千曲川・信濃川エコツアーに参加して

 2012年5月26〜27日にかけて、千曲川・信濃川流域を旅する「エコツアー」(主催:千曲川・信濃川復権の会)に参加してきた。主催団体である千曲 川・信濃川復権の会は、JR東日本による信濃川からの不正取水問題等をきっかけに、水は誰のものか、いかにして水環境を守るかを考えることを通じて、信濃 川を日本一の大河として復活させようと2010年に発足した。「川と水環境を守ること」で一致する人であれば、立場を問わず参加できる。取水によって川を 死に至らしめているダムを廃止させ、「水基本法」を制定させることを活動目標としている。その「復権の会」の主催で、水力発電の現場を実際に見て歩こうと 企画されたものだ。

ツアー1日目 2012年5月26日(土)

午前10時、越後湯沢駅に到着。今夜宿泊予定の旅館「田中温泉しなの荘」 のマイクロバスが出迎えており、津南町へ。「農 と縄文の体験実習館 なじょもん」を訪問。津南地区の縄文文化について学芸員の話を聞く。敷地内に竪穴式住居が復元されていたが、せっかく中に 入っても倉庫として使われていて、もったいない気がする。

ここで昼食後、津南文化センターに移動。13時から、「千曲川・信濃川復権の会」第3回総会(会員以外もオブザーバーとして参加可)に参加。その後、「豪雪と名水の河岸段丘in津南」と題した記念講演が 行われた。

会を代表して、まず「千曲川・信濃川復権の会」の根津東六共同代表(元十日町市議会議員)があいさつ。「糸魚川・静岡構造線と糸魚川から千葉を結ぶ構造線 との間に挟まれた地域は、今から1600万年前は海であり、その後、陸地が隆起して今の日本列島がつながった」という話はなかなか興味深いものだ。なるほ ど、関東のほぼ全域は当時海だったことになる。関東地方で、地震のたびに激しい液状化が起きるのは、太古の昔、海だったことも関係しているに違いない。

また、根津さんのあいさつを聞いて、「海無し県」である長野県の高原地帯になぜ「小海線」を名乗る路線があるのか、という長年の疑問も氷解した。陸地が隆 起する前は、ちょうど小海線付近が海岸線だったはず。地元参加者に話を聞くと、小海線以外にも海と付く地名が多いのだという。

「3・11以後の地域づくりの課題―自然との包括的な関係を築くために―」と題した記念講演(レ ジュメ)では、鬼頭秀一・東京大学大学院教授(社会文化環境学)が「河 川から受ける恵みは広域に及び、災いは狭い地域の住民だけに押しつけられる“非対称性”」を今日の技術・開発に関する問題として鋭く提起した。

災いと恵みの“非対称性”は、福島原発事故に最も典型的に現れている。利益は首都圏へ、放射能汚染は福島へ、の構図だ(この場合、福島は東電の電気など1 ワットも使っていないが災いだけは押しつけられる、という意味で最も極端な“非対称性”だ)。高橋哲哉さんが指摘した福島・沖縄の「犠牲のシステム」と、 表現こそ違うものの同じ問題意識と言っていい。そして、恵みだけはきっちりと自分が取り、災いは他の誰かに押しつけたいと思っている勢力が社会を支配し規 定する地位にいる、というところに問題の根源がある。私たちはこの根源にこそ、恐れることなく大胆に踏み込まなければならない。

鬼頭教授はさらに、自然の徹底的な管理を前提とした20世紀型科学技術の終焉を指摘。災害時、コミュニティの力による助け合いと「競争より相互扶助」を基 礎にする新しい社会のあり方を「3.11以後の新しい価値観」として提起する。災害や不確実性をむしろ受け入れ、共生していく精神的価値観の復権こそが必 要である、とした。

私のライフワークである公共交通のあり方に関しては、交通・移動という「単機能」から、医療・福祉・購買・交流・農業体験支援等の「多機能」を担うオンデ マンド交通の創造を訴えた。地方の人口減少、そしてそれに伴う人口分布の「点」化(面として存在していた人口が減少により面として存在できず、点となりな がら細っていく)という状況を考えると、最も現実的な、あり得べき選択であろう。鬼頭教授の講演はほとんどの部分について同意できるものだ。

パネルディスカッションでは、内山緑さん(名水百選「竜ヶ窪池」を守る会会長)、庚(かのえ)敏久さん(パワードライブR117代表)、桑原悠(はるか) さん(津南町町議会議員)、橘由紀夫さん(環境カウンセラー、千曲川・信濃川復権の会正会員)が討論した。4人のパネラーは、いずれも饒舌ではないが、科 学技術中心から人間中心の新しい社会のあり方について強い思いを持った人ばかりだった。内山さんは、「最も大切な権利である水、そして水利権が利潤のため に行動する(JRや電力会社のような)私企業の所有という今のあり方でよいのか」と重要な問題を提起した。

地球上最初の生命は海(水)で誕生し、進化とともに陸に上がり、そして人間に行き着いた。人間の身体の7割は水でできている。だから当ブログ管理人は「水 とはわたし自身・あなた自身」であると思っている。水利権が私企業に売り飛ばされると言うことは、つまり「わたし自身・あなた自身」が私企業に売り飛ばさ れるということと同じである。だから、そんな重要な権利を彼らに売り飛ばしてはならない。もし経団連会長が「水利権を売ってくれ」とやってきたら「お前ら のような金の亡者にわたしたち自身を売り飛ばすつもりはない」と言って蹴飛ばしてやればいいのだ。

講演会を終え、再び「しなの荘」のバスでいよいよ旅館にチェックインする。私は温泉旅館に来たら、必ずチェックイン直後と朝の2回は入浴というポリシーを 持っている。が、この日は午後5時45分過ぎのチェックイン後、「宴会は6時開始」とアナウンスがある。万事休すだ。仮にも「汽車旅と温泉を愛する会」会 長を名乗るこの私が温泉でたったの1回しか入浴できないなんて。


ツ アー2日目 2012年5月27日(日)

朝5時に目覚める(最近、ストレスのせいか眠りがものすごく不規則で困る)。起床ついでに、昨日かなわなかった温泉に入浴。

この日は名水百選にもなった「竜ヶ窪池」見学から開始。柱状節理、見玉不動尊を回り、国道(というより「酷道」)405号線を走りながらガイドさんの案内 を聞く。信濃川という呼称は新潟県側だけで、同じ川が長野県側では千曲川と呼ばれることまでは知っていた。だが、旧「信濃国」側の長野で信濃川と呼ばれ ず、「信濃国」でない側の新潟県内で信濃川と呼ばれるのはなぜか。私が長い間持っていたそんな疑問に対する回答もガイドさんの案内の中にあった。「古来、 川は上流から下流への恵みであるとの考えから、上流に当たる国の名を冠するのが一般的でした」。それで、信濃に源流のあるこの川は、上流ではなく下流地域 で信濃川と呼ばれるようになったらしい(念のため付け加えておくと、この説は確定的ではなく、諸説あるようだ)。


見事な「柱状節理」

秋山郷結東温泉かたくりの宿で昼食 を摂る。ついさっき裏山で店主みずから採集してきたという山菜が料理され、テーブルいっぱいに並べられる。自然と共生する里山の最も幸せな形がそこには展 開していた。ここは元小学校の廃校を利用した施設で、きちんと今あるものの再利用をしているのも嬉しい。宿というくらいだから宿泊もできるのにここに泊ま らないなんてもったいないと思う。「酷道」405号線が閉鎖される冬季はここも休業となるようだ。

思えば、原発事故が起きるまで、私も福島でこのようなスローライフ、ロハスな生活を楽しんでいた。3.11ですべてが暗転、自然との共生は断ち切られた。 これがどれほど残酷なことか。「カブトムシはデパートで買うもの」だと思っている都会民には決してわからないだろう。

いよいよ、ここでの昼食が終わればエコツアーは解散となる。各自、解散に当たって一言ずつ述べよ、というので、私はこのような感想を話した。「原発事故以 降、失われてしまった自然との共生、自然の恵みに感謝しながらそこで採れたものを食べる、という生活を久しぶりに取り戻すことができ、この2日間は自分の 身体に久しぶりに血が通ったような気がしました。同時に、日本がこれから進んでいくべき新たな社会の姿がはっきり見えた、きわめて意義深いツアーだったと 思います」

エコツアーはここで解散、以降はオプショナルツアーとして東電の西大滝ダム、そしてJR東日本信濃川発電所を回る。西大滝ダムに向かう途中の国道117号 線は安定した広い道路で気持ちよく、3桁「酷道」の405号とは雲泥の差だ。飯山線が並行しており、鉄道ファンの私は線路が気になって仕方ないが、あいに くこの路線は1日数本しか列車がない超閑散路線。特定地方交通線によくぞ選定されなかったものだと感心する。

車は新潟県から長野県に入る。新潟県は東北電力(50Hz)だったのが、長野県に入ると中部電力(60Hz)のエリアだ。東北電力から東電の管轄区域を経 ず、いきなり中部電力の管轄区域になってしまう新潟・長野県境は興味深いエリアだと思う。そう言えば、昨夜の宴会で気炎を上げる人がいた。「こんな狭い国 の中に50Hz、60Hzと2つの周波数があるなんて恥ずかしい。こと電力に関する限り日本は最低最悪で、これから電力開発をする途上国にすら全くお手本 にならない。そもそも同じ国の中で周波数の統一すらできないような連中に原発なんて扱わせてたまるか!」

当ブログはこの見解にほぼ全面的に同意する。大局を見ず狭い了見しか持ち得ない、自分の周囲の小さな利益の維持に汲々とする人々が決定権を持つ不幸が、新 潟では川の破壊、福島では放射能汚染として罪無き人たちに襲いかかったのだ。

途中、「面白い場所があるのでご案内しましょう」と案内人が車を止める。そこに鎮座しているのは世にも不思議な「横向き地蔵」。お地蔵様が6体、見事に横 を向き、行列を成して歩いているように見えるが、元々このお地蔵様は正面を向いていた。それが、東日本大震災の翌日の2011年3月12日に当地(長野県 栄村)を襲った震度6強の巨大地震のため、一斉に90度、横を向いてしまったのだという。珍しい現象には違いないが、地震のエネルギーのかかり方が6体と も同じであったためにこのような現象が起きたに違いない。


地震で横を向いてしまったお地蔵様

「もうひとつの大震災」と呼ばれたこの長野県の大地震で、栄村ではひとりも犠牲者が出なかった。地元の人たちは、このお地蔵様が住民を守ってくれたと信 じ、元に戻すのをためらっている。「元に戻すと天罰があるのではないか」と話す住民もいるとのことだ。

西大滝ダムは初めて訪れたが、JR信濃川発電所同様、どちらが本流でどちらが支流かわからないほどの凄まじい取水量で川を枯らしていた。「復権の会」のメ ンバーが怒るのも当然だ。


西大滝ダムから放流される「本流」

信濃川発電所は「JRに安全と人権を!市民会議」(JRウォッチ)として訪れて以来、3年ぶりだ。改ざんが発覚して問題化した件の流量計を見ようと思い、 現地に近づいたが・・・ない! なくなっている!

代わりといってはなんだが、発電所の事務所前の壁面に新たな流量計が設置されていた。毎秒43.6立方メートルと表示されていたが、JR東日本は改ざんの 「前科一犯」だけに本当にこれが正しいかどうかは見定める必要がありそうだ。JRや東電のせいで私はずいぶん疑い深くなってしまった。


新たな「流量計」 43.6立方メートル毎秒と表示されているが、信じていいものやら…

ダムを見た後は、休憩も兼ねて国道117号線の「道の駅信越 さかえ」に立ち寄る。ソフトクリームが名物だという案内人に従い、食する。味はなかなか濃厚だ。

地元・栄村産のキノコ類などを買い込む。キノコ類は、福島では危なくて食べられないものの代名詞になってしまった(私が運営に関わっている白河の市民放射 能測定所で、地元・白河産のキノコから9000Bq/kgの放射性セシウムが検出された例がある)。愛知県産のイチゴが並んでいるあたり、中部地方文化圏 に入ったことをうかがわせる。「このあたりはなめこなどのキノコ類を作る農家が多いんですよ」と、案内人の説明があった。

道の駅を出発、十日町駅に向かう。到着後、案内人に丁重に謝意を伝える。十日町からは北越急行(ほくほく線)で越後湯沢へ。越後湯沢からは新幹線で帰宅。



「復権の会」の根津共同代表は、東電の株主代表訴訟で、本来あるべき水の姿とともに、東電の責任を問い続けている。私もまたJR株主として、信濃川のあり 方を問う闘いに踏み出す。根津代表のグループが原発廃炉も争点にすれば面白い闘いになるだろう。

こうなれば共闘だ。新潟の「復権の会」が福島原発廃炉を含めて東電と闘い、福島の私が信濃川のためにJRと闘うというのも面白い。どのみち敵はひとつであ る。「恵みと災いの非対称性」(鬼頭教授)、「犠牲のシステム」(高橋哲哉さん)を問う闘いの先には、必ず真の敵、経団連が見えるはずだ。

今年もJR東日本、西日本の株主総会には会社提案に抗して株主提案が行われる。週刊「東洋経済」誌の報道によれば、野村ホールディングスの株主総会でも 「東電・関電への融資・投資は行わない」よう定款変更を求める株主提案が個人株主から行われるという。社会的強者が弱者を踏みつけ、その悲鳴には聞こえな いふりをして「シャンシャン総会」の茶番劇を演じていれば済む時代は終わりを告げた。傍若無人に環境を破壊し、命の持続可能性をも奪い尽くす者たちに対す る異議申し立てが、いま、静かに、しかし確実に広がっている。

そのことを確認できただけでも、有意義な2日間だった。

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