JR福知山線列車転覆事故・JR西日本社長の起訴に関するコメント

1.2005年4月25日、JR福知山線塚口〜尼崎間において、速度超過を主因として列車が脱線・転覆し、乗客・運転士107名が死亡したいわゆる「尼崎 事故」について、本日、神戸地方検察庁は、山崎正夫・JR西日本社長を業務上過失致死傷容疑で在宅のまま起訴した。一方で、書類送検されたJR西日本幹部 8人と、一部の遺族からの告訴を受けた井手正敬元社長ら歴代経営トップ3人及び高見隆二郎運転士を不起訴とした。不起訴の理由は、幹部らが嫌疑不十分、運 転士は死亡のためとされた。

2.兵庫県警の書類送検を受けた後、神戸地検は異例の独自再捜査に踏み切った。遺族の無念に応えるための神戸地検の意気込みであり、安全問題研究会はある 程度今回の起訴を予想していた。公共交通の事故で運行会社の最高幹部が起訴されるのはきわめて異例のことであり、過去には520名が死亡した日航機事故で さえ関係者全員が不起訴とされ、誰ひとりとして刑事責任を問われなかった。それだけに、今回、1名とはいえ鉄道会社の最高幹部が起訴されたことは巨大な 前進である。

3.しかしながら、起訴が山崎社長のみにとどまったことに対して、安全問題研究会は強い不満を表明する。とりわけ井手正敬・元社長は安全を崩壊させる国鉄 解体に直接係わった国鉄改革「三羽ガラス」のひとりであり、人材活用センターに代表される旧国鉄の強権的労務政策を引き継いで意思疎通のできないJR西日 本の企業体質を作り上げた張本人である。山崎社長がハード面で事故の原因を作り出した責任者であるとするなら、ソフト面で尼崎事故の原因を作り出した最高 責任者は井手氏である。今後も、安全問題研究会が井手氏はじめ、最高幹部らの責任追及の手を緩めることはない。

4.運転士は「日勤教育」等、JR西日本社内を覆い尽くしていた強権的管理体制の犠牲者であり、不起訴は妥当である。しかしながら、不起訴の原因が「死 亡」とされたことに対し、安全問題研究会は不満を表明する。高見運転士の名誉を回復するため、不起訴の原因は「嫌疑なし」とすべきである。

5.事故の遺族らでつくる「4・25ネットワーク」はすでに、運転士以外で書類送検や刑事告訴された12人のうち1人でも起訴されなかった場合には神戸検 察審査会に不服を申し立てる方針を確認しており、近く手続きに入ると報じられている。安全問題研究会は、事故の原因究明と再発防止のため、これを断固支持 する。

6.焦点となった事故の予見可能性について、山崎社長は任意の事情聴取に対し「事前の予見は不可能だった」との供述を行ったと報じられている。しかし、山 崎社長は尼崎事故以前、JR北海道・函館線で発生した貨物列車のカーブでの速度超過脱線事故に関し、社内会議で「ATSがあれば防げた」との報告を受けて おり、これら先行事故の事例から事故の危険性を知りうる立場にあったと考えられる。

7.さらに、組織としてのJR西日本も同様に尼崎事故の危険性を予見していたと当研究会は考える。なぜならJR西日本は、事故現場の曲線に対して時速70 キロメートルの制限速度を設定していたからである。この数値は、旧「普通鉄道構造規則」第10条で定められていた半径250メートル曲線における制限速度 の下限値である。事故現場の曲線半径は300メートルであったが、JR西日本自身がこれより半径の小さい250メートル曲線における下限値を制限速度に設 定していたという事実こそ、同社が事故の危険性を予測していたことを示すものであり、神戸地検が期待する公判の維持は十分可能と考えられる。

8.兵庫県警、神戸地検の一連の捜査から起訴へ至る過程の中で浮き彫りになったのは、業務上過失致死傷罪の立件の難しさである。もともと業務上過失致死傷 罪は、交通事故や業務災害など因果関係の立証が容易であるものを想定しており、今回のような大規模な公共輸送機関の事故に対応することは困難である。しか し、100名を超える乗客が死亡しながら、因果関係の立証が困難であるから誰ひとり刑事責任を問われないなどということがあってよいはずがない。今後の課 題として、業務上過失致死傷罪とは別に、結果の重大性のみで刑事責任を問うことが可能となるような法整備が急務である。

9.今回の山崎社長の起訴によって、尼崎事故は法廷における刑事責任追及という新たな局面に入った。この節目に当たり、当研究会は、107名(後追い自殺 者を含めると108名)の犠牲者遺族に改めて哀悼の意を表するとともに、今なお治療過程にある負傷者の方に対しても、お見舞いを申し上げるとともに1日も 早いご快癒をお祈りする。同時に、鉄道事故の再発防止という当研究会に課せられた使命を再認識し、引き続き安全問題に取り組んでゆくことを表明する。

                             2009年7月8日
                             安全問題研究会

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