国会提出は見送られる。法律に全く根拠のない、与党によるインフォーマル(非公式)な形での法案事前審査だが、事実上この事前審査が政府提出法案の生殺与奪を握っていたから、官僚は自民党の担当部会で了承を取り付けるために必死で法案を練り、説明に奔走した。官僚からは、自民党単独政権の時代のほうがむしろ法案の審査は厳しかった、との声すらある。
こうした法案成立過程を見ていると、武藤さんが自民党政権の特質の中に中国共産党政権との類似性を見たのにもうなずける。旧ソ連をはじめとする社会主義国の1党支配体制の下では、実質的に法律案を決めるのは党政治局であり、議会(旧ソ連では最高会議、中国では全人代)は実質的な追認機関に過ぎなかった。
2009年に政権から転落するまで、自民党のホームページのトップに「デイリー自民」というコーナーがあり、各担当部会での法案審査の概要もここで公表された。しかも公表はたいていの場合、マスコミが報道するよりも早かった。こうした事実を知っている筆者からすれば、政府提出法案に対する党の方針、いやそれどころか党の基本政策さえいつ、どこで、誰によって決まったのかわからないまま事が進んでいく民主党政権のあり方は問題外であり、揺籃期にあったとはいえ民主党政権の稚拙さを印象づけるにはじゅうぶんだった。
●今に生きるサルトーリの考察
筆者が、少なくとも戦後では最も有能な政治学者として評価している人物のひとりにジョヴァンニ・サルトーリ(イタリア、1924年〜)がいる。世間を納得させ得る「政党制の類型化」に世界で初めて成功した人物だ。サルトーリによれば、世界の政党制は以下のように分類できる。
◇非競合的政党制
一党制…1政党のみの存在が許されているもの
ヘゲモニー政党制…特定の1政党の支配権が法的制度的に保障されているもの
◇競合的政党制
一党優位政党制…政党間の自由な競争が許されているにもかかわらず、長期間1党支配が続き、政権交代がないもの
二大政党制…並立する2大政党が政権交代しながら競い合うもの
穏健な多党制…政党間のイデオロギーの差異が小さい多党制で、各党が競争しながら連立して政権を構成するもの
分極的多党制…政党間のイデオロギー距離が大きく多極構造をもつ多党制
一党制は、共産党のみ存在が許されていた旧ソ連が典型例である。ヘゲモニー政党制は、武藤さんが考察したインドネシア・スハルト政権下における与党ゴルカルや、中国共産党支配体制がここに含まれる。中国の政治体制を一党制に含めないのは、中国共産党以外に8つの合法的な衛星政党(民主諸党派)が存在するからである。朝鮮民主主義人民共和国の政治体制も、朝鮮労働党以外に2つの衛星政党が認められている点で、一党制ではなくこちらに属する。ただ、中国や北朝鮮の衛星政党は、いずれも支配党を補完するためのもので、党の運営資金は支配党(中国共産党、朝鮮労働党)から支給されており、また支配党に挑戦したり、取って代わったりすることは認められていない。
注目すべきなのは「一党優位政党制」だ。政党間の自由な競争が許されているにもかかわらず、長期間1党支配が続き、政権交代がないものをこのように命名した上で、サルトーリは一党優位政党制の典型例として、インドの国民会議派政権と並び、日本の自民党政権を挙げている。
ヘゲモニー政党制と一党優位政党制は、複数の政党が存在する中で、どちらも特定の1つの政党が長期間政権を担当し続ける点において表象的には同じもののように見えるが、この2つの違いは「特定政党による長期単独支配が法的制度的に保護されているか否か」がポイントであるとサルトーリは述べている。なぜ一党優位が発生するかについて、筆者は有力な資料・文献にたどり着けていないが、「与党は与党であることそのものが有利に作用し、次の与党の立場が準備される」のであり、野党もその逆と考えるのが適切であろう。長く与党の座を続けていれば、有能な人材も資金も情報も与党に集中するようになる。そのことが一党優位の源泉になるのだと考えられる。
政党制の類型化に世界で初めて成功した政治学者の見解でも、日本の自民党政権は欧米各国の2大政党制とは似て非なるものである。現代日本の政治体制のまま2大政党制を確立することは困難であることが理解できよう。
●野党も果たして「政党」なのか〜院内集会の風景から
サルトーリが例示するほど世界的に見ても特徴的な一党優位政党制である日本で、野党はいかなる役割を果たしているのか。筆者の見解では、市民団体と官僚の仲介役以上の役割は果たしていないように思われる。
最近、国会内では毎週のように様々な院内集会が開かれているが、そうした風景を見ていて思うのは、院内集会が「何も知らない政治家に、自覚し学習した市民が一方的に教えてあげる場」「市民が直接官僚を引きずり出し追及する場」になってしまっていることだ。本来であれば、選挙を通じて選ばれた政治家が市民を越える知識と知恵を持ち、行政(官僚)と市民をつなぐ存在として機能していなければならないが、院内集会でしばしばこうした風景が見られる背景に政治家と政党の機能不全があることは指摘しておかなければならない。
政権に長期間参加できない野党の国会議員の中には、こうした院内集会の仲介や参加がむしろ本来の仕事に近い状況になっている人も多いが、国会議員が国会で政府を追及できず、市民が官僚を引きずり出す場としての院内集会をセットしたり、参加する市民に後ろからついて行ったりするだけの状況は嘆かわしいことこの上ない。この程度の国会議員に歳費を支払うこと自体が税金の無駄遣いレベルであり、市民が官僚を直接追及できるほど勉強し力をつけている現在、このままでは国会議員不要論さえ起こりかねない。
●自民党を倒すと日本が倒れる?
与党は統治機構の一部を成す「つくりつけの装置」として、またこれに対する野党は院内集会をセッティングする存在としてしか機能せず、自民党・官僚が一体化した「日本というシステム」と市民が直接対峙し交渉するのが日本の政策決定の実態であることをこれまでに見てきた(ここで筆者のいう広義の「交渉」には政策決定時におけるパブリック・コメントへの意見提出、電話・FAXによる抗議など、およそ政策決定に影響を与えようとするすべての行為が含まれる)。こうした事実を検証すれば、みんなの党や「結いの党」、生活の党や日本維新の会などが繰り広げている空騒ぎのレベルではどうにもならないことが理解できるであろう。起きている事実から一定の推論を導く本稿のような冷静な検証を欠いたまま、「誰を親分として立てるか」のみに心を奪われている彼らが自民党を倒すことなど、おそらく100年後も不可能である。では、どうすれば自民党を倒せるのか?
もう一度、冒頭の武藤さんの論考に戻ろう――もし彼の言うように、自民党が「国家体制のつくりつけの装置」であり、「中国共産党支配とさえ共通点をもつ政治的支配制度そのもの」であるならば、自民党支配が倒れることはそのまま、日本国憲法に依拠してきた戦後日本体制の崩壊につながるであろう。共産党一党支配を解体した瞬間ソ連そのものが消滅したように、自民党政権の墓場はそのまま戦後日本体制の墓場になるであろう。半世紀にわたって日本を支配し続け、戦後日本そのものでもあった自民党を倒すのはそれほどの難事業であり、もはや戦後日本体制もろとも彼らを吹き飛ばすことでしか解体は不可能である。
自民党政権による長期1党支配を可能ならしめた要因のうち上記は政治的なものだが、武藤さんはまた、経済的側面からも自民1党支配を考察している。そこではこのように述べられている――『このような支配を裏付けたのは戦後日本資本主義の一国主義的資本蓄積様式――日本国領土を生産・輸出基地とする蓄積様式――であったから、1980年代に開始され、90年代に大波のように日本を巻き込んだ世界資本主義の新自由主義的グローバル化は、この国民統合の前提を掘り崩さないわけにいかなかった。そして2001年に登場した小泉政権は「構造改革」という名におけるグローバル化と、民営化による福祉と公共サービスの解体を推進し、自民党体制の国民統合基盤そのものをあえて破壊した。小泉はこの「改革」への「抵抗勢力」は粉砕する、そのためには自民党をぶっ壊してもいいと宣言した。そしてその通り、自民党はみずからの基盤をぶち壊し、自壊の道に入った』。
自民党が一貫して追求してきた公共事業による「土建国家体制」「ゼネコン資本主義」は、まさにこの戦後日本資本主義の一国主義的資本蓄積様式だったのだと改めて理解した。そしてアベノミクスは明らかに、日本経済が世界経済に組み込まれグローバル化した現在では実現不可能となったこの方式に回帰しようとしている。
そこにまで考えが至り、私は改めて、ああなるほど、と膝を打った。過去2回の国政選挙――2012年衆院選、2013年参院選における安倍自民のスローガンがなぜ「日本を、取り戻す」であったのか。そして、実現不可能な「過去モデル」に戻ろうとしている安倍自民の前に、なぜ今になって突然、小泉純一郎が立ちはだかったのか。ようやく全容を理解できたような気がする。
武藤さんの論考が正しいとするならば、戦後日本体制は風前の灯と見るべきであろう。まもなく日本版「ソ連消滅」の日が訪れるであろう。ソ連崩壊を巡るエピソードのひとつとしてチェルノブイリ事故が添えられたように、戦後日本体制もろとも自民党政権が消滅するとき、福島事故がエピソードのひとつとして添えられるであろう。
おそらくあと数年経てば、政権交代よりも、むしろ「ポスト戦後日本体制」をにらんだ新しい時代への胎動が始まると筆者は予測する。私たちはその新しい時代に備えなければならない。大企業・財界や右翼の立場ではなく市民の立場で、第2次世界大戦と侵略戦争の反省に立った「不戦の誓い」、そして日本国憲法が残してくれた民主主義的諸権利を、どのようにして新しい時代に引き継ぐのかを構想しなければならない。いざそのときが来て慌てふためくようでは、「旧ソ連時代のほうが良かった」と過去を回顧するロシアと同じになりかねないと思うから。
<参考文献・資料>
・2014年年頭所感/2013年総括および2014年の抱負(SeaSkyWindさんのブログ)
・鳩山政権とは何か、どこに立っているのか―自民党レジームの崩壊と民主党の浮遊(武藤一羊さんの論考、『季刊ピープルズ・プラン』第49号(2010年春号))