東京・明治公園での反原発集会に6万人〜福島デモ隊、都民の拍手で迎えられる

今日、東京・明治公園で「さようなら原発1000万人アクション」が開催され、主催者発表で6万人が集まった。航空写真を見る限り、主催者発表の数字は決 して誇張ではない。沖縄で基地反対10万人集会が開かれてもてんで無関心だった東京でこれだけの人数が集まったことはまさに驚天動地だ。少なくとも70年 安保以来、東京でこれだけの人が集まった集会・デモを私は知らない。

集会では、鎌田慧さん、大江健三郎さん、内橋克人さん、落合恵子さん、澤地久枝さん、フーベルト・ヴァイガーさん(FoEドイツ代表)、山本太郎さんが挨 拶した。とりわけ最も若い山本さんの訴えが印象に残った。「メディアからもはや真実が伝わることはない。彼らは今なお命よりカネが大切なのだ」「デモにど んなに人が集まっても、どんなに多くの署名が集まっても効果は限定的。政治家にとって最も効果があるのは、それぞれの事務所に出向き、直接彼らの立ち位 置、そして彼らがどうあるべきかを問うことだ」。その呼びかけは、事務所退社という形でみずから退路を断ってまで反原発の意思を貫くことを誓った者だけが 持ちうる凄まじい気迫に満ちている。 (各著名人の発 言  市民団体「ハイロアクション! 福島原発40年」武藤 類子さんのスピーチ

3コースに分かれてデモ隊が出発する。私は福島県関係者として、デモ隊の先頭を切ることになった。ふと後ろを振り返ると、どこが終わりなのか見当もつかな いほどの長い長い列。そして、デモ隊が道路に出ると信じられないことが起きた。歩道を歩いていた市民から、デモ隊に拍手が送られたのだ。

私は、そうした都民の拍手を少なくとも4〜5カ所で確認した。「頑張れよー」という男性の声も聞いた。歩道橋の上からも、手を振る都民がいる。観光バスの 中から手を振る観光客もいた。

私がデモというものに初めて参加したのは、もう10年以上前。所属労働組合の小さな賃上げ要求デモだった。気勢の上がらないデモ隊に冷淡な市民。規制する 警察の声だけがやたらうるさい。名古屋時代、自衛隊のイラク派兵反対デモでは、「バカ野郎!自衛隊は復興支援に行っているんだ!」と酔っぱらいから罵声を 浴びせられたこともある。日本人のデモに対する意識なんてその程度のものだと思っていたし、「今度もせいぜい集まって2〜3万人だろう」とどこか醒めてい る自分がいた。

都民のこの拍手は何を意味しているのか。同情? 連帯? もし同情なら、そんなものは要らない。それよりも支援がほしい。子どもたちを、今なお 1μSv/hもの被曝にさらされている福島から避難させてほしいのだ。

都民から送られる拍手を聞きながら、ぜいたくな消費生活を謳歌したい東京の欲望こそがこの事態を引き起こしたのだと、東京を恨んだ自分の狭量さを反省し た。「原発を止めれば停電が起きる」という政府・電力資本・マスコミ一体のキャンペーンは無残にも崩壊したが、その影には東京都民の涙ぐましい節電への努 力があった。薄暗い駅、蒸し暑いオフィス、止まった自動販売機…そうした不便に耐えながら、今回、東京都民はよく頑張ってくれたと思う。ありもしない電力 不足キャンペーンを打ち破るために、東京都民が福島の苦しみを思いながら懸命に闘ってくれていたことを知った。都民から送られる暖かい拍手の前に、私の東 京へのわだかまりは氷解した。

戦後66年。放射能とともに負けた日本は、今度は自分自身の放射能で自分自身を汚すという、66年前に勝るとも劣らない愚行を起こした。しかし同時に、何 かが変わりつつある胎動も今日、確かに感じ取った。66年を経ても閉ざされ続けた民主主義への扉。過去何度か開きかけては閉じ、また開きかけては閉じるを 繰り返してきた、厚くて重い、錆び付いた扉。その扉が今日、ほんの少しだけ、開いた。

「まだ希望はある」。そう思わせてくれるに十分な6万人の人波だった。もう一度、東京と福島が力を合わせて、今度はこの扉を力いっぱい開きたい。


<写真報告>


大江健三郎さん



山本太郎さん



会場を埋め尽くす参加者



デモの先頭に立つ著名人



福島の子どもたちも「げんぱついらない」



続々と進むデモ隊

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