ひるむこ となく福島原発の責任を問う―福島原発告訴・告発

 7人の死者を出したツアーバス会社「陸援隊」の社長は逮捕、強制捜査を受けた。企業年金の運用に失敗し、サラリーマンの虎の子の年金を消失させたAIJ 投資顧問に対しても警視庁が強制捜査に乗り出した。粉飾決算をしていたオリンパスでも会長、社長らが逮捕され、粉飾に手を染めていた経営者らは追放され た。

 しかし、あれだけのおびただしい被害を出しながら、原発事故では誰ひとり処罰どころか捜査すら始まる気配がない。こんなことではいけない。当たり前の正 義が通る社会にしたい――そんな思いから、2012年3月、福島原発告訴団は産声を上げた。

 ●ひるむことなく、告訴を敢行

 犯罪による被害を受けた人は、刑事訴訟法の規定により誰でも告訴をすることができる。犯罪被害者が加害者の犯罪事実を捜査当局に申告して捜査を求める手 続きである。原発事故による被曝を傷害罪と捉え、1000人を超える大告訴団を組織して、原発事故の直接的原因を作った加害者らを業務上過失致傷罪などで 処罰するよう求める。告訴先はどこでもよく、また検察でも警察でもかまわないが、みずからも被曝しながら業務に当たらざるを得ない福島の捜査機関ならこの 告訴を黙殺はできないだろう、との思いから福島地検を選んだ。

 地元・福島県内で開かれた事前学習会では、告訴団を担当する保田行雄弁護士が、「東京電力は行政が避難命令を出したから被害が発生したのだとでも言わん ばかりの顔をし、もちろん区域外避難など知らん顔だ。なぜ加害者が請求書類の書式を決め、被害者が記入させられるような本末転倒なことがまかり通るのか。 原子力村の住人たちは、真相究明のため関係者の刑事免責が必要などと主張しており、破廉恥の極みだ」と原発推進派を厳しく批判。「原子力村は全く反省して おらず、福島県民から告訴の動きが出たのは大変画期的」とその意義を強調した。また、地震学者の石橋克彦・神戸大名誉教授が福島と同じ事態を予測し、危険 を訴えた証拠(「科学」1997年10月号、岩波書店)を示し「想定外という言い訳は絶対に許さない」と決意を表明した。

 原発事故から1年間、福島県内は混乱状態にあり、目の前のことで精一杯だった。しかし、状況が明らかになるにつれ、事故、そして原子力村への怒りが次第 に大きくなっていった。最も大きな被害を受けている福島県で責任追及の声を上げなくてよいのか。福島県民が押し黙ったまま行動を起こさなければ、他地域の 人たちが何か運動を始めるたび「福島県民が怒ってないのになぜあなたたちが怒っているのか」と冷や水を浴びせられることになりかねない。福島県民こそが最 も怒っているのだということを明白な事実をもって内外に見せなければならないという思いもあった。

 告訴団長の武藤類子さんは、2011年9月19日、東京・明治公園に6万人を集めた脱原発の集会でみずからを東北の鬼と称した人だ。「告訴団長を引き受 け、責任の重さを両肩にずっしりと感じつつも、事故でいったんバラバラにされた大勢の福島県民が新たにつながる機会にしたいと、前向きに考えていきます。 それぞれの福島県民が原発事故で受けた被害をしたためた陳述書を書き、訴えていくこの刑事告訴が、事故の責任を明確にするだけでなく、県民一人ひとりの力 を取り戻す大切な機会にもなると考えています。そして、市民の苦しみを直視せず、なお原発を推進し、利権をむさぼろうとしている巨大な力にくさびを打ち込 み、新しい価値観の21世紀を築くことになると信じて、取り組んでいきます」と、静かながらも強い決意を示した。

 6月11日。誰の罪も問われないことに怒り、絶望しかけていた多くの人たちの希望を背負って、告訴団は、福島地検で第1次告訴を行った。対象を福島県民 と福島からの避難者に絞ったにもかかわらず、告訴には1324人もの福島県民・避難者が参加した。多くの反原発デモを黙殺し、あるいは徹底的に過小評価し 続けてきたメディアのほぼすべてがこの告訴を報道した。幸先のよいスタートを切ったといえるだろう。

 告訴後の記者会見で、保田弁護士は「住民が古里を奪われ、家族がバラバラでおびえながら暮らす現実を引き起こした最大の罪深さを正面から問うもの」と、 改めて告訴の意義を強調した。今後は、告訴人を全国に広げての第2次告訴を見据えながら運動に取り組んでゆく。告訴団へのカンパは今も毎日続く。ひとりで 数百万のカンパをしてくれた人もいる。国や東電の怒りは収まるどころか拡大する一方だ。

 ●未来への責任

 どのような社会でも若者や子どもたちは生まれる時代を選ぶことはできず、それゆえに生まれてきた瞬間から前の時代の不条理を背負わされる。進軍ラッパを 吹き鳴らした世代は戦争の責任をとらず、汚染物質を垂れ流した世代は公害の責任をとらず、すべて次の世代がその苦難を引き受けてきた。前時代が犯した罪と の闘いが歴史を作ってきたと言ってもいい。

 だが原発事故の不条理は、次世代に残すには度を超えている。過去の戦争は終わってしまえば復興だけ考えればよかったし、公害も技術と人智で乗り越えるこ とができた。しかし、世界を破滅させる軍事技術の転用としてスタートした「核」に人類が責任を負うことなどできない。この事故によって若者や子どもたちが 背負う不条理には私たちの時代で決着をつけなければならない。そのためにはこの「悪魔」と手を切る以外に道はない。

 原発事故に伴って起こされていた約20件の告訴について、受理しないまま放置していた検察当局が、最近になって告訴を受理する方向であることが報じられ た。検察当局は「政府や国会の事故調査委員会が報告を終えるまで待った」と釈明しているが、JR福知山線事故のように、捜査当局が事故調などお構いなしに 先行捜査した例もあるのだから詭弁に過ぎない。告訴をたなざらしにして嵐の過ぎ去るのを待つつもりだった検察が、高まる世論の前に捜査せざるを得なくなっ たというのが実情だろう。

 「人の罪を問うことは、私たち自身の生き方を問うこと」(6.11告訴声明)。法律以前に人として誇れる生き方をしてきたかどうか。私たちも問われてい る。この社会に生きるすべての大人たちが、なにが最も大切か、上滑りの言葉ではなく行動で子どもたちに示す必要がある。福島原発告訴団はその有力な回答で ある。

 私たちは、かつてなく巨大な敵を相手にしても、ひるむことなく責任追及の声を上げ続けたいと思う。戦争責任をあいまいにし続けることで今日の事態を招い てしまった自戒と反省をも込めて。それこそ未来に対する唯一の責任の取り方である。

(「子どもと教科書ネット21」掲載)

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