農業と原発〜農業政策の立場から見た福島原発事故

 ●JAグループの脱原発宣言

 JA(農協)グループは、2012年10月10〜11日に開催した第26回定期大会で、「将来的に脱原発を目指す」とした運動方針を採択した。

 大会に先立つ2012年10月5日の記者会見で、全国農業協同組合中央会(全中)の萬歳章会長は「悔しいことだが自分たちの力ではいかんともしがたい状 況に追い込まれた。(安全・安心な農産物を供給する農業と原発とは)まったく相容れない」「我々は国民に安全・安心な農畜産物を提供するのが使命。原発事 故の放射能汚染は後始末ができない。こういうリスクを踏まえてまで原発をやる必要があるのか」と述べた上で、「ドイツ、ベルギー、イタリアなどで脱原発の 世界的な流れができている。社会の方向は脱原発になると思っている」と、脱原発を運動方針に盛り込むに至った経緯を説明した。

  JAグループでは、全国農業協同組合連合会(JA全農)が全国の農家やJA関連施設の屋根にソーラーパネルを設置し、電力を電力会社に売電する太陽光発電 事業に参入。2014年度に最大出力20万キロワットを目指しており、国内の太陽光発電としてはソフトバンク子会社の「SBエナジー」の計画(20万キロ ワット以上)と並び、国内最大規模となる予定だ。

 また、「第26回JA全国大会組合員説明資料」によれば、JAグループとして、1950〜60年代から小水力発電、太陽光発電、バイオマス(生物資源) 発電に取り組んできた活用事例も示されている。2009年度の農水省資料によれば、全国で京都府や和歌山県の面積にほぼ匹敵する461万ヘクタールが耕作 放棄地になっており、こうした土地を有効に活用することができる太陽光発電の潜在力には大きなものがある(原発推進派からは「太陽光発電は不安定で期待で きない」との声が聞かれるが、農業に適した土地は長い日照時間に恵まれていることが多く、こうした批判は的外れである)。福島原発事故という不幸なできご とをきっかけとしてではあるが、脱原発に大きく踏み出したJAグループの決断を歓迎したい。

第26回JA全国大会議案『次代へつなぐ協同』〜協同組合の力で農業と地域を豊かに〜より(抜粋)

<将来的な脱原発に向けた循環型社会への取組みの実践>
将来的な脱原発に向けた再生可能エネルギーの利用促進、地球温暖化等環境問題について、各JA・地域の人的・物的資源を最大限活用する取組みを地域から広げていきます。

○将来的な脱原発に向けて
安全な農畜産物を将来にわたって消費者に提供することはJAグループの使命であり、東日本大震災に伴う原発事故の教訓を踏まえ、JAグループとして将来的な脱原発をめざすべきと考えます。

○再生可能エネルギーの利活用
太陽光・小水力等による自然エネルギー発電やバイオマス資源等地域のエネルギー資源を最大限活用できるよう取り組むとともに、小規模でも事業継続ができるよう再生産可能な売電価格の設定等長期的な視野での政策支援を求めていきます。

○地球環境問題への取組み
女性組織がすすめてきた「JA女性エコライフ宣言」に基づく日頃の環境保全運動(マイ箸、マイバック、生ゴミリサイクル等)や省エネルギー運動(節電、節水等)をJAグループ全体の取組みとして、組合員・地域住民とともにすすめます。

 ●明らかな原発事故の影響

 農水省が公表した2012年版食料・農業・農村白書が震災から1年後(2012年3月時点)における被災農家の営農再開状況をまとめている。3万8千戸 の被災農家のうち7割が営農を再開、岩手では平均を上回る95%が再開したのに対し、福島は34%。津波被害が激しかった沿岸部だけの比較でも、宮城 45%に対し福島は17%と明らかな差がある。営農が再開できない農業者にその理由を尋ねたところ、岩手99%、宮城97%の農業者が「耕地や施設が利用 できない」と回答したのに対し、福島は96%が「原発事故の影響」とした。

 消費者が買ってくれるかどうかという現実論を別とすれば、国の基準では現在、1キログラムあたり100ベクレル以下であれば出荷できる。例えばコメの場 合、農水省では移行係数(土壌中の放射性物質のうち、作物に移行する割合)を1割としているから、土壌中の放射性物質濃度1キログラムあたり1000ベク レルが出荷できる1つの目安となる。ところが福島県内では、総耕地面積14.4万ヘクタールのうち、この数値を上回るものが6.2万ヘクタール(全体の 43%)もある。

 都会の消費者の感覚では「大甘」に思える国の基準を満たす農地ですら、福島県では6割しかないのだ。消費者が求める「限りなく放射能フリー」の農産物を提供できる農地は当然ながらさらに少なくなる。

 原発事故後、福島県内の自殺者の多くは耕作の道を絶たれた自営農家だった。福島農業の再建の道は遠いと実感させられる。同時に、こうした現実を無視して進められる「復興」とは何なのか考える必要がある。

 ●大企業への対抗の道壊す

 農業関係者も含め、あまり指摘されていないが、原発事故と農業の関係を考えるとき、どうしても見ておかなければならない重要なことがある。食料安全保障に原発事故が与える影響だ。

 農水省では、2002年に策定した「不測時の食料安全保障マニュアル」を東日本大震災と福島原発事故を受けて見直し、「緊急事態食料安全保障指針」とし た。この指針は、大震災による交通・輸送手段の途絶から首都圏などで大規模な食料品の買い占めにつながった経験をもとに、物流ネットワークのサプライ チェーンの機能維持を図ることを提唱。緊急事態下における食料安全保障には、平素からの食料供給力の維持・強化、主要食糧の備蓄、輸入先の分散・安定化が 必要、とした。

 その内容にはおおむね同意できるが、問題はそれらをどう実現するかである。「平素からの食料供給力の維持・強化」のためには、災害や異常気象に左右され ないよう、輸入先のみならず国内においても食料生産の分散化が図られる必要がある。全国各地で地産地消を進めながら、地域内で生産・消費が完結する仕組み を築いていくこと、農業者が生産のみならず流通・販売まで一貫して手がける「6次産業化」を進めながら、生産者と消費者が手を携えていくことは、「いの ち」と「食」を支配下に置こうとたくらむ大企業に地域から対抗するための有力な回答だった。

 多くの福島県民は農産物を家庭菜園で自給し日々の食料をまかなっていた。余った農産物を隣近所に分け与えることも普通に行われていた。直売所に行けば、 都会のスーパーよりも安い価格で多くの新鮮な農産物が売られていた。1人あたり県民雇用者所得(2009年度)が47都道府県中35位という水準にありな がら、福島県民が一定の生活を維持できた背景にこうした「地域循環・共生型」システムがあった。

 原発事故が犯罪的なのは、こうした地域循環・共生型の仕組みを作り上げようとしていた東北の食料供給地帯の基盤を根こそぎ破壊したことである。自給自足 で生計を立てていた福島県民が、原発事故ゆえに大企業が提供する食料品の単なる「買い手」に貶められた。大企業にしてみれば、新たな顧客が増えたことにな り、原発事故さえ自分たちの事業と利益を拡大する契機として作用したことになる。これをショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)と言わずしていったい なんと言うのだろうか。

 原発事故が再び起これば、日本の産業基盤は壊滅する。そのとき、食料を供給できなくなった日本の取り得る唯一の道が、TPP参加による国際分業体制への 組み込みというのではあまりに悲しすぎる。しかしそれは決して絵空事ではない。無能な政治・行政、そして「いのち」と「食」の支配を虎視眈々と狙う経済界 の現状を踏まえれば起こりうるシナリオなのだ。米倉弘昌・日本経団連会長が経営する住友化学が、遺伝子組み換え作物で世界の食糧支配を狙う米国モンサント 社と協力関係にあることを決して忘れてはならない。

 ●真の復興とは〜農業者にも求められる改革

 こうした考察をもとにすれば、東北被災地において真の農業復興とはなにかという命題にはおのずから回答が導き出される。福島県が躍起になっている「風評撲滅」路線では農業者と消費者が共倒れしかねない。また宮城県が強力に推進している「水産業特区」構想(漁業権を漁協から取り上げ「やる気のある」大企業に移転しようとするもの)では食の支配権が農業者から企業に移ることになる。こうした市民無視の「復興」から生産者、消費者本位の復興へと舵を切り替えるには、困難ではあっても地域循環・共生型システムの再構築を行うことが必要だ。当面は、2010年に施行された6次産業化法(正式名称「地域資源を活用した農林漁業者等による新事業の創出等及び地域の農林水産物の利用促進に関する法律」)の精神を活かしながら、農業者と消費者が手を携え、共同の利益を追求できる地域コミュニティの再建を目指すべきだ。

 その際には、農業者にも「変化する覚悟」が必要である。これまでの日本農業は、特に花き栽培などに見られるように、ビニールハウスやガラス施設で安定的 な生産を行うため、1年中冷暖房を入れ続けるなどの実態があり、必ずしも環境保全に役立っているとは言い難い面があった。そこには、戦後的「大量生産・大 量消費」型の価値観に支配され、それまでの農業・農村が持っていた多面的価値を失う中でみずから困難を招き寄せてしまった農業者の姿もかいま見える。私た ちがモデルとすべき新しい農村の姿は、そうした戦後型農業から、真に価値ある地域の資産を守り、再生産してゆく持続・循環型農業への転換を追求する中でお のずから見えてくるであろう。JAグループが福島の惨劇の中から学び取った脱原発の方針も、そのとき初めて生き生きと輝くものになるに違いない。

(2013年1月25日 「地域と労働運動」第148号掲載)

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