東日本大震災から1年〜あのとき、職場で何が起こっていたか?
以下の投稿は、東日本大震災から1年を迎えるに当たり、ある東京メトロ職員から私に寄せられたものです。公共交通であると同時に、災害時には重要な社会資
本、復旧活動の拠点として機能しなければならないはずの地下鉄で何が起きているのかがよくわかるので、ご本人の承諾を得て掲載します。
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去る3月11日、東日本大震災から1年を迎えました。1年経っても一向に進まない東北現地の復旧、復興の糸口すら見えないことに苛立ちを覚えます。
震災当日、私は職場にいました。その時の報告を交えながら、少し意見を附したいと思います。
私の勤務しております東京都交通局は石原慎太郎都政誕生から今日までの4期16年+α、行政改革の名のもとに行政改「悪」を強行してきました。今なお進行
中です。また、一時期には「行革110番」なる都議会一人会派があり、石原都政を影で支え、交通局だけではなく、総務局、水道局、旧清掃局(環境局)、当
該の都議会などにもメスが及びました。
確かに、私が入局した1988年当時、私が職場を見渡しただけでも無駄なモノや無駄なコトはたくさんあったように思います。それは、モータリゼーションの
発達で路面電車が撤去されたことにより、職場を追われた電車運転手や電車車掌が国鉄の分割・民営化と同じように「余剰人員」とされ、都の現業職は勿論、特
別区などへ配転させられたり、同じ車へんとは云え全く畑違いの地下鉄への職種転換を強いられてきたことによります。
当時はこの膨れあがった職員が、自然淘汰(「大量退職」)されるのを当局もただ黙って待っていると云う状態でした。
私の配属された駅の当時の一日の平均乗降客数は乗車、降車ともに2万人弱、両方でおよそ4万人、現在もさほど変わっていません。なお、現在は他駅への異動
を経て、再び最初に配属された駅で勤務しています。
入局した当時、駅全体で20名ほどの人員が配置されていたように記憶していますが、その中で20歳の私を含め、青年部員は僅か6名しかいませんでした。こ
のため、宿泊勤務のときにはなかなか他の青年部員とは一緒になれず、いつも50を過ぎた先輩方の中にポツンと置かれていました。でも、先輩方には自らの子
供のように接して可愛がって貰っていたことを今も懐かしく思い出します。
今(本メール作成中)は休憩時間中ですが、ホーム(ラッシュ時間帯のみ)及び改札を担当する係員は二人しか配置されていませんので、一人は改札で執務して
いますし、助役は駅長事務室にて待機しています。よって、休憩室には私しかいません。休憩と云っても、責任者の助役を含め、たった三人しかいませんから非
常時には飛び出して行けるように、いつも待機を強いられます。
私が入局した当時は東京のどこの鉄道会社の改札口も自動化されておらず、パチパチと切符に挟みを入れていたため、それなりの人数を要し、よって常に複数の
者が休憩や待機をしていました。誰もがのんびりとした時間を過ごしていたように思えます。
傍から見ると待機者が多い=効率が悪い、仕事をしていないと思われがちです。石原も橋下もそれが無駄だと言ってきましたし、今でも言っています。それがと
んでもないと切り捨て、切り詰めています。
私が入局した24年前の1988年当時、職場の1日の出勤者は始発担当助役1、終車担当助役1、始発担当係員1、食事当番係員1、終車担当係員2の計6名
が宿泊勤務(24時間)、加えて朝ラッシュ対応係員1、夕ラッシュ対応係員1の計2名が日勤勤務の総員8名が執務にあたっていました。
ところが、現在では人減らし合理化が進み、終車担当助役1、終車及び始発担当再任用助役1(夜10時〜朝6時半、仮眠僅か2時間半で1人あたり月10回勤
務=身体ボロボロ、現職死亡当駅だけで2名)、始発担当係員1、終車担当係員1の総員僅か4名(深夜時間帯以外は3名)体制です。現在での改札での執務内
容は、改札機、券売機、定期券発行兼用機、ICチャージ機、精算機の監視に加えて、窓口での旅客対応、更にエレベータ・エスカレータへの応対(緊急停止な
どがあった場合の再起動などの対処やインターホンでのやりとり)などをラッシュ時間帯を含め全時間帯を1人でみると云う超多能工化しています。
このため、一度、事故が起これば総出(と言っても3人、4人しかいませんが)で処理にあたり、休憩なしの3時間、4時間ぶっ続けで喋りっぱなし、案内しっ
ぱなしです。そんな折、「無駄」を切り捨てたことがどんなに安全・サービスを低下させる結果を招いたか、思い知らされる出来事が起きました。昨年の東日本
大震災です。
震災当時、終車担当助役は収入金を納めるため駅務区へ行っていて不在でした。このため、改札には1名の係員が通常の勤務をこなし、私が駅長事務室で待機
(電話番や車椅子の方の対応待ち)していました。
私はテレビの国会中継に見入っており、そんなとき突然、画面に「緊急地震速報」が入りました。(また東北で地震かぁ〜)と思いつつ、他人事のように思って
いたところ、左右に大きく揺さぶられました。空かさずテーブルの下に潜ったのですが、加湿用にかけてあったヤカンが目に入り、火傷しないように慌ててヤカ
ンを流しへ持って行き、再びテーブルの下に潜りました。あれからどのくらいの時間が過ぎたでしょうか。もの凄く長く感じていました。
幸い駅長事務室内の棚から物が落ちたり、家具類が倒れたりすることはありませんでした。列車は当駅停車中で難を逃れ無事。エレベータ、エスカレータは全て
緊急停止したものの、3機あるエレベータ内には乗客がおらず、12機あるエスカレータからの転倒・転落等の事故もありませんでした。
その後は余震が続き、地下鉄は揺れが地上に較べて小さいと云われていますが、耐震基準が阪神淡路大震災並みのマグニチュード7.4までとなっていため、崩
落の危険性があり、指令からの指示で全駅で乗客を駅外に避難(どうみても放り出しているようにしか思えませんでしたが)させました。
停車中の乗務員は列車から離れられないため、乗客の誘導は専ら駅係員の二人に託されました。たった二人で、乗客の避難誘導をしなければならない状態って皆
さん想像できますか?私は構内放送で乗客に駅外退去を案内します。改札で執務している同僚は乗車券やICカードの処理、一時避難場所などの案内に逐われま
す。乗客に囲まれている状態です。アレもコレもやらなくてはならず、ヒッチャカメッチャカ、俗に云うお手上げ、もうそれ以上できないんです。やりたくても
やれないんです。物理的に。
改札から乗客がなかなか退去せず手に逐えないとの連絡を受け、二人で乗客の誘導・案内(実質的には追い出し)にあたりました。
あの時、もし列車が走行中で、駅間で緊急停止していたら、エレベータ内に人が閉じ込められていたなら、エスカレータで人が転落、転倒していたなら、車椅子
に乗った方がいたならどうなっていたでしょうか?人命第一ですから2名しかいない係員のうち1名はその方に付きっきりにならざるを得ず、もう1名は…それ
に、負傷者が1名だけ、1箇所だけとは限りません。複数、別々の場所で起こり得ることも考えられす。
こんな少人数じゃ無理、ゼッタイに無理、無謀です。
震災直後、JRが早々と当日の運転取やめを決めシャッターを下ろした中、都営交通では終夜運転を実施しました。乗務員は少し仮眠を取りましたが、駅務員は
一睡もせず、ただただ乗客への案内に翻弄させられました。
震災後、当局には御礼や激励のメールが200件以上寄せられたとのことです。後日、駅を統括管理している駅務管理所長(課長級)が、私と同僚の元へ労をね
ぎらいに訪れましたが、礼なんかいらない!人よこせ!って強く申し伝えました。組合も震災だからってしょうがないよねって言わんばかりで、形式的な要求は
したみたいですが、お茶を濁し、結局は震災の教訓「サービスに人は必要」が全く生かされることなく、配置が見直されることもなく、現在に至っています。
最近、東京直下地震が起こる危険性が指摘されていますが、どうなってしまうのでしょう?東日本大震災のときのように、起こったことはしょうがない、「想定
外」を乱発して誤魔化すのでしょうか?
真に「地震に強い地下鉄」を創らなければ。災害が人災になる前に。
東京では都営地下鉄と東京メトロの一元化、大阪では市営地下鉄の民営化が声高に叫ばれています。石原も橋下も民意をバックにやりたい放題やっていますが、
公共交通のあるべき姿って、一体何なんだろう?って思います。