これはいつか来た道か? 「意志の力」とオリンピック〜「ヒトラーに学ぶ」安倍首相


 ●「意志の力」とナチス

 「明治人たちの『意志の力』に学び、前に進んで行くしかない」「要は、その『意志』があるか、ないか。「強い日本」。それをつくるのは、ほかの誰でもありません。私たち自身です」「今の日本が直面している数々の課題…これらも『意志の力』さえあれば、必ず、乗り越えることができる。私はそう確信しています」

 10月16日に招集された臨時国会の所信表明演説で、安倍晋三首相は「意志の力」というフレーズを4回使った。うち2回はパラリンピックで15個の金メダルを獲得した水泳の成田真由美選手をたたえた言葉。あとの2回は「強い日本を目指せ」というメッセージだ。「意志あるところに道はある」という英語のことわざ(注1)は確かにある。このような文脈で使うべき言葉でないのは確かだが。

 所信表明演説を受けた各党の代表質問で、海江田万里民主党代表は「思い出したのは『意志の力』を好んで使った独裁者のこと」だと痛烈に皮肉った。それほど世界史に詳しい人でなくても、これを聞いて思い出すのは、1934年、ドイツで制作されたナチス党大会記録映画「意志の勝利」(レニ・リーフェンシュタール監督)だろう。この前年、1933年に制作された「信念の勝利」に続くナチス党大会記録映画2部作は、ヒトラーと党幹部を熱狂させ、国家映画賞を獲得する。

 そういえば、ヒトラーはこうも言っている。「兵器は錆び、隊形は時代遅れになる。だが意志だけはこの両者を何度でも復活させることができる」(注2)。そのヒトラー率いるナチス・ドイツと戦い、ソ連を勝利に導いた独裁者ヨシフ・スターリンも「私の信じるものはただひとつ、人間の意志の力だけだ」との言葉を残している。朝鮮民主主義人民共和国のテレビで1993年5月に放送された記録映画「燃える青春を捧げて」も同様であり、「親愛なる指導者同志(金正日・朝鮮労働党総書記のこと)に従い、生きても死んでも革命の道に栄光の信念と意志をもって」闘っていこう、と若者たちを説諭する。古今東西、どこを見ても独裁者の思考回路には共通点がある。

 やたら「意志の力」を連呼する安倍首相も、麻生副総理に言われるまでもなく、ちゃんと「ナチスの手口」に学んでいる。というより、安倍首相には生まれながらにして独裁者になるための「天賦の才能」があるというべきだろう。

 1996年に発表された小説『沢蟹まけると意志の力』(佐藤哲也・著、新潮社)が興味深い考察をしている。「意志の力とは不可能を可能にする力ではない。不可能なことを可能だと断言する力である」。安倍首相はこの「力」によって東京五輪をかすめ取り、福島第1原発からの汚染水もコントロールされていることにしてしまった。

 だが、ここに来て、多くの市民が安倍首相の危険性に気づき始めたようだ。秘密保護法に反対する東京・日比谷の集会では「アベットラー」というプラカードを掲げる市民もいた。ネーミングセンスは今ひとつだが主張はよく理解できる。安倍首相をヒトラーになぞらえる声もこのところ急速に増えつつある。

 ●1940年東京大会、中止へ

 東京には、オリンピック開催が決定しながら返上した歴史がある。1940年、第12回夏季オリンピック大会での出来事だ。

 1923年の関東大震災で痛手を受けた東京の「復興」を世界に向けて発信するためオリンピックを誘致しよう、との声が地元・東京市を中心に上がり始めた。最初に誘致の方針が示されたのは1929年。誘致を求める建議書が東京市会で可決されたのは2年後の1931年10月だったが、時あたかも満州事変が勃発。日本政府はその対応に追われており五輪どころではないのが実情だった。

 1940年が日本にとって「皇紀2600年」に当たることから、照準はこの年の第12回大会に定められた。すでにナチス・ドイツは1936年のベルリン大会を開催しており、1940年の大会はファシスト支配下のイタリアもローマでの開催を目指してIOC(国際オリンピック委員会)などへ働きかけを強めていた。日本は、1940年のオリンピック開催をローマに辞退してもらうため、ムッソリーニに直接働きかけた。「1940年が日本にとって皇紀2600年に当たり、国を挙げてオリンピック誘致を望んでいる。その国民の気持ちを尊重してこの年の大会を日本に譲ってくれるならば、ご希望に従い、1944年の大会がローマで開催されるよう日本は全力を尽くす」と説明し、ムッソリーニの了解を得たと言われる。

 ローマ辞退の連絡を受けて、ようやく日本の各界は誘致に向けて一丸となり始めた。第12回大会が希望通り東京に決定したのは、1936年8月1日のこと。IOC委員による投票は東京とヘルシンキ(フィンランド)の一騎打ちとなり、東京34票、ヘルシンキ27票だった。

 だが、1937年、日中戦争の勃発によって情勢は暗転した。満州事変を受けても、政府の「不拡大方針」により東京大会の準備作業は続いたが、戦争は終息せず、ついに日中全面戦争に入っていた。従来、日本ではオリンピックの馬術競技には陸軍騎兵隊から選手が選抜されていたが、1937年8月、その陸軍が「東京大会に選手は送らない」と表明、開催が危ぶまれ始めた。続いて風見章内閣書記官長(現在の内閣官房長官に相当)の談話として「政府はオリンピック東京大会を返上する予定」との記事が新聞紙上に掲載され、日本国民に大きな衝撃を与えた。

 9月に入り、帝国議会でオリンピック開催に反対していた河野一郎代議士(注3)の質問に対し、近衛文麿首相、杉山元陸軍大臣は「関係団体と協議の上、近く態度を決定する」と答弁。「従来通り開催」の政府方針から後退した姿勢が示された。

 1938年になると、アジア大陸への侵略を強化する日本に対し、国際世論も厳しさを増した。米国では「日本の財政行き詰まり」を理由に東京大会返上の噂で持ちきりだった。英国アマチュア体育協会は「英国選手たちは日本での大会を支持しない」と表明。この年3月、カイロで開かれたIOC総会では、「大会開始までに日中間の戦争が終息しない場合」について委員から日本に質問が行われたが、日本側は「必ず開催する」としか答えられなかった。だが、1938年7月までに、IOC委員長宛に届いた東京大会反対の電報は150通を超え、1939年1月の大会招請状発送までに戦争が終結しない場合、米国、英国、スウェーデンなどの各国が東京大会をボイコットする可能性をほのめかした。

 事ここに至り、ラツールIOC委員長が「個人的意見」と前置きした上で、「日本側から大会返上を申し出てはどうか」と助言した。米国のIOC委員2名が「アジア諸国への侵略戦争を続ける日本の首都・東京での大会開催は真の国際平和と親善を実現しない」と表明、抗議の辞任をするなどの動きも出て、「戦争を続けながらのオリンピック開催」が不可能であることを、当時の日本政府は悟らされたのである。

 一方、国内に目を転じても、日中戦争遂行のため極端に物資が不足、政府は資材の統制を必要としており、スタジアム建設にも支障が生じていた。東京市は資金調達のための地方債の起債にも困難を生じ、現在で言うところの財政再建団体とほとんど変わらない状況だった。こうして、ついに1938年7月15日、政府は閣議を開催、第12回東京オリンピック大会の中止を正式決定。IOCは開催地をヘルシンキに変更したが、1939年に第2次世界大戦が勃発したため、第12回大会は中止に追い込まれた。

 幻となった第12回東京オリンピックに代わり、日本政府は「紀元2600年奉祝東亜競技大会」を開催したが、日本以外の参加国はフィリピンのほか「満州国」、そして汪兆銘率いる中国(南京政府)のみ。中国(国民党・蒋介石政権)が日本の侵略に対し、当時、首都を重慶に移して抵抗を続ける中、南京政府は日本の後押しによって生まれた政権だ。日本の傀儡政権を除けば、事実上、海外の参加国はフィリピンのみという寂しいもので、大会のパンフレットは物資不足のためザラ紙に印刷されていたという。国際的孤立を深め、政治的にも経済的にも困窮する当時の日本を象徴する出来事だった。

 ●2020年、東京〜このままでいいのか?

 2020年のオリンピック夏季大会が東京に決まる過程を見て、当時と似ていると思ったのは私だけではないだろう。関東大震災からの復興が名目の1940年大会に対し、東日本大震災からの復興が名目の2020年大会。アジア侵略戦争という最大の懸念材料を抱えた当時に対し、原発事故という最大の懸念材料を抱える今回。当時も今も同じ破たん寸前の国家財政。途中でローマが辞退したことも当時と同じだ。そして何より共通するのは、オリンピックがその名目とした「復興」が誰のためのものなのか、という根本的な疑問だ。

 2020年東京大会の「返上」を私は荒唐無稽な考え方だとは思わない。当コラムで1940年大会の返上過程を詳しく見たのもそうした問題意識からである。もちろん、当時と今とでは時代背景も国際情勢もオリンピックの開催様式も違いすぎて、同じように論ずることはできないだろう。例えば、平和と国際親善のために資するものでなければならないというオリンピック精神のようなものは、当時は今よりはるかに強かったし、サマランチIOC会長時代以降、極端になったオリンピックの商業主義は、当時ほど容易に大会中止を許さないように思われる。

 だが、例えば原発事故による海洋汚染をめぐり、日本が国家予算の数十〜数百倍もの規模の賠償を求められた場合、その賠償を支払いながら兆単位の支出をしてオリンピックを開催することが果たしてできるだろうか。大会開始までに首都圏直下型地震が襲い、破壊されたインフラの再建に数十兆円もの費用が必要となった場合、それでもオリンピックを開催することが可能だろうか。

 財政難でスタジアム建設のための起債にさえ事欠いた当時の状況を「今はそんなことがあるわけない」と笑うことはできない。ただでさえ東日本大震災からの「復興」のため、被災地では極端な資材・建設労働者の不足がすでに起きており、「復興」事業に支障を来すまでになっている。この上オリンピックとなれば、当時のような財政難ではなく建設労働者の不足によって期限までにスタジアムが建たないという事態はあり得るように思うのだ。

 政府は、すでにそうした事態を見越しているように思う。実際、東京オリンピック決定直後の9月12日、NHKニュースはこのように伝えた――『政府の経済財政諮問会議の民間議員を務める東京大学大学院の伊藤元重教授ら4人の民間議員は、2020年に東京で開かれるオリンピックとパラリンピックを安倍政権の経済政策・アベノミクスの「第4の矢」と位置づけた提言をまとめました。提言では、政府が創設を目指す「国家戦略特区」に東京を速やかに指定し、今後3年から4年をめどに、医療や教育、それに都市計画などの分野で大胆な規制緩和を進めるよう求めています。また、競技施設をはじめ、首都高速道路の改修など、インフラの整備にあたっては、財政負担をできるだけ少なくするため、公共施設の建設や運営を民間企業が行う「PFI」と呼ばれる手法を最大限活用することを提案しています』。

 「東京五輪特区」により「東京ではオリンピック開催までの間、建設業関係の資格(クレーン操縦、玉掛けなど)を持っていなくても、誰でも建設業に従事することを認める」などということになりかねない。経済財政諮問会議民間委員の提言は、そうしたことも想定しているものと見ておかなければならない。オリンピックは利権を漁る者たちにとって「宝の山」であり、なんとしても成功させたいからだ。

 これから壮絶な利権争いも始まる。東京都知事はこの利権を差配する立場にあり、オリンピック決定とあわせるように「猪瀬都知事バッシング」が始まったのも、この利権争いが背後にあると見ておかなければならない(医療法人徳洲会グループから猪瀬直樹・都知事への5000万円供与問題の追及に、共産党などよりも自民党などの保守勢力が熱心であることも背後に利権の存在をうかがわせる)。また、この提言を中心になってまとめた伊藤元重東大大学院教授は「TPP交渉への早期参加を求める国民会議」代表世話人を務めており、強硬なTPP推進派として知られる。オリンピックとTPPによる利権の二重取りを画策していることは明らかだ。

 オリンピック東京招致委員会の竹田恒和理事長が、開催決定前、ブエノスアイレスで開いた記者会見で「東京は水、食物、空気についても非常に安全なレベル。全く懸念はない」「福島とは250キロ離れている」と発言したことが福島県民から強い反発を招いたが、東京もウクライナの首都・キエフに匹敵する放射能汚染に見舞われている。江東区・江戸川区などの東京都東部を中心に、福島県内に匹敵する高い土壌汚染が検出されている場所もあり、決して安全な水準ではない。

 カヌー(スラローム)競技が開催予定の葛西臨海公園は貴重な野鳥の生息地でもあり、日本野鳥の会が「会場建設による影響は公園全体の生態系に及び、多くの生き物の生息が脅かされる」として予定地変更を求める声明を発表している。たった5日間だけのカヌー競技のために貴重な野鳥の宝庫をつぶすなど言語道断だ。問題だらけの東京五輪は中止を含め再検討するよう、当コラムは強く求める。

注1)原語では、”Where there's a will, there's a way.”である。
注2)『続・わが闘争』平野一郎訳、角川文庫。
注3)政友会(戦後は自民党)衆議院議員。河野洋平元衆院議長の父、河野太郎衆議院議員の祖父。

<参考文献・資料>
「中悪」と「意志の勝利」(斉藤美奈子・著、共同通信コラム「現論」2013年)
・オリンピックの政治学(池井優・著、丸善ライブラリー、1992年)

(2013年12月25日 「地域と労働運動」第159号掲載)

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