東日本大震災に思う〜東北から見た首都圏の本質


 「東日本大震災は天罰だ。津波で我欲を洗い流す必要がある」…石原慎太郎・東京都知事が、それこそ天に唾するに等しい暴言を被災地に向かって投げつけた のは、震災から3日後の3月14日だった。苦しくなる一方の都民生活を顧みず五輪招致にうつつを抜かした挙げ句に失敗、家族の外国出張旅費まで公費で支出 するなど乱脈の限りを尽くしてきたお前にだけは言われたくないと思うが、それはさておき、今回の震災で最も「我欲」にまみれていたのは誰だったかを雄弁に 物語るエピソードがある。それらのエピソードを追っていくと、我先にと奪い合う東京と、お先にどうぞと譲り合った辛抱強い被災地の対照的な姿が見えてく る。

 ●帰宅難民を駅から締め出し、儲かる路線から復旧させるJR

  3月11日、震度5強の激しい揺れに見舞われた首都圏の鉄道各社では軒並み運転見合わせとなった。

 私鉄各社は、郊外から首都圏に通勤する労働者が帰宅難民となるのを避けるため、11日夜の運転再開を目指して線路や施設の安全確認を行っていた。一方、 JR東日本は、安全確認に時間がかかることを理由に、午後6時20分、早々と終日運転見合わせを決定した。それどころか、新宿駅、渋谷駅など首都圏でも有 数の大ターミナルを早々と閉鎖。大勢の労働者・利用客を寒空の下に放り出した(この日、東京の午後6時の気温は8度だった)。JR東日本のこの姿勢は利用 者・国民の厳しい批判を浴び、清野智社長は4月5日の記者会見で謝罪に追い込まれた。

 一方、東北各地では、震災直後から深刻な物資やガソリンの不足に見舞われた。特に、ガソリン不足は4月中旬まで続き、市民生活の再建に大きな障害となっ た。

 ガソリン不足は、首都圏での精油所の火災や東北自動車道・常磐自動車道の通行止めなど複合的な要因で引き起こされたものだが、東北地方の鉄道各線が不通 となったことも大きな要因である。

 貨物列車1編成でタンクローリー車40台分のガソリンを輸送できる鉄道は、輸送力の大きな交通機関だ。JRは磐越西線を使用してガソリン輸送を行った が、単線のため輸送力には限界があり、ガソリン不足解消には東北本線の早期復旧が必要だった。

 これに対し、JR東日本が東北本線と並んで真っ先に復旧を進めたのは東北新幹線だった。新幹線は在来線と異なり、貨物輸送を行うことはできず、復旧させ ても物資不足の解消にはつながらない。大型連休を前に被災地の生活再建より観光輸送による利益を優先するJR東日本の姿勢がよく現れている。

 ●地域に奉仕する三陸鉄道、虐げられても首都圏を助けた新潟

 津波の被害が最も大きかった三陸地方では、三陸鉄道が震災から5日後には一部区間を復旧させた。3月までは運賃を無料とし、その後も地元住民のために割 引運賃で運行を続けている。

 震災直後、「電力不足」を理由とした東京電力の計画停電により、首都圏の鉄道がマヒしたが、このときJR東日本の電力供給に協力したのが新潟県十日町市 である。十日町市は、JR東日本信濃川発電所の発電量を増やせるよう、みずからJR東日本に申し出た。信濃川への放水量が一時的に減少することもやむを得 ないと判断したという。

 三陸鉄道は、国鉄「改革」により特定地方交通線(廃止対象路線)に指定され、切り捨てられた久慈線、宮古線、盛線を転換した第三セクター鉄道である。ま た、信濃川発電所は、2009年、JR東日本による超過取水と取水量データ改ざんが発覚し、JR東日本が取水停止の行政処分を受けている。国鉄と、それを 引き継いだJRから切り捨てられ、痛みを一方的に押しつけられてきた地方が、地域住民のため、あるいは首都圏の帰宅難民のため、利益を度外視して支援した のだ。

 ●放射線測定器も福島そっちのけで奪い合い

 福島原発事故が報道され始めた直後から、秋葉原では、放射線測定器が極端な品不足に陥っており、入荷してもすぐに東京在住者と見られる人に買い占められ る状況が続いている。今、この状況で放射線測定器を最も必要としているのは福島県の人たちのはずだが、その福島の人たちに放射線測定器は全く渡っていな い。なぜか、県外の人たちのほうが放射線測定器を持っており、放射線量を計測しに来た県外の人たちから自分の住む地域の高放射線量を知らされ、慌てふため くという状況が今なお続いている。福島では、放射線量に関するデータは行政が独占しており、福島の人たちは「行政の発表する数値を黙って信じるか、信じら れずに苦悩するか」の二者択一を迫られている。

 もちろん、首都圏の人たちだって、自分が住む地域の危険度を自分の手で計測して知りたいという気持ちはあって当然だし、その気持ちはよくわかる。「政 府・東電のウソを暴くためにやっている。この活動には公益性があるのだ」と反論されればその主張はよく理解できるし、「みんなのために労力を持ち出しして までやっているのになぜそんなことを言われなければならないのだ」と思う人がいるとしたら、筆者はその批判を甘受する。

 しかし、首都圏と福島ではそもそも汚染度が全く異なる。福島市や郡山市では、子どもの被ばく量はすでに限界を超えつつあり、未成年者はすぐに全員避難さ せるべきだと考える。避難させるかどうか議論する時間すら待てないほど事態は切迫しており、福島の親たちには真実を知る権利がある。行政・東電が情報隠し とごまかしに全エネルギーを注いでいる中で、福島の親たちこそ放射線測定器を持ち、事実を知らなければならないのだ。首都圏で放射線量を測定し、公表する 活動がしたいと思って秋葉原で放射線測定器を待つ行列に並んでいる人がいるとしたら、その放射線測定器を福島の子どもを持つ親たちに譲ってほしいと思う。

 福島第1原発は東京電力の発電所であり、誤解を恐れず言えば、首都圏の人々が便利で贅沢な生活をするために福島に押しつけた発電所である。自分たちが使 うわけでもない電気のために被ばくさせられ、事態に対処するための数少ない放射線測定器さえ首都圏の人に横取りされ入手できないとしたら、私たち福島は東 京のために何回、犠牲にならなければならないのか。

 ●奪い合う東京、譲り合う被災地

 未曾有の大災害のときにこそ人々の本質がかいま見える。震災が明らかにしたのは、中央と地方との差別の構造そのものだ。

 阪神大震災では、発生の約3週間後から避難所の食事が順次、栄養バランスの取れた弁当方式に切り替えられたのに対し、今回、東北地方では、震災から2ヶ 月経った5月の時点でも、避難所に届く食料品は缶詰などのレトルト食品が中心だった。提供量は1日平均1546キロカロリーで、厚生労働省の摂取目標 (2000キロカロリー)の77.3%にとどまった。500人以上の大規模避難所では、半数近い45.5%の避難所で「1日2食」しか提供されなかった。 地震、津波に加え、原発事故にも襲われた福島では、家族が別々の避難所に入った結果、今なお離散状態となっている家庭さえある。被災者のための仮設住宅の 建設もほとんどが首都圏や関西の大手建設業者に発注され、地元業者への依頼はほとんどないと、地元メディアは憤りを露わにしている。

 食事もなければ家族の顔を見ることもできない。もちろん仕事もない。福島では原発事故が重なり、いつ帰れるかもわからない。それでも被災者が不平も言わ ずじっと堪え忍んでいるときに、首都圏では買い占めが起こり、スーパーやコンビニエンスストアの棚から物資が次々と消えていった。被災者に向かって「我欲 を洗い流せ」などと寝言を言っている都知事は、一度でも東北の避難所に足を運んだのか。都民に無駄な買い占めをやめるよう一度でも呼びかけたのか。そして 都民は、被災地が苦しんでいるさなかに行われた統一地方選挙で、このような不道徳きわまりない人物を、それと知りながらなぜ今回もまた知事に選んだのか。

 筆者は、この事態を招いたのは政府(原発事故に関しては東京電力も)であり、政府と東電を初めとする電力資本以外に攻撃を向けるのは間違いであるとの考 えから、また事を東京と東北の地域対立にしたくないとの思いから、これまで東京・首都圏への批判は控えてきた。その私が今回、あえて首都圏に苦言を呈した のは、このような状況を招いた中央の責任を少しでも理解してほしいからである。

 もちろん筆者は、東京にも常に弱者に寄り添い、その日その日を精一杯闘いながら生きてきた多くの人たちがいることを知っている。本誌読者の大部分はそう した心ある人たちであると思っている。「復興」は、そうした人たちこそが中心的役割を担う形で進めなければならない。もとより復興を単なる復興に終わらせ てはならない。あえて言えば、それは新たな社会の構築として始められなければならない。社会的弱者を含む全ての人たちが人間として尊重される全く新しい社 会の構築として。

 東日本大震災は確かに大きな不幸だった。しかし、他人をあげつらう以前に自分自身が我欲そのものである見苦しい権力者や強欲な経営者たちを退場させる 1000年に一度のチャンスでもある。そのための新たな一歩こそが今、私たちに求められている。

(2011年6月25日 「地域と労働運動」第129号掲載)

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