1987年の国鉄分割・民営化の際に国鉄清算事業団に移され、1990年、清算事業団
からも解雇された1047名のうち304名が、地位確認及び損害賠償の支払いを求め、国鉄を継承する日本鉄道建設公団(現・独立行政法人鉄道建設・運輸施
設整備支援機構)を提訴した鉄建公団訴訟について、本日、東京高裁は、10名を除く原告らに対し、1人550万円の損害賠償支払いを認める一方、解雇は有
効であり、地位確認は認めないとする内容の判決を出した。
不当解雇されながら、顧みられることもなく打ち捨てられていた原告らに、不十分とはいえ救済の道を開いた1審判決から3年半を経過し、この間、国鉄闘争
を巡る情勢は大きく変化した。私たちは、当時と比べてあまりにも変わりばえのしない今日の判決に対し、当時のような積極的評価を与えることは、もはやでき
ない。
労働者は誰でも、みずからの思想・信条に基づいて、みずからに最も適した労働組合を選択し、あるいは結成し、加入し、活動する権利を持っている。今回の
判決の最も重大な誤りは、そのような諸権利を思想・信条の自由、団結権、結社の自由として保障した日本国憲法に司法みずから背いたことにある。またそれ
は、法の番人としての司法がみずからその役割を放棄したものと言わざるを得ない。東京高裁は、葛西敬之・JR東海会長の召喚まで行いながら、この間何を見
てきたのだろうか。
国鉄職員を直接新会社に迎え入れるのではなく、いったん承継法人である国鉄清算事業団に移籍させ、新会社設立委員会が作成した採用候補者名簿にしたがっ
て選別採用を行うことが国鉄改革法23条の要諦だった。まさにこの点こそ、採用候補者名簿が「公開の競争試験に基づく能力の実証」のための手段として設け
られている国家公務員法との最大の違いであり、国鉄改革法23条はいわば、公正な採用を行うための手段として考案された採用候補者名簿方式を選別採用のた
めに「転用」するものだった。能力の実証を行った者の代わりに「国策への恭順」を誓った者を掲載する悪魔のシステムだったのである。
今回の判決が、動労・鉄労に所属している職員は全員採用する方針があったのではないかとの疑いがあることを指摘するのみならず、「公正な選考がされれば
一審原告らが採用候補者名簿に記載される可能性があった」としたことは、新会社設立委員会が作成した採用候補者名簿に従ったのだから選考は公正だったとす
る国鉄「改革」推進派の主張を崩壊させるものとなった。それは、法廷の場で採用基準の不公正さを示す証拠を積み上げ、事実をもって闘ってきた原告団の勝利
であり、国鉄改革法23条の完全なる崩壊を意味している。それだけに、職場復帰を認めなかった今回の判決の不当性は1審判決以上に高まったと言わなければ
ならないのである。
改革法23条があるから自分たちはJRに戻れないなどという敗北主義に陥ってはならない。改革法23条を打ち破った原告団は、堂々とJR復帰を目指して闘
うことが必要である。残り少ない時間の中で、納得の行く解決を勝ち取るために、原告団には心をひとつにし、より高次の闘いを進めることが求められている。
1047名を路頭に迷わせた国鉄分割民営化は、またJRという暴走恐竜を生み出した。それは、西日本では107名の命を奪う尼崎事故を、東日本では5名
の命を奪う羽越線事故を引き起こした。JR東日本は、河川法に違反する不正取水事件で処分を受けながら、みずからの不法行為を棚に上げ、「就業規則」なる
ものに従わないとして社員に不当処分を打ち下ろしている。みずからの意に沿わないテナント商店に対する卑劣な追い出しも画策するなど、暴虐の限りを尽くし
ているかに見える。しかし、そうした不正は利用者の抵抗に直面し、次々と行き詰まっている。JR西日本は尼崎事故犠牲者の強い要求に押され、事故現場の保
存を約束させられた。今、民営化で一方的に不利益を押しつけられた利用者・国民の不満は爆発寸前に来ており、JRに対する闘いがあちこちで広がり始めてい
る。
こうしたJRへの闘いは、金融資本主義と市場原理主義が支配してきた時代の終わりという社会状況を明確に反映している。国鉄を解体した者たちが始まりを
告げたその時代は、競争すること、仲間を裏切り、騙してでも勝つことが正しいと信じられてきた不幸の歴史そのものだった。彼らでは生活も安全も生命も守れ
ないことが明らかになった。今こそ彼らに退場を宣告するときである。
安全問題研究会は、法の番人たる使命を放棄し、涙金で解決を図ろうとする司法の決定を受け入れることはできない。直ちに上告を決定した原告団を全面的に
支持し、納得の行く解決が図られるよう、引き続きこの闘いを支援していくことを表明する。
2009年3月25日
安全問題研究会