晴れ渡った空を脱原発の鯉は泳ぐ!〜歴史的な稼働原発ゼロを祝う

 5月5日、最後まで残っていた稼働原発・北海道、泊3号機が定期点検のため停止し、日本の稼働原発がゼロになった。これは1970年、原発が2基しかな かった時代に、定期点検とトラブルでその2基が同時に停止して以来42年ぶりだ。生まれたときから原発があった筆者にとっては人生で初めての事態である。

 たった1回の事故で日本が壊滅しかねない事態を目の当たりにしても、なお原発にしがみつく愚か者たちは相変わらず再稼働への執念を燃やしている。情勢は 予断を許さないが、この歴史的な日のできごとを記録しておくことは、必ず後世の運動にとって巨大な励ましになると思うので、ここに記しておくことにした い。

 ●原発村の「鈍感力」にほくそ笑む

 昨年3月11日以降の反原発の闘いは、子どもたちを放射能から守るための母親たちの闘いとして自然発生的に生まれ拡大していった。その間、いろいろな政 治党派や労働組合がこの運動の主導権を握ろうと動いたが、主役は一貫して無名の母親たちであり続けた。それは、「ママから始まる日本の革命」(週刊 「AERA」誌2011年12月19日号)という見出しが週刊誌の誌面に躍り、放射能除染の必要性を国会で強く訴えた児玉龍彦・東京大学アイソトープ総合 センター長が「お母さん革命」と呼ぶほどの明らかな潮流だった。子どもの健康と命はこの間の反原発運動にとって一貫した原点だった。

 周囲との軋轢や断絶、孤立の恐れを抱きながらも、子どもを守りたいとの一心で活動を続けてきた母親たちにとって「こどもの日」はその最も象徴すべき日で ある。定期検査とはいえ、たった1基の稼働原発をそんな日に止めれば、母親たちがそれを最大限、政治的に利用するであろうことは、この間の事態の推移を見 てきた者なら誰しも理解できることであろう。それだけに筆者は、わざわざ反原発運動側の宣伝効果が最大となるこの日に泊3号機の定期検査入りを持ってくる ほど彼らも愚かではないと考え、その日を5月6日と予測していた。だが北海道電力はそんな私の予測を裏切って、4月26日、定期検査による泊3号機の停止 を5月5日にすることを経産省原子力安全・保安院に報告した。

  この瞬間、「勝負は決した」と私は思った。予想通り、母親たちは「こどもの日、日本の子どもたちに最高のプレゼントを贈ろう」を合い言葉にしてよりいっそ う結束を固めた。

 子どもたちを放射能から守るために必死で闘ってきた母親たちの前で「こどもの日」に最後の稼働原発を止める――この事実こそ、みずから再稼働を不可能な 状況に追い込んでいった原子力村の鈍感さの象徴だと私は感じた。要するに彼らは、これがどれほど政治的に重要な意味を持つか、日本中の母親たちが誰のため に、何のために闘っているのかを全く理解できていなかったということである。

 このことだけでも、彼らに原発を再稼働する資格は全くないし、国民の気持ち、思いが理解できない連中に原発という制御不能な怪物を操る資格も全くないと 思う。

 
自作の川柳を披露する乱鬼龍さん

 ●止まったのではない、止めたのだ

 5月5日、東京の空はこの日を祝福するかのように晴れ渡った。正午、経産省前テントひろばでは、4月17日から続けられてきたリレーハンストが終了し、 最後のハンスト終了者におかゆ、子どもたちに柏餅が振る舞われた。「原発いらない福島の女たち」の椎名千恵子さんが「原発は止まったのではなく止めたの だ。そのことをみんなで確認し合おう」と挨拶した。原子力村が危険を安全と言いくるめるようなでたらめ体質だったとしても、そのことだけで原発が止まるほ ど甘くないことは、この42年間一度も原発の電気が送電されない日がなかったことが証明している。彼らのでたらめ体質を暴き、この日を迎える原動力になっ たのは間違いなく運動の力であり、その力の背景にあるのは福島県民の間に広く存在している原発への怒りである。

 また、今日の記念日が歴史的なのは単に原発が止まっただけではない。平和的な手段で行動する国民ひとりひとりの政治的意思が、初めて現実の社会の政策決 定に影響を与えたという意味においてこそ歴史的なのだ。

 全原発停止という事態を迎え、彼らがいかに衝撃を受けているかは、「原発老技術者、自負と失意」(5.4「毎日」)、「失われる理解、無念と寂しさ」 (5.5「産経」)という御用メディアの見出しからもうかがえる。

 今、福島で原発を再稼働させてもよいなどと考える人はひとりもいないと言っていい。

 
経産省前で会津の「かんしょ」を踊る人々 かんしょは会津庶民の怒りの表現だ

 ●必死で走ってきた1年間

 今だから書けるが、実際のところ本稿筆者もこんなに早く全原発停止の日が来るとは予想していなかった。原発事故の衝撃で気が狂いそうだった昨年夏でさ え、放射能の影響も節電要請も受けなかった西日本は他人事のように感じたし、極端に言えば旧ドイツのように同じ民族、同じ言語ながら思想も社会体制も異な る別の国同士に引き裂かれているような感覚すら抱いてきた。夏まではほとんど何もできなかった私がようやく9.19東京6万人集会で元気になり、「女たち の経産省前座り込み」では多くの貴重な仲間を得た。2012年に入ってからは、地元・白河で市民食品放射能測定所の開所など重要な運動にも関わった。座り 込みや食品測定所では、私と連れ合いが商業誌の取材を受け、自分たちの主張をメディアに載せることもできた。

 福島では職場以外にほとんど人間関係を持たなかった私が、反原発運動を契機に多くの仲間を得た。純粋で公正無私、自分のことは後回しにしてでも仲間、そ して最も困っている人を助ける彼ら彼女らは、昔の言葉でいえば最も崇高なプロレタリア精神を持っている。私にとって生涯の友となるに違いない。

 「原発事故があったから生まれる縁もある。つくづく不思議なものね」。「ハイロアクション・福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんはいみじくもこう 述懐した。事故は確かに不幸な出来事だったが、こんな形で新たな縁ができるというのも悪くない。

 
原発稼働ゼロを祝う巨大な鯉のぼりが経産省前の空を泳いだ

 ●今後の課題

 福島で毎日被曝しながら過ごしている身としては、もちろん全原発停止は嬉しいけれど、それを素直に喜ぶことができない。原発が止まっても福島の放射能汚 染の状況が好転するわけではないし、子どもたちが毎日激しい被曝を続けているのだ。子どもたちをどうやって救うべきか、避難をどうやって実現すべきか。唯 一、その決断ができる政治はもうずいぶん前から「全停止」しており、即効的な処方せんは誰も持ち合わせていない。刻一刻と迫る健康被害の恐怖の中で、福島 県民の苦悩はますます深まっている。こどもの日を契機に、もう一度子どもたちの健康問題を全国民が自分の問題として考えなければならない。

 再稼働を止めることも重要である。電力会社に巨額の融資をしているメガバンクが執拗に再稼働を求めていることは周知の事実だが、最近の報道で、そのメガ バンクが長期にわたり法人税を納めていない事実が発覚した。巨額の利益を上げても、過去の累積赤字相殺のためにその黒字を利用することが許されるという極 端な企業優遇税制に守られ、バブル崩壊後の累積赤字もあって三井住友銀行は15年、りそなホールディングスに至っては18年も納税せずに来たという。こん な連中が原発再稼働を求めているのだから、盗人猛々しいとはこのことだ。

 私は過去、富士銀行に口座を開設した関係から今もみずほ銀行に預金口座を持つが、この銀行はATMで自分の口座に自分の金を預け入れるのにさえ手数料を 取る。過去には某大手銀行窓口で、両替のために多額の手数料を請求された男性が暴れて逮捕される事件もあった。もちろん犯罪は許されないが、こんなあこぎ な商売のやり方をそのままに、バブル時代、メガバンクが踊ったマネーゲームの後始末の目的で消費税増税というのだから、日本国民もなめられたものだ。

 家計からも政府からもカネをむしり取り、その巨額のカネを原発村に垂れ流し続けるメガバンクを痛い目に遭わせなければならないと思う。消費増税反対と原 発再稼働阻止の闘いは、実は底流でつながっているのである。

(2012年5月25日 「地域と労働運動」第140号掲載)

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