JR株主訴訟、提訴へ〜見えてきた福島と同じ構造
これは東京と地方の関係を問う裁判だ


 2011年12月、JR東日本の株主ら3人が、会社を相手取って株主代表訴訟の提訴に踏み切ったことが一部メディアで報じられた。株主らは、「信濃川か らの不正取水によりJR東日本が沿岸自治体に対して支払った57億円は経営陣の怠慢が原因であり、支払いの責任は経営陣が負うべきだ」としてこの57億円 の会社への返還を求めるという。

 ●信濃川不正取水とは

 JR東日本による信濃川からの不正取水は2009年に発覚した。JR東日本は、首都圏を初め、自社管内で列車運行に充てるための電力の約6割を自営電力 によりまかなっている。この自営電力の大きな基盤となっているのが信濃川に設けられた水力発電だ。信濃川発電所は新潟県小千谷市と十日町市にまたがってお り、その発電量は最大で45万キロワットと、電力会社の小さな発電所と比べても遜色のない発電量となっている。

 この発電所で、JR東日本は国土交通省から許可を受けた取水量に対し、長年にわたって大幅な超過取水を続けてきた。当時の報道を改めて読み直すと、 「1998年から2007年までの10年間に合計約2億6000万トン」(新潟中央テレビ)、「2002〜2008年に合計約3億1千万トン」(朝日新 聞)など超過取水量には諸説あるが、いずれにしても年間で2600〜4000トン近い膨大な量が不正取水されていたことになる。手口も悪質で、ダムの取水 口にある流量測定装置のプログラムを改ざんし、国土交通省から許可された取水量以上の数値を示さないようにしていた。その上、国土交通省が行った調査に対 して「不正取水はない」と虚偽の説明をしていたこともわかっている。

 事実の発覚を受け、国土交通省(北陸地方整備局)は2009年2月、JR東日本に対して水利権停止(=取水禁止)というきわめて重い行政処分を行った。 これほどの処分となったのは、膨大な不正取水量に加え、流量測定装置の改ざんや、国土交通省の調査に対して2度も虚偽の報告をしたことを重視したからだと いう。

 日本で1、2を争う大河であるはずの信濃川は、JR東日本による恒常的な不正取水にさらされてきた結果、場所によっては川底が完全に露出し、干上がった 川から腐臭が漂うほどの荒廃に陥った。「信濃川をよみがえらせる会」の顧問・樋熊清治さんは「あの堤防からこの堤防までいっぱいに水が流れていいはず。一 番立派なはずの川ですよ。魚は住めない、メダカも住めない」と憤った。

 国土交通省による水利権停止処分は、2010年6月に解除されるまで1年4ヶ月の長期に及んだ。この間の2009年11月には、JR東日本が取水を停止 した千曲川(長野県側ではこう呼ばれる)でそれまで確認されていなかったサケの遡上が見られ、川の自然を破壊していたのがJR東日本であることが浮き彫り となった。

 JR東日本は、水利権停止の処分期間中、地元に対する謝罪と「賠償」、再発防止策の決定などの対応に追われた。このとき、流域自治体に対して「寄付」 (事実上の賠償)として会社から57億円が支出されたが、「この支出は不正行為を見過ごした経営陣に責任があるのだから、その費用を経営陣は会社に返還せ よ」と求めたのが今回の訴訟というわけである。

 当然のことだが、この訴訟は単なるJR東日本という私企業の「経営上の過誤」を問うものではない。羽越線事故を生み出した強権的な企業体質やJR不採用 問題など数々の不正をあぶり出し、企業体質の改革、そしてその先には国鉄分割民営化の犯罪性を問うていくことまで視野に入れている、というのが本稿筆者の 理解である。その意味では、この裁判は利益優先・安全軽視、ガバナンス(企業統治)不在のJR体制にメスを入れるためのほんの突破口に過ぎないものだ。

 ●「十日町市だけが栄えればいいというものではない」

 不正取水発覚後の2009年6月、筆者は「JRに安全と人権を!市民会議」(略称:JRウォッチ)の一員として現地を訪れた。一行は、元十日町市議会議 員・根津東六さんらの案内で十日町市役所を表敬訪問することができた。一行は、克雪維持課(現・建設課維持係)課長補佐など数名の役場職員と会談。役場側 から不正取水問題の経過について説明を受け、「JRウォッチ」側からはJR不採用問題や羽越線事故などについて説明を行った。筆者は、この際の克雪維持課 課長補佐の言葉が今も印象に残っている。「…私たちは、十日町市を良くするために役場で働く職員ですが、だからといって十日町市だけが栄えればいいとは 思っていません。首都圏の皆さんのために電力を供給し、その生活を支えていくことも十日町市役所職員としての大切な仕事だと思っています」

 筆者はこのときの彼の言葉を聞いて、(市民運動的という意味ではなく、公務員的という意味で)バランス感覚に優れた、実直で有能な人物との印象を持っ た。そして、東京という大都市の下支えをすることに対して、地方がある意味で「誇り」を持って仕事に当たっているという事実も、このときに知ったのであ る。

 ●東京が一番苦しいときに助けてくれた十日町市

 3.11、東日本大震災の発生で東京は未曾有の大混乱の中にあった。続く余震、大量の帰宅難民、流通の混乱による生活必需品の不足と買い占め…。さら に、福島原発1号機で水素爆発が発生し、東京にも大量の放射能が飛来するとの観測が広がり始めていた。その混乱に拍車をかけたのが、東京電力による「計画 停電」だった。「計画」と銘打ってはいるものの、その実態は無計画そのもの。東電が発表する停電計画はころころ変わり、朝令暮改どころか朝令「昼」改の状 況だった。首都圏の鉄道各社はこの直撃を受け、震災翌日の3月12日から13日頃まで、首都圏の鉄道各線は終日運休に近い状況に追い込まれた(注)。

 ところが、14日に首都圏のJR各線は突然、運行再開にこぎ着ける。計画停電の混乱が続いている最中の急な運行再開を不思議がる人々も多かったが、この とき、電力不足で苦しんでいるJR東日本に救いの手を差し延べる人たちがいた。他ならぬ新潟県十日町市だった。

 十日町市のホームページに掲載された「信濃川・清津川 の取水に関する提案について」と題された文書を、本稿執筆(2012年1月20日)の時点でもなお見ることができる。そこには紛れもなく次のよう に書かれている――『十日町市も震度6弱の地震に見舞われ、各地域で大きな被害が出ているところですが、東北地方太平洋沖地震の甚大なる被害を報道で目の 当たりにし、日本全体に影響する危機的事態に鑑み、当市として、下記の内容を関係機関に提案しました』。その上で、信濃川ダム(JR東日本)については 『最大取水量の上限を設けないこと(現状では316.96㎥/s)、維持流量を7㎥/sまで減量すること』とある。電力不足が収束するまでの間、信濃川に 流す水を1秒あたり7立方メートルまで減らしてもよいので、JR東日本に対し、発電のための取水を無制限に認めるという十日町市からの雅量ある提案だっ た。

 このニュースを聞いたとき、筆者は前述した克雪維持課課長補佐の言葉がすぐに頭に浮かんだ。東京都民、そしてJR東日本が最も苦しんでいるときに彼らは 約束を果たしてくれたのだ、と感謝でいっぱいになった。一方、JR東日本はといえば、3月11日の震災当日、首都圏各線の運行再開を早々にあきらめ駅を閉 鎖、気温8度の寒風の中に利用客を放り出したことが厳しい批判を受け、社長が謝罪に追い込まれていた。東京と地方の、あまりにも大きすぎる落差だった。

(注)ちょうどこの頃、JR首都圏各線が軒並みストップしているのに対し、東海道新幹線がほぼ平常通り運行していたことから、インターネッ トを中心に「JR東海が新幹線を動かしているのは、妊婦や子どもが大量流出した放射能から西日本に避難できるようにするためだ」とする噂が飛び交っていた ことをご記憶の方も多いかもしれないが、こうした噂に根拠はない。

 鉄道ファンとして解説しておくと、このとき東海道新幹線だけがほぼ平常通り運行できたのは、同線が周波数60Hzの西日本区間から給電されており、東 京・東北電力管内の電力不足の影響を受けなかったからである。旧国鉄は、東海道新幹線が山陽新幹線と連結され、博多まで延長されることを見越して東海道新 幹線の建設に着手しており、東京〜博多間でみれば、その大部分が60Hz区間となることは着工の時点でわかっていたから、東海道・山陽新幹線の全線を 60hzとしたほうがよいと判断し、このような形態での建設としたのである。

 仮に、東海地域で大地震が発生し、今回と逆の状況になれば、東京電力管内の50Hz区間である首都圏各線が早々に運行を再開しているのに、東海道新幹線 だけがいつまでも運行再開できないという状況が発生する可能性がある。


 ●見えてきた「福島と同じ構造」

 「この株主訴訟の目的は何か」と聞かれたら、筆者は「地方の尊厳と誇りを取り戻すことだ」と答えたいと思う。察しの良い読者の皆さんはすでにお気づきで あろう。この信濃川問題をめぐる構造が福島とそっくりだということに。「東京の豊かな生活のためのエネルギー源として収奪される地方」という構造がうりふ たつである。

 山田孝男・毎日新聞編集委員は「内外ともに、エリートと大衆、富者と貧者、都市と田舎、大人と若者が背き合い、憎み合い、亀裂が広がっている。社長とヒ ラ社員の年収差が5倍程度まで広がった日本と、数百倍のアメリカでは事情が違うにせよ、社会が引き裂かれていくという感覚、方向は同じだ」と述べている(2012. 1.10付け毎日新聞「東奔政走」より)。そのような政治的雰囲気が一部に漂っていることを否定はできないが、福島に住んでいて思うことは、状況 はこのような二分法で語れるほど単純ではないということである。放射能汚染という過酷な事態の中でも福島には様々な思いが交錯しており、首都圏に対する電 力供給の役割を拒否する声が大勢ではないということも指摘しておく必要がある。もとより、首都圏が電力を自給できないことは明らかであり、福島や新潟が拒 否したとしてもその仕事は結局誰かがやらなければならない。それならばその役割は自分たちが引き受ける。その代わり我々に誇りを与えてほしい。「自分たち は胸に矜持を抱いて、首都圏の皆さんのために役目を果たしています」といえる状況を作ってほしい…福島や新潟の人々の思いはこのあたりにあるのではないだ ろうか。

 不正取水で最も苦しめられた十日町市が、3.11による計画停電で苦しむ東京に対し、過去の経緯を越えて救いの手を差し延べた――確かに美しい話ではあ る。だがこれを単なる美談に終わらせてはならない。首都圏の皆さんにはこの恩義に報いる義務がある。そしてその恩義に報いることは福島の苦しみに寄り添う ことでもある。

 かつて横浜勤務時代、首都圏で豊かな暮らしを享受した者として。信濃川現地を見ながらその雄大さと人々の度量の大きさ、そしてふるさとの川を破壊された ことに対する静かな怒りに触れた者として。今、原発事故でかつてない困難に直面する福島のひとりとして。そのすべての立場でこの訴訟に関われることは、あ る意味でとても幸せなことというべきなのかもしれないと今は思う。帰宅難民を駅から追い出し、新潟や福島の住民が環境破壊と引き換えに送ってくれた電気を 使って役員室でぬくぬくとしているJR東日本の幹部たちは今、何を思っているのだろうか。

 彼らを改心させることは千里の道より遠いかもしれない。だが黙っていても何も始まらない。今はただ、新潟や福島の思いをぶつけ、地方に尊厳と誇りを取り 戻すための場として、精一杯この訴訟に取り組みたいと思っている。

(2012年1月25日 「地域と労働運動」第136号掲載)

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