2003年の戦争開始後、8年あまりにわたって米軍駐留が続いてきたイラク。そのイラクから米軍がついに撤退した。今後は民間軍事会社に雇われた傭兵部
隊が残るものの、イラク市民に直接銃口を向けてきた占領部隊は2011年の終わりとともに引き揚げざるを得なかった。ギングリッチ・下下院議長がいみじく
も述べているように米国は「敗北して去る」のである。2008年の大統領選をオバマ大統領と争い、敗れたマケイン上院議員(共和)も「中東でアメリカ合衆
国が新たな戦争をすることはないと思う。世論が賛成しない」と述べている。
日本のメディアでは、米軍のイラク駐留を不可能にした原因として、米国政府が民間傭兵部隊の刑事免責を要求したのに対し、マリキ首相がこれを拒否したこ
とで駐留協定の延長が不可能になったためだと伝えられている。もちろんそれも理由のひとつではあろう。しかし真の原因は他にある。その原因に迫っていく
と、イラク戦争がアメリカに与えた衝撃の大きさが見えてくる。
◇上限に達した国債発行
米国の法律により、国債の発行上限はたびたび引き上げられてきたが、現時点でのそれは14兆3000億ドルである。2011年夏、米国政府の国債発行残
高がこの上限に近づいたことは日本のメディアでも取り上げられたが、米国政府行政予
算管理局資料“HISTORICAL TABLES”によれば、情報が発表されている2006年度の時点で連邦政府債務残高(国債発行残高)は8
兆4,513億ドルの赤字とされている。米国政府の国債発行残高はわずか5年間で6兆円近く、率にして40%も急増したことになる。特に2008年以降の
増加が大きく(参考資料)、
これは軍事費の支出よりもむしろリーマン・ショックによる混乱が大きく影を落としているように思われる。
国債が発行上限に達することが明らかとなった2011年8月、オバマ政権は、さらなる国債発行上限の引き上げや、歳入拡大のための富裕層への増税を提案
したが、2011年11月の米議会超党派委員会の同意を得られなかった。トリガー(引き金)条項が発動され、2013年1月から約5000億ドルの軍事費
を含む1.2兆ドルの歳出が強制的に削減されることが避けられない情勢だ。
軍事費の削減に「懸念」を抱く米共和党内の一部には、軍事費強制削減を避けるため、トリガー条項の見直しを求める法改正を企む動きもあるが、上下両院で
多数派が異なる日本同様の「ねじれ国会」のなかで法案が提案されたとしても、可決の可能性は低いとみられる。
オバマ政権によるイラクからの全面撤退は、このような状況下、イラク駐留継続のための戦費調達ができなくなったための「強いられた敗戦」でもあった。冒
頭に紹介したマケイン上院議員の発言はその意味で正しいが、彼の発言に訂正の必要があるとすれば次の2点だろう。1つは米国が戦争をできないのは中東に限
らないということ、もう1つは「することはない」のではなく「できない」のだということである。
◇ベトナム戦争以来の衝撃
米国の戦費調達が不可能になったという意味において、イラクでの敗戦は世界史上に残るニュースである。米国の政治・経済・社会への打撃という意味ではベ
トナム戦争での敗戦に匹敵するであろう。
ベトナム戦争で米国が失ったのはブレトン・ウッズ体制である。ブレトン・ウッズ体制とは、金と米ドルとの交換を可能とする「金本位制」を基軸として、各
先進国が固定相場制の下に通貨を交換し合う制度のことだ。1945年に発効したこの制度では、金1オンス=35米ドルに固定され、日本でも長い間外国為替
市場は1米ドル=360円に固定されてきた。
金本位制は貨幣価値を金の価値によって保証する制度だ。金の埋蔵量には限りがあるから、どの国も金の保有量を増やすことには限界があり、また、どの国の
政府もその国が保有している金の価値の総体を超えて通貨を発行することはできない(仮に発行できたとしても、貨幣価値が下落し、インフレが
起きて両者が調整されるだけである)。
戦争は、新たな商品を生み出すことなく破壊だけをもたらす資本主義経済にとっての麻薬である。ところが、政府以外に顧客のいない軍需産業は政府の政策に
介入し、政治を歪め、国家経済に「麻薬」を注射し続ける。戦争が続くと、戦費調達のため紙幣の増刷も続く。金の価値によって貨幣価値を裏付けていた金本位
制は、やがて金の価値が増大する通貨発行量に耐えられなくなり、崩壊する。ベトナム戦争によるブレトン・ウッズ体制の崩壊はこのようにして起きたのであ
る。
1961年度以降、米ドル発行残高は一度として減ることがなく、今日に至るまで右肩上がりで上昇を続けている。ベトナム戦争があろうとなかろうと、この
ことだけでもブレトン・ウッズ体制はいずれ崩壊する運命にあった。しかし結果的にベトナム戦争がその死を早めた。
米国経済のドル垂れ流しはこの後も絶え間なく続いたが、これには戦争や金融危機以外に国際通貨としての米ドルの特殊性も指摘しておく必要がある。日本円
の場合、国際取引にはほとんど使われず、そのほとんどは日本国内で所有されているから、日銀が金利を引き上げれば市場に流通していた円は一定程度日銀の金
庫に戻る。しかし世界中であらゆる取引の決済に使われている米ドルは、単にFRB(連邦準備制度理事会;米国の中央銀行)が
金利を引き上げたくらいではFRBの金庫になかなか戻ってこないのである。国際通貨、共通通貨としての性格を強く持っている通貨は垂れ流しになりやすいと
いえる(ユーロにもこのことは一定程度当てはまるが、本稿筆者はユーロ危機にはまた別の原因があると考えている。このことは機会があれば別
に述べたい)。
統計の残る1961年以降、米ドルが右肩上がりで発行量を増やしてきたということは、米ドルの価値もまた一貫して下落し続けてきたことを意味する。ベト
ナム戦争で金本位制を失った米国が、その後二度と金本位制に戻ることができなかったように、イラク戦争で「戦費調達の自由」を失った米国がその自由を回復
することは二度とないであろう。その意味でイラク戦争は、ベトナム戦争以来の打撃を米国に与えたのである。
◇誰が救済されたのか?
もう一度、次の2つの資料を見比べていただきたい。1つは米
国におけるドル発行残高の推移、もう1つは米国債発行残高の推移であ
る。どちらも1980年代に入る頃から緩やかに増え始め、2008年から急増するという形で相似を描いている。
米ドル発行額と米国債発行残高が、ともに2008年に急増したという事実から次のことが読み取れる。リーマン・ショックの際に大量の米ドルが刷られ、国
債も大量に発行され、これらのすべてがマネーゲームに狂奔してきた米国金融資本の救済に回されたということである。国債の新規発行は、通貨の増刷を少しで
も抑えるための目くらましとして同時に実行されたと考えられるが、返済のための資金的裏付けのない新規国債発行は、結局、返済の際に新たな紙幣を刷らなけ
ればならないということを意味しており、一時的な問題のすり替えにしかならない(ちなみに、日本では太平洋戦争の戦費調達のため、大蔵省・
日銀が軍部の圧力に屈して新規国債を日銀に引き受けさせた結果、返済のための円が足りなくなり、紙幣を増刷したところ、インフレで経済が崩壊したことか
ら、戦後の財政法では新規国債を日銀が引き受けることは禁止された)。
カネのために戦争とマネーゲームを始めた米国グローバル資本は、まさにその戦争とマネーゲームとでみずから深く傷ついた。米国政府はその救済のため、税
金と借金をグローバル資本にジャブジャブ流し込んだ。2008年〜2011年だけで、米ドルの発行残高は従来の2.5倍、米国債の発行残高は従来の40%
増である。これらのツケはこれから民衆に回される。考えただけで背筋も凍るような悪夢である。
◇戦争国家から民衆の国家へ
以上、米国が置かれている深刻な経済危機の一端をご覧いただいた。これらの事実からいえることは、「戦争国家としての米国」の完全な終焉である。これか
らの時代を米国が生き残れるかどうかは、軍需産業だけが栄え、それ以外の産業はすべて没落していく戦争国家路線を民生本位に転換できるかどうかにかかって
いるといえよう。
2011年秋、米国各地に「ウォール街を占拠せよ」「我々は99%だ」との叫びが響き渡った。この動きはやがてギリシャのように、米国でも「支配層が
作った借金なら我々は返済しない、返済するのは奴らだ」という声につながり、支配層を大きく揺さぶることは間違いない。
日本でも状況は同じである。「一般会計税
収、歳出総額及び公債発行額の推移」(財務省)によれば、日本でも1000兆円を超えるといわれる債務の大部分は平成10(1998)年以降のも
のであることがわかる。バブル時代に踊り狂ったマネーゲームの後始末で山一証券や北海道拓殖銀行といった金融機関が相次いで破綻していった時期と重なる。
このときを境にして国債発行残高が急増している事実を見れば、この債務が誰のために作られたのかわかるだろう。野田政権が進めようとしている消費増税と
は、この借金の民衆への押しつけに他ならない。ギリシャの民衆と同じように、我々には返済を拒否する権利がある。
「ウォール街を占拠せよ」「我々は99%だ」「借金は作った奴らが返せ」という声を日本でも各地でとどろかせよう。「金融屋が作った借金の請求書は金融
屋へ、戦争屋が作った借金の請求書は戦争屋へ、原子力村が作った借金の請求書は原子力村へ!」が2012年のスローガンだ。
(資料)一般会計税収、歳出総額及び公債発行額の推移」(財務省)
(2012年1月22日 「イラク平和テレビ局メールマガジン」掲載)